79 決着
気が付くと、俺はあの地下の川原に一人で立ち尽くしていた。
俺は座り込んだ。
長い間、何もせずに待った。
しかしいくら待っても、誰もやって来なかった。
おれはスマホを取り出した。
MAPアプリを起動して現在地を確認する。
ここからさらに上流に向けて川原を歩けば、やがてさらに広大に開けた場所に出る。
そこが地下神殿だ。
そして、そこに行く前には、あの小屋がある。
「さて」
俺は一人で声に出して言ってみた。
「さてさてさて」
独り言だ。
俺は独り言が癖なのだ。
俺は大きなため息を一回ついて、立ち上がった。
腰に下げたミスリルの短剣の柄を握ってみた。
試しに剣を抜いてみる。
短剣を構えて、振りかざすふりをしてみる。
「待ってろ、ザウロスめ。今度こそ」
俺は小声でつぶやいた。
俺は短剣を鞘に戻した。
そして、川原を上流に向けて、歩き始めた。
やがて遠くの方に、小さな明かりが見え始めた。
おれはスマホを取り出し、MAP画面で現在地を確認した。
遠くに見えている小さな明かりの場所には、建物が建っている。
だんだんと近づいていくにつれて、建物の輪郭がはっきり見えてきた。
あと百メートルほどの距離までに近づいてきた。
木造の小屋だ。
そして小屋の窓から灯りが漏れている。
俺は小屋に向かって歩き始めた。
三角の屋根からは煙突が出ていて、煙突から少量の煙が出ている。
玄関口は川に向かってついていて、窓からはランプの明かりが漏れている。
いよいよ小屋の目の前まで来た。
耳を澄ますと、誰かが鼻歌をうたっているのがわかった。
“ 響けよ歌声 空高く
俺の村じゃあ 誰しもが
ラッパを鳴らして 大騒ぎ ”
下手糞な歌声だった。
俺は、足音を殺して小屋に近づき、そっと窓から中を覗き込んで見た。
部屋の中が見えた。
向かって正面の壁に暖炉があり、火がくべられている。
テーブルの上には食べ物や飲み物が置かれている。
向かって右の壁側には一面に本棚が備え付けられ、本が並べられている。
本をパラパラとめくりながら鼻歌をうたっているマケラの姿が見えた。
マケラは俺に背を向けた格好で、歌をうたいながら本を眺めるのに夢中で、窓から中を覗く俺には気づいていない。
“ 窓辺に佇み思うのは
村の思いで 青い森
すぎた昔の日々のこと
思い返して 歌うのさ ”
マケラがここまで歌い終わったところで、俺は窓をコツコツと叩いた。
マケラはびっくりして俺の方に振り返り、窓から中を覗き見る俺の存在に気付いた。
俺とマケラは、目を合わせた。
マケラは、しばらくの間目を丸くして動きを止めていた。
それから、向かって左の玄関ドアを示して目配せをした。
中に入れ、と言いたいようだ。
俺は頷いてみせてから玄関に回り、ドアをノックしてから開け、小屋の中に入った。
小屋の中の広さは十畳くらいだろうか。
暖炉の熱気で暑いくらいになっていた。
テーブルの上には、皿に盛ったパンと、ティーセットが置かれていた。
マケラは本棚に背を向けて寄りかかって、俺を見ている。
ボロボロの服を身にまとい、素足で、無精ひげが伸び放題になっている。
「えーと、どこかでお会いしましたかな」
マケラは、弱々しい声でそう言った。
どこか脅えているような目。
本棚に寄りかかったまま、手を後ろで組んでいる。
「マケラ、俺だよ、プッピだよ」
俺は言った。
「ぷ……プッピ?
……そうか、そうだったな。
そうだよそうだよ。プッピだよ!
知っているよ。もう思い出したよ。
君の名前はプッピだ」
「マケラ、聞きたいことがあるんだ」
「な、なんだい?」
「ザウロスに会ったかい」
「ザウロスかい。もちろん、会ったよ。
ザウロスに用事があるのかい」
「そうだ。ザウロスに用事があるんだ」
「僕も、私も、いや、僕も、ザウロスに用事があるよ」
マケラは両手を顔の前に出し、指の数を数えるふりをしながら答えた。
「本を借りたのさ。ザウロスからね。
その本を、そろそろ返さなくてもいいのかな? って思って……。
もし君がこれからザウロスに会うのなら、僕の、いや、私の、いや、僕の代わりに本を返してきてくれないかな」
マケラは伏し目がちに俺を見て言った。
「本って、どんな本だい」
「それはその……、ごめん、借りたけど、ちゃんと読んでいないんだ。
でも、きっと、自伝だよ。
ザウロスの自伝かもしれない。
ザウロスの、彼自身の本だよ」
「わかった。じゃあ、俺が返してくるよ。
本をくれないか」
俺は言った。
「本当かい」
マケラは目を輝かせた。
しかし、すぐに目を伏せ、両手で頭を掻いた。
「やっぱり、いいよ。自分で返すから。」
「遠慮するなよ。俺が返してくるよ。
どの本だい?」
「いや……、いいんだ。
やっぱりいいんだ。
私の本だから私が自分でなんとかするよ」
「じゃあマケラ、俺にその本を見せてくれないか。
見るだけだよ」
「うーん。
……見るだけなら、いいよ」
マケラは了承したものの、体をモジモジ動かすのみだ。
「マケラ、本を見せて」
「やっぱり……、だめだよ。
ザウロスに怒られる」
「大丈夫。ザウロスは怒らないよ。
本を見せて? 見るだけだから」
マケラは、モジモジしながら本棚から本を取り出した。
俺は、マケラに飛びつき、マケラが手に取った本を奪った。
「あっ! やめてくれよ!
私の本だよ!」
マケラが奪い返そうとするが、俺は右手でマケラを制した。
左手で本をテーブルの上に広げ、ページを繰った。
「やめろ! やめないか!」
マケラの声色が怒気を帯びている
「私の本だ!」
マケラが怒っている。
もちろん俺は手を止めなかった。
本を奪い返そうとするマケラを右手で防御しながら、左手で本のページをめくり続けた。
そして俺は本の最終頁にザウロスの肖像画が描かれているのを見つけた。
「よせ! やめろ!」
マケラの声色が変わっている。
もうマケラの声ではない。
俺はマケラを突き飛ばした。
突き飛ばされたマケラは背中を本棚にぶつけて、倒れた。
俺はミスリルの短剣を抜いた。
そして、両手で思い切り力を込めて、ザウロスの肖像画に短剣を突き立てた。
短剣は、肖像画の中のザウロスを鋭く貫いた。
何かが崩れたような音がした。
一瞬、周囲が暗くなった気がした。
「なぜ……。なぜわかった」
本棚の前でうずくまっているマケラが胸を押さえながらつぶやいた。
「心を囚われているマケラが、本が鍵だと俺にヒントをくれたからさ」
俺は言った。
ぼんやりとした霞に包まれて、マケラは二つに分かれた。
一人のマケラはヨロヨロと立ち上がった。
もう一人のマケラはまだ本棚の前でうずくまっている。
一人のマケラは、その場に茫然と立ち尽くしている。
もう一人のマケラは、玄関に向けて、外に出ようとして、床を這いずりはじめている。
俺は、もう一人のマケラのほうををじっと目で追った。
俺の目の前を、もう一人のマケラが、這って通り過ぎる。
そして、玄関の扉を開け、四つん這いのまま外に出て行った。
一人のマケラは、まだ小屋の中で茫然として、這いつくばって外に出ようとしているもう一人のマケラのことを、ただ見ていた。
俺はゆっくり歩いて、もう一人のマケラの後を追って外に出た。
もう一人のマケラは、光る川原を這いずっている。
「ザウロス、もう観念しろ」
俺はもう一人のマケラに言った。
光る川原を這いずる、もう一人のマケラは、いつの間にか姿を変え、正体を現していた。
ザウロスだった。
ザウロスは、苦悶の表情を浮かべながらも、ゆっくりと立ちあがった。
そして、俺と向き合った。
「わしを引きずり出すことができたからと言って、わしを倒せると思うなよ」
ザウロスは言った。
ザウロスは、その場で何か呪文を唱え始めた。
俺は成す術もなく、呪文を唱えるザウロスを見ていた。
そして、ザウロスは右手を高く掲げた。
どこからともなく突然現れた樫の大杖が、掲げた右手に収まった。
「ふははは。杖を手にすればこっちのものよ。」
ザウロスは息を吹き返したように笑って言った。
「プッピよ。おぬし、ドゥルーダからわしの倒し方を訊いたろう?
本物のわしの胸にミスリルの剣を突き立てねば、わしは死なんのじゃぞ。
おぬしが剣を突き立てた本の画がわしの本体だと思うか。
わしの本体はここじゃ。
しかしおぬしの短剣は小屋の中。
……プッピよ、短剣を二本用意しておくべきじゃったなぁ?
さぁ、どうする?」
ザウロスは呪文を唱えた。
俺の足元に稲妻が落ちる。
俺は吹き飛ばされて倒れた。
「とどめをさしてやる」
ザウロスが言った。
ザウロスが次なる呪文を唱え始めたその時だった。
「そこまでだザウロス! 死ね!」
と、声が聞こえた。
ラモンだった。
ラモンが小屋の向こうから、弓をつがえてザウロスを狙っている。
そしてラモンが、ミスリルの矢を射った。
矢は、ザウロスの胸を貫いた。ザウロスが顔をしかめて胸を押さえた。
ラモンはさらに二本の矢を驚くほどの速さでつがえて、放った。
放たれた二本の矢は、どちらもザウロスの胸に突き刺さった。
三本のミスリルの矢を胸に受けたザウロスは、体をくの字に曲げて目を見開いていた。
そしてザウロスは断末魔のうめき声をあげて、その場にゆっくりと崩れ落ちた。




