父、遭遇する
「これは……」
『思ったよりも時間が無さそうだな』
手早く町を出ると、周囲に被害が出ない程度の速度で一目散にサム・イーネンへと走り抜けたニック。今回ばかりはすれ違う冒険者の驚き戸惑う様も無視して一気に山頂付近までたどり着くと、そこに広がっていたのは思った以上に「火山化」とでも言うべき状況か進行した光景だった。
「だが、まだ間に合う。問題はあの魔法道具……いや、効果の強さからして魔導具と呼ぶべきか? とにかくあれが何処にあるかだが」
『火山ならば火口とわかりやすかったが、雪山の場合は……どうなのだ? 熱とは基本上に昇るものだ。山頂に魔導具を据え置くのでは効果が低そうだが……』
「とは言え、まずは行ってみるしかあるまい」
そもそも地元民ではないニックは、サム・イーネンの地形に詳しい訳ではない。魔導具を設置するのに最適な場所などわかるはずもないので、とりあえずは頂上まで登ってみることにした。すると……
「あったな……」
『何というか、こちらもまたあからさまだな』
サム・イーネン山頂。そこは雪山だというのに見事な火口ができていた。と言っても溶岩が湧き出しているわけではなく、元々分厚い氷だった部分が溶け、すり鉢状にへこんだ地形に大量の水が溜め込まれていたのだ。
そして、透明な水の底には件の魔導具が透けて見える。本来の山肌だと思われる場所に固定されたそれは水の中にも関わらずパチパチと青い火花をほとばしらせており、その度に周囲の氷が少しずつ溶かされているように見える。
『この量の水が一度に溢れたら、それだけでも結構な惨事だぞ。上手い具合に木や岩を巻き込んで流れれば町まで濁流が押し寄せる可能性も否定できぬし、何より……』
「途中にいた冒険者達か」
今回のことはあまりに急だったため、サム・イーネンで活動する冒険者達には何の通達も為されていない。実際ニックはここにたどり着くまでに結構な数の冒険者達とすれ違っていたが、彼らがこれに耐えきれるとは到底思えなかった。
『とは言え、この様子なら放っておいても二、三日は持ったであろうし、今すぐ壊してしまえば関係の無いことだ。水の底だが、やれるな?』
「当然だ!」
「やれるか」ではなく「やれるな」と言ったオーゼンの言葉に、ニックは自信たっぷりの笑顔で答える。今回は服を着たまま水の中に跳び込んだニックは、魂すらも凍えそうな冷たさなど意に介することなくスイスイと水中を泳ぎ、すぐに光を放つ魔導具のところまでたどり着いた。
(流石にここで壊すのは不味いか?)
如何にニックと言えども水中であれば多少は動きが阻害される。不測の事態を考えても陸上の方が対処しやすいと判断し、ニックは魔導具の丸い部分を両手で掴んだ。バチバチと走る火花が肌を焼く感触があるが、気にせずそのまま水中に足を着き、グッと力を入れて魔導具を持ち上げてみる。
「むうう……うんっ!」
魔導具は強い力で床に張り付いていたが、ニックがほどほどに力を入れたことでべりっと剥がれ、同時に魔導具からの火花が止まる。それを確認すると、ニックは魔導具を持って水上へと戻っていき、そのまま地面の上まであがった。
「ふぅ……外してみたが、何も無かったな」
『そうだな。もっと何かしらあるかと思ったが……やはりこの魔導具は、破壊されることを想定していなかったのだろう』
「だな。で、どうする? 一応壊しておくか?」
『ふむ。できれば調べたいところだが……』
「どーなってるドー!?」
「うむ?」
不意に、山の岩陰から大きな声が聞こえてきた。ニックがそちらに顔を向けると、そこにはあからさまに場違いな格好をした人の姿がある。
「まーったく! 今更装置に不具合とかあり得ないド! 一体何が……あーっ!?」
極寒……今はそこまでではないが……の雪山に全くそぐわぬ、貴族が夜会で着るようなピッタリとした深緑色の服の上に薄手の白いシャツを羽織った小太りの男。それがニックの手にした魔導具を見て指をさしながら大声をあげる。
「ちょっ、オッサン何をやってるド!? それは触っちゃ駄目な奴だド!」
「な、何だお主!? やめっ、触るな!」
「それはこっちの台詞だド! いいから早く返すドー!」
ドタドタと走り寄ってきた謎の男が、ニックの手から魔導具を取り戻そうとする。だがその動きは明らかに素人であり、武器のひとつも構えていない。それ故にニックは戸惑い、とりあえずその男を押しのけるだけに留めている。
「ワガハイの! それはワガハイの研究成果だド! 返すド! 人の物を盗ったら泥棒なんだド!」
「それはそうだが……いや、そう言う問題ではない! そもそも貴様は誰だ! これで一体何をしようとしていたのだ!?」
「……ワガハイを知らないド?」
「全く以て心当たりが無いな」
ピタリと動きを止めたその言葉に、ニックは軽く考えるそぶりを見せながらもそう答える。多少とぼけたところのあるニックだが、どう考えても見忘れるとは思えない特徴に溢れたこの男に、思い当たる名前はひとつもない。
「そうかド。知らないのかド。知らないからこそ、ワガハイの崇高な実験を邪魔しているのかド。己の無知を自覚すらしなければ、罪を罪とすら認識しない……これだから学のない奴は嫌いだド。特にその筋肉が全てみたいな体は最悪だド」
「ぐぅ、酷く馬鹿にされている気がするのだが……」
「気がするじゃないド。はっきりと見下しているんだド……ふぅ、仕方ないから無知な筋肉親父に教えてやるド。ワガハイの名はドーナルド! 魔学者ドーナルドだド!」
「魔学者?」
「そうだド! 現代の魔法は明らかに一度衰退しているんだド! なればこそかつての英知を取り戻し、更にそれを凌駕して新たな時代を築く! それこそが魔学の道! そしてその最先端を行くのが、このワガハイ、魔学者ドーナルドだド!」
「そ、そうか……」
偉そうに胸を張るドーナルドに、ニックは微妙な返事を返す。
『ふむ。文明の衰退を理解し、それを取り戻すどころか先を行こうと努力しているのか。それ自体は素晴らしい試みだと思うが……』
「で、その最先端の魔学者とやらが、こんな所で何をしておる? この装置は何だ? その目的は?」
「グフフ。知りたいド? 興味があるド? そうかそうか! それなら無学な中年に特別にこのドーナルド様が教えてやるド!」
何とか怒りをこらえて笑顔を作るニックに、ドーナルドは開くまで上から目線のまま楽しげに言う。そして次の瞬間――
「アーーーーンチ! エナズィィィィィィィィ!!!」
「うおっ!? な、何だ!?」
突然叫んだドーナルドに、ニックが驚きの声をあげる。だが叫んだ本人であるドーナルドはすぐに普通の表情に戻ると、そのまま言葉を続けてきた。
「たとえば、炎の中に氷を入れたらどうなるド?」
「どうと言われても……氷が溶ける、か?」
「そうだド。正確には氷が炎の熱を奪い、炎が氷の冷気を奪う。相反する二つの力がぶつかり合うと、それぞれが打ち消し合って消滅してしまう……これが今までの常識だド。
でも、ワガハイはそれに異を唱えた。その力は消えるのではなく、ワガハイ達が未だ知り得ない他の何かに置き換わっているのではないかと! 消滅ではなく昇華! 消えるのではなく生まれている! それこそがワガハイのアンチ・エナジー理論なのだド!」
「むぅ……?」
『あり得ぬ……と切って捨てるのは簡単だが、アトラガルドの魔導技術とてその始まりは荒唐無稽なものであり、きちんと法則が証明されるまでは妄想だと馬鹿にされた技術も皆無ではない。ならばこの男の言葉にも聞く価値はありそうだが……』
「ハァ。やっぱり筋肉まみれの中年男じゃワガハイの崇高な理論は理解できないみたいだド。なら特別! 今回は特別の特別に、それを実践して見せてやるド!」
「あー、いや、そんなことよりこの魔導具で何をしていたのか……いや、そうか!」
ドーナルドの言葉から、ニックの頭にその答えが閃いた。
「お主のその、あん……あんち、えなじーか? その実験をこの山で行っていたということか」
にわかに迫力の増したニックの視線を正面から受け止め、ドーナルドの道化師の顔がニヤーッと笑みを浮かべた。





