75 再会
俺と目が合ったマケラは、しばらくの間目を丸くして動きを止めていた。
それから、向かって左の玄関ドアを示して目配せをした。
中に入れ、と言いたいようだ。
俺は頷いてみせてから玄関に回り、ドアをノックしてから開け、小屋の中に入った。
小屋の中の広さは十畳くらいだろうか。
暖炉の熱気で暑いくらいになっていた。
テーブルの上には、皿に盛ったパンと、ティーセットが置かれていた。
マケラは本棚に背を向けて寄りかかって、俺を見ている。
ボロボロの服を身にまとい、素足で、無精ひげが伸び放題になっている。
あまりにもイメージが違うが、背格好も顔立ちもマケラその人である。
「えーと、どこかでお会いしましたかな」
マケラは、弱々しい声でそう言った。
どこか脅えているような目。
本棚に寄りかかったまま、手を後ろで組んでいる。
「マケラ様……? ですよね?」
俺は聞いた。
「いかにも、私はマケラだ。
でもなんで私の名前を知っているのかな」
「私のことを覚えていないのですか」
マケラは目を泳がせて一瞬答えに詰まった様子をみせた。
「すまない。最近はいろいろ忙しくてね。
多忙につぐ多忙で、いろいろなことが通り過ぎていってしまうもんだから。
つまり、あんたのことは、覚えているようで覚えていないんだ。
……いや、ちょっと待ってくれ。
忘れたわけじゃないんだ。
ここまで出かかっているんだよ、君は、その、あれだ。
……私と、以前に会ったことがあるね。
そうだろう?」
「そうです。会ったことがあります。
プッピです。お忘れですか」
「ぷ……プッピ?
……そうか、そうだったな。そうだよそうだよ。プッピだよ!
知っているよ。だってここまで出かかっていたのだもの。
もう思い出したよ。君の名前はプッピだ」
……マケラは、頭がおかしくなってしまったのか。
「マケラ様、大丈夫です。
私のことなど、すぐに思い出しますよ」
「ちょっと、あんた、いや、君。
私のことを“さま”なんて呼ばないでくれよ。
“さま”なんて名前の後にツケラレちゃあ、こっちは緊張してしまうだろう。
それとも、わざとかい。
もう二度と、“さま”なんて言わないでくれよ」
「わかりました。
……いや、わかったよ。マケラ」
「ああ……ああ。なんだい」
「ザウロスには会ったのかい」
俺は頭が狂ってしまったマケラに聞いた。
「ザウロスかい。もちろん、会ったよ。
ザウロスに用事があるのかい」
「そうだ。ザウロスに用事があるんだ」
「僕も、私も、いや、僕も、ザウロスに用事があるよ」
マケラは両手を顔の前に出し、指の数を数えるふりをしながら答えた。
「本を借りたのさ。ザウロスからね。
その本を、そろそろ返さなくてもいいのかな? って思って……。
もし君がこれからザウロスに会うのなら、僕の、いや、私の、いや、僕の代わりに本を返してきてくれないかな」
マケラは伏し目がちに俺を見て言った。
「本って、どんな本だい」
「それはその……、ごめん、借りたけど、ちゃんと読んでいないんだ。
でも、きっと、自伝だよ。
ザウロスの自伝かもしれない。
ザウロスの、彼自身の本だよ」
「悪いけど、俺は本を返しに行ってあげられないと思う」
俺は言った。
ザウロスと対峙して、戦う前に、まずは借りてた本を返すってか。
そんな悠長なことをする暇はない。
「そうかい」
マケラは悲しそうに言った。
「君はザウロスに捕まってしまったのかい?」
俺はマケラに聞いた。
「捕まる? 捕まるって、ぼくはザウロスに捕まってるのかな?
よくわからないよ。
捕まっているよ。
……いや、捕まっていないよ。
……君は、私の敵かい、味方かい」
「味方だよ。決まってるじゃないか」
俺は言った。
「俺は君を助けに来たんだよ。
一緒に帰ろう。
トンビ村に帰るんだ。
皆が待っているよ」
「そんな……。本当かい?
皆が待ってるって?
僕を? いや、 私を?」
「そうさ。帰るんだ。皆が待つトンビ村へ。
……でも、その前に、俺は用事がある。
ザウロスに用事があるんだ。
ちょっと行ってくるから、君はここで待っててくれるかい」
「ああ……ああ。わかったよ。
僕はここで待っている。
ずっと待っているよ。
僕が本を持っているんだ。
だから、僕はここで待っているからね」
「じゃあ、行ってくるよ」
俺はそう言って小屋を後にした。
小屋を出てしばらく歩き、小屋が十分に遠ざかってから、俺は足を止めた。
そして頭を抱えて、
「マケラ……狂っちゃったのか」
一人でつぶやいた。
マケラは正気に戻るだろうか。
ザウロスを倒して、彼を村に連れて帰れば、彼は正気を取り戻すだろうか。
今のマケラの姿を見たら、きっとノーラは悲しむだろう。
いや、違う。
マケラはマケラだ。
村の皆は、もうマケラは死んだと、帰ってこないとそう思って悲しんでいるんだ。
俺がマケラを連れて帰れば、きっと村の皆は喜ぶだろう。ノーラだって。
生きててよかったじゃないか。
もう死んでいるとばかり思っていたのだ。
どんな形であれ、マケラが生きているという事が大事だ。
ザウロスを倒して、マケラを連れて帰ろう。
そうだ。そうしよう。
その時だった。
「おーい」
声がした。
俺は後ろを振り返った。
遠くの方から俺を呼ぶ声がする。
聞き覚えのある声。懐かしい声。
「おーい!」
俺は呼び返した。
「プッピ! 生きてたか」
ラモンが言った。
「そっちこそ!」
俺も言い返した。
ラモンが走ってきた。俺も走って近づき、お互いに抱き合い、肩を叩き合った。
「良かった。もう会えないかと思ってたよ」
俺は言った。
「追いついて良かった。
あんた先にザウロスの所に行っちまったかと心配したよ」
ラモンが言った。
スナッタバットと共に地下川に落ちて下流に流されたラモンは、どうにかこうにか岸に上がった。
そして、先に行った俺をここまで追いかけて来てくれたのだった。
「ところで、さっき通り過ぎた小屋に入ったかい」
俺はラモンに聞いた。
「いや、入らなかった。
誰かが住んでいるようだったので、足音を殺して通り過ぎてきた。
なぜだい? 誰が住んでいたんだ?」
「いや、いいんだ。誰でもないよ」
ラモンには全ての事が終わってから話そうと思った。
マケラが狂ってしまったことを知るのは、ザウロスを倒してからでも遅くない。
「ザウロスの居城はこの先か」
ラモンが聞いた。
「ああ。恐らくな。
この先に地下神殿があるんだ。
そこに、きっと、ザウロスはいると思う」
「いよいよだな」
「ラモン、ミスリルの矢を頼むよ」
「わかっている。
ザウロスの胸に突き刺してやる」
俺達は歩き始めた。




