父、伝説を眠らせる
「グルァァァァァァァ!!!」
「ぬっ!?」
咆哮と共に、もやの魔物の体で緑の光がひときわ強く輝く。その瞬間閃光の如き速さで回し蹴りが放たれ、ニックはそれをかろうじて防ぐ。だが、魔物の攻撃はそれで終わらない。そのまま目にもとまらぬ速さで繰り出される連撃に、ニックは珍しく防戦一方となっていた。
「なんたる速さと技量! しかしこの動きは……」
「グォォォォォォォォ!!!」
「うおっ!?」
先ほどとは違う咆哮。すると今度は魔物の体が赤く輝き、その体に剛力が宿る。それまでの数百倍の威力を持つ拳を受け止めたことで、ニックの体が後ずさる。
「グォォォォォォォォ!!!」
「くっ、重い!?」
まるで山そのものの如き重さの一撃に、ニックは思わず声を漏らした。攻撃そのものは大振りになったが、あまりに威力が高すぎるためにかえって回避ができない。こんな攻撃を受け流して地面にでも拳が刺さったら、それだけで山の氷雪が崩壊するのは明らかだからだ。
「いいドいいド! 流石ワガハイの研究成果! その調子でやってしまうド!」
その様子を見てドーナルドが上機嫌な声を上げる。だがそんな状況でも尚、ニックには僅かな焦りも無い。
「なるほど。あの二体の魔物が山の力そのものを与えられたら、こうなるという結果なわけか……だが!」
硬く守りを固めているだけだったニックが、不意に反撃に転じる。緑の放つ音より速い一撃を首を捻ってかわすと、そのまま己の拳をもっとも赤い光が強い部分へと叩き込んだ。
「グォォォォ!?」
「なっ!? ま、まぐれ! 偶然、たまたま、運良く当たっただけだド! そのまま押し込め反魔物!」
「そいつはどうかな?」
驚愕に目を見開くドーナルドに対し、ニックは不敵に笑うと再び拳を放つ。今度は赤の豪腕を真っ正面から己の拳で打ち払い、がら空きになった胴体の緑の光が一番強い部分にニックの一撃が炸裂する。
「ガルゥゥゥゥゥ!?」
「ぐ、偶然……偶然…………」
戦いの流れが変わる。もやの魔物の攻撃はそのことごとくがいなされ、防がれ、代わりにニックの攻撃はその全てが命中する。その度もやの魔物はうめき声をあげ、次第に光が弱まっていく。
「馬鹿な……そんな馬鹿なことあるわけないド! そいつはイーネンの二つの山のアンチ・エナジーを凝縮した魔物だド!? サム・イーネンの方は不完全だったとはいえ、それにただの人間が対抗できるはずがないド!」
「ははは。そう言われても現にできているではないか。それにこう言っては何だが……正直、此奴は弱くなっているぞ?」
「はぁ!?」
これ以上ないほどに間抜けな声をあげるドーナルドに、ニックは攻撃の手を休めることなく言葉を続ける。
「なる程確かに、緑の方は速度があがったことでより技が洗練されておるし、赤の方は単純にとてつもない力を身につけておる。それだけ見れば強くなったように思えるだろうが……一番肝心なものが欠けておるのだ」
「何が!? ワガハイの研究成果に、反魔物に一体何が欠けていると言うんだド!」
「無論……魂だ!」
「グルァ、グォォォォ!?!?」
宣言と共に、二連撃。赤と緑の急所を同時に打ち抜かれたことで、光るもやの魔物が遂にその場に膝を突くように崩れ落ちる。
「此奴の元になった魔物は、どちらも己の強さに誇りを持ち、獲物を狩ることに全力だった。だが此奴は与えられた力と技をただ振り回しているだけに過ぎん。今の此奴の状態は、何でも切れる名剣を子供が振り回しているようなもの。意思の籠もっていない力など儂の脅威にはなり得んよ」
「魂……魂……なるほど、アンチ・エナジーから生まれた魔物には、魂が宿らないのかド。これは今後の重要な研究課題だド」
『己が切り札として生みだした魔物が負けそうだというのに、この期に及んで自らの研究に意識が向くのか。何というか、筋金入りだな』
「まあ次の機会など与えてやる気は無いがな。さて、お主もそろそろ終わりか」
「グルァァァァァァァ……グォォォォォォォォ……」
きちんとドーナルドの方に意識を残しつつも、ニックは目の前で力なく呻くもやの魔物に視線を向けた。その体から感じられる力は大幅に目減りし、既に本当の意味で「普通の人」が倒しうる程度にまで弱体化している。
「思えば、お主も不憫だな。その力と技が合わさり、意思を持って向かってくるなら真に強敵と言える存在になっただろうが……む?」
憐憫の視線を向けるニックの前で、不意にもやの魔物の体が震えた。赤と緑の光が互いにぶつかり合い、食い合うように人型の中で暴れ回って……やがてそれらが一つとなると、全身が紫色に変わる。
「…………」
紫の魔物は何も言わない。吠えることも暴れることもなくスッとその場に立ち上がると、まるで人の格闘家のように腰を落として構えを取る。
それを見たニックは、己もまた構えをとった。その目にもはや憐憫はなく、あるのはただ強敵を前にした真剣勝負への意気込みのみ。
「受けて立とう。来い!」
「ガッ!」
紫の魔物の攻撃は、先ほどまでよりずっと遅い。だが達人の行う演舞はどれほど動作を遅くしてもかわすことができないように、その拳は吸い込まれるようにニックの顔面目がけて打ち込まれてくる。
「フッ。なるほど、それがお主の矜持か」
だが、そこまで高まってすらニックの領域には届かない。ほんの僅かに頬をかする拳に、ニックはその魔物の生き様を見た。
「ここまで来てもまだ己を貫く、その心意気や良し!」
紫に見えたその体は極めて緊密に赤と緑が並んでいるだけのものだった。どれほど近く寄り添っても、二色は決して混じってはいない。
「故に……これが手向けだ!」
緑の技が拳を届かせ、赤の力が傷を穿った。己の頬にかすり傷をつけた相手に、ニックは最大限の敬意を持って拳を打ち込む。それは狙い違わず魔物の胸に打ち込まれ、よろけた魔物がニックに向かってもたれるように倒れてきた。
「おお、もやもやして微妙だったが、こうして触れるときちんと体があるのだな。まあ殴れていたのだから当然だが……」
「グ……ァ……」
「伝説を名乗る二獣の合力、確かに見届けた。誇りと共に再び眠るがよい、イーネンの亡霊よ」
「……………………」
もやの魔物の体が、ゆっくりと光に分解されていく。ほどなくしてニックの肩にかかる重さが消えると、光る粒子はその半分がサム・イーネンの大地へと降り注ぎ、もう半分はキラキラと輝きながらアツ・イーネンの方へと飛んでいった。
「ふぅ……さて、では後はお主だな」
「ド!? わ、ワガハイをどうするつもりだド!?」
「どうするかは儂の知るところではないが、とりあえず今回の事件の首謀者としてギルドに連行する……か? いや……」
この男をチョードの町まで連行した場合、その力を巡って一悶着あるのがニックには容易に想像できた。これだけの規模で自然を変化させたり、それを用いて強大な魔物を生み出せるとなれば、かなり高い確率で権力者の庇護という名の監視の下、アンチ・エナジーとやらの研究を続ける未来が待っていることだろう。
『この男の危険性を考えれば、今始末するのが最良であろう。だがこの男の可能性を考慮するなら、信頼できる権力者に預けるのがもっとも有益だ。さあ、貴様はどうする?』
「ぬぅぅ……」
またも選択を迫ってくるオーゼンに、ニックはかなり迷う。そうして迷って出した結論は――