父、馬鹿にされる
「その顔は、肯定と見てよいのだな?」
「顔も何も、これほど偉大な実験をワガハイ以外がやれるわけがないド! これによって世界は更に一歩未来へと進んだのだド!」
凄むニックに、しかしドーナルドは悪びれることなく胸を張る。
「なるほどな。確かに大層な結果を生み出したようだが、それによって迷惑を被る者がいることを考えなかったのか?」
「この程度でなーにを言ってるド? ワガハイの偉大な研究の礎になれるのだから、むしろ感謝して欲しいくらいだド!」
「……そうか」
ドーナルドの言葉に、ニックは小さく、だがはっきりとそう呟くと、その場でゆっくりと腰を落とし、拳を握る。
「なんだド? お前もあの無能な輩と同じように、ワガハイのやることを否定するのかド? まったく、これだから学のない奴は嫌いなんだド。
その空っぽの頭で考えてみるがいいド。ワガハイのこの実験を、何処の国が、どんな組織がやらせてくれる? 何処に行っても駄目って言うに決まってるド!」
「当たり前だ。これほどの被害を発生させる目論見など、誰が許すと言うのだ?」
「それだド! そういうくだらない倫理観のせいで、技術の進歩がどんどん遅れているんだド! まあ適当な軍事国家にでも紛れ込めばだいぶ増しになるドが、それだと効率的に人を殺せるような研究以外はさせてもらえないド。
ひょっとしたらオマエも勘違いしているかも知れないから言っておくドが、ワガハイは別に人を傷つけたいわけじゃないド? ただ純粋に魔法技術を研究したいだけなんだド!」
「だからといって……いや、そうか。これ以上は平行線なのだな」
「そうだド。技術には善悪など無く、それを使う奴の思惑があるだけだド。そしてワガハイの技術はやがて一〇〇万人の命を救い、一〇〇万人の命を奪うド。それをほんのちょっと前借りしてるだけのことで、ガタガタ騒ぎすぎなのだド」
大げさに肩をすくめて見せるドーナルドに、ニックは右の掌を突き出しその言葉を止める。
「もう言うな。お主は確かにただの悪党ではないのだろう。お主の生み出す技術とやらが世界をよりよくすることもあるのかも知れん。だが今この時、儂の目の前で多くの者達の犠牲を厭わぬというのなら……」
「ワガハイをとめるのかド?」
「とめる! 構わんだろう?」
『我に伺いを立てる必要など無い。その心の赴くままにせよ』
一瞬だけ意識を向けて問うたニックに、オーゼンは穏やかに答える。
オーゼンとしては、ドーナルドに聞きたいこと、語りたいことがいくらでもあった。オーゼンすら知り得ぬ技術と知識は計り知れない価値を持ち、きっと歴代の王を目指す者なら、そのほとんどがこの男を取り込み、最小の犠牲で最大の結果を生み出そうと躍起になったはずだ。
(だが、貴様はその程度ではないだろう?)
救うことに固執するあまり小を守って大を腐らせる暗君ではなく、大を守るため小を切り捨てる当たり前の王でもなく、大も小も全部まとめて救ってみせる。己の所有者たるニックはそんな大きな男なのだと、オーゼンは信じて疑わない。だからこそ――
『そもそも、この程度の小者など我等がこだわる相手ではない。思うさまにぶん殴ってやるがよい!』
「応よ!」
腰から響く声援に、ニックの拳に力が入る。そんなニックを見て、ドーナルドは大きなため息をついて肩を落とした。
「ハァ。やっぱり学のない筋肉親父にはワガハイの研究の偉大さは理解できなかったド……仕方ない。ならワガハイも相応の手を取らせてもらうド」
「ほぅ? どう見ても戦う者の姿ではないが、貴様に何ができる?」
「勿論、こ――」
懐から何かを取り出そうとしたドーナルドの腹部を、瞬時に間合いを詰めたニックの拳が打ち抜いた。だがその妙に軽い手応えにニックが首を捻る前で、吹き飛ばされたドーナルドの体がボンという音を立てつつ、煙となって消失する。
「む?」
「せっかちすぎるド!? 流石に台詞の途中で攻撃されるとは思わなかったド! これだから学のない奴は――」
いつの間にか背後に立っていたドーナルドに、再度ニックの拳が突き刺さる。だが今回も結果は同じで、やはりニックの背後には傷ひとつ負っていない男の姿があった。
「意味が無いからやめるド。そもそもこんな危ないところに何の対策も無しにやってくるわけないド」
「面妖な。学者というよりも、軽業師かあるいは奇術師でも名乗ったらどうだ?」
「ワガハイの魔学をそんなペテンと一緒にするなド! これはもっと崇高な……まあいいど。どっちにしろ今はワガハイを傷つけるのは無理だド」
「それを自分で言うのか?」
「だーって、そう言わないとオッサンはずーっとワガハイを攻撃し続けるド? 正直もう無視して帰ってもいいドが、せっかくここまで来たから、できればきちんと研究成果を確認したいのだド」
『何処までもふざけた男だな。流石に無限に無効化できるとは思えぬが、どうするのだ?』
「わかった。ならばその成果とやらを見せてみるがよい」
格闘の構えを解き、ニックはその場に仁王立ちになった。それを見てドーナルドは満足げに笑い、懐から魔導具を……ニックが手にしているそれを小型化したものを二つ取り出し両手に持った。
「さあ、それじゃ刮目して見る――っド!?」
その瞬間、直立していたはずのニックが瞬きほどの時間で三度ドーナルドに肉薄し、今度は手にした魔導具を殴り飛ばした。だがそれでも結果は変わらず……それどころか悪化する。
「まったく油断も隙も無いド! ワガハイの研究成果を見るんじゃなかったド!?」
ニックの背後。三人に増えたドーナルドのうちの一人が抗議の声をあげる。
「フッ。ちゃんとその魔導具を見たではないか! お主のような男に何もさせるつもりはなかったが、まだ届かぬか。ならば……っ!」
「もういいド! オッサンの事は気にせずさっさと使ってやるド!」
ニックの拳が増えたドーナルドを次々と殴り飛ばす。だが消えても消えてもドーナルドは復活し、その言葉は止まらない。
「炎と氷 光と闇 互いに反する二つの力♪」
「くっ! このっ!」
「ぶつけて弾けてひとつになったら♪」
「ええい、鬱陶しい!」
「一体全体、ど~なるドー?」
おどけるように体を弾ませ、奇妙な歌が終わると同時にドーナルドが両手に持った魔導具の丸い部分をゴツンとぶつける。すると太陽の如き眩い輝きが生まれ、流石のニックも一瞬目をつぶってしまう。
「ぐぅ!? な、何だ……!?」
『何だあの物体は!?』
「答えは簡単! こーなるドー!」
それでもすぐに視界を取り戻したニックの目の前には、くすんだ緑と血のような赤の混じりあう、人型の光のもやのようなものが出現していた。
「フッフッフ。これぞワガハイの研究成果! この山で集めた力をアンチ・エナジーに変換した結果だド!
……てっきり辺り一帯を対消滅させるような爆発が起きるかと思ったのに、魔物になるとは意外だったド」
「結果がわかっていてやったわけではないのか!?」
「オマエは本当に馬鹿だド。結果がわかってるなら実験する必要なんて無いド! わからないからこうして実験を繰り返しているんだド!」
「ぐっ……」
呆れた顔で見下すドーナルドに、ニックは一瞬言葉を詰まらせる。
「さあ、ワガハイの魔学によって生み出された反魔物よ! この学のない筋肉親父をケチョンケチョンにしてやるド!」
「グォォォォォォォォ!!!」
「チッ。何だか良くわからんが、向かってくるなら倒すまでよ!」
歪な人型をした赤と緑の魔物を前に、ニックは再び拳を握った。