父、引き受ける
「それは……大事だな」
真剣な声を出すニックに、コレッキリが会話に入ってくる。
「アツ・イーネンの気温が下がり、雪山になりました。これも勿論大事ですけど、サム・イーネンが火山になるのはそれとは比較になりません。もしもアツ・イーネンの様なペースで暑く熱くなっていくとしたら……」
「大洪水か……」
アツ・イーネンが寒くなる分には、単に溶岩が固まるくらいで即座にの被害は無い。だがサム・イーネンが暑くなり、何百年、あるいは何千年とかけて蓄えてきた雪や氷が全て溶けて水になったら、その被害は計り知れない。
「一応聞くが、対策は?」
「あるわけないだろ」
ニックの問いに、アッタが苦笑して答える。
「イーネン山脈の気温が変わるなんて、歴史書にすら書いてない。千年前から変わらない山の雪が一気に溶けるなんて想定してる訳がないし、そもそも対策しようもない。あの山の雪が全部溶けて生じた洪水から町を守る防壁なんて、地方の町ひとつでどうにかなる規模じゃないしな」
「そうか。まあそうであろうな」
チョードは決して大きな町ではないが、それでもゴブリンなどの侵入を防ぐためにニックよりも高い町壁がぐるりと一周張り巡らされている。だがそれはあくまで魔物や人間が無造作に町に入り込むのを防ぐものであって、当然山ひとつ分の洪水などが押し寄せればあっさりと倒壊してしまうだろう。
「それでも常識の範囲内で気温が変わるなら対処はできたさ。ちゃんと緊急時の予算は組んであるし、一〇年もあればサム・イーネンの方角にだけ鋭角の壁をつくり、とりあえず一回水を受け流すくらいはできた……はずだ。まあどの程度の効果があるかは実際やってみないとわからないけど」
「ですが、今回の気温変動はあまりにも急すぎる。アツ・イーネンの変化を見れば、サム・イーネンが火山になるまで一〇日あるかないか。そしてその過程で一定以上にまで気温があがれば……」
「氷混じりの濁流が町に押し寄せる……かも知れない」
「むぅ……」
真剣な二人の表情に、ニックは眉根を寄せて小さく唸る。実際には一気に雪や氷が水になるわけではないのだから、洪水というよりは大規模な雪崩が起こるのが普通だ。普通だが……そもそもこんなことが起こること自体が普通ではない。今ある雪や氷の量が一定量を下回り、冷却能力がしきい値を下回ったところで一気に加熱が進行、全て水になるという可能性も決してゼロではないのだ。
「なるほど、大体わかった。ということは、儂がここに呼ばれた理由は……」
「はい。今すぐにサム・イーネンに赴き、山の気温を変動させている原因と思われる魔法道具の破壊をお願いします」
「いいのか?」
ニックの言葉に、コレッキリが思い詰めた表情で頷く。
「私もこの町で生まれ育った身。この町の発展に繋がるならとあの魔法道具の活用法を考えてはいましたけど、町を犠牲にしてまでなんて到底思えません。この独断がギルドマスターの地位を剥奪される結果を生んだとしても、後悔はしませんよ」
「俺が後ろ盾になってやれればいいんだけど、所詮は次男の放蕩息子だからな。あー、シッタの兄貴も本やら夜会やらで聞きかじった知識ばっかりじゃなく、ちゃんと現場の人間の声を聞いてくれればなぁ」
「はは。構いませんよ。町のためなら、このくらい」
悔しそうに言うアッタに、コレッキリが笑って言う。震える手は決して無理をしていないというわけではないだろうが、それでもその瞳には覚悟の色が窺える。
「それで、どうでしょう? アッタさんが確認したわけではありませんけど、話を聞く限りサム・イーネンの山頂にもアツ・イーネンと同じ魔法道具があると思われます。ですがそれを壊したらどうなるのかは誰にもわかりません。
酷く危険で、かつ急を要する仕事です。それを余所から来たばかりのニックさんに頼むのはとても心苦しいのですが……でも、他に頼れる人がいないのです」
「本当なら俺達がもう一度登ってその魔法道具を壊してこれればいいんだが、アンタみたいに身軽にはいかない。勿論すぐに……ってか既に仲間がもう一度サム・イーネンに登る準備に走ってるが、強行軍でも山頂までは五日はかかる。
だから……頼む。伝説の魔物を二体とも仕留めた、イーネン山脈の新たな伝説の男。ニックさんの力を、どうかこの町に貸してくれ」
そう言うと、アッタが座りながらも頭を下げた。いかに貴族らしくない男とはいえ、貴族が平民に頭を下げるのは相当なことであり、その肩は微妙に震えている。
ただし、それは決して屈辱ではない。己の町を己で守れない自身の無力さをこそ悔やみ、アッタは肩を振るわせる。
「アッタさん……私にできることであれば、大抵のことは致します。都合のいい願いだとわかってはおりますが、どうか、どうかこれきり、一度きり! 私達に力を貸してください……っ!」
そんなアッタの姿に、コレッキリもまた頭を下げる。ギュッと閉じた瞳からは、思いが溢れてひとしずくの涙が床に落ちた。
『さて、どうする? まあ貴様の考えることなど、我には全てお見通しだがな』
「フッ」
からかうようなオーゼンの言葉に、ニックは小さく笑みをこぼす。覚悟を決めた男の頼み、町を思う男の涙。それらを前にしたニックの答えなど、それ以外はあり得ない。
「わかった。その依頼引き受けよう」
「おお! 本当ですか!」
「流石ニックさん! 伝説を狩った男だぜ!」
顔を上げパッと表情を輝かせた二人に、ニックは笑顔でドンと胸を叩く。
「任せておけ。壊した結果に関してまでは保証できんが、壊すことまでは間違いなくやり遂げよう。その後に関しては……まあできる限り、となってしまうが」
「それで十分です! それで、報酬の方なのですが……」
「あー、そういうのは仕事を終えてからで構わん」
コレッキリの常識では、これは帰れない可能性の高い仕事だ。だからこそ報酬を先払いしようと思ったのだが、ニックはそれを笑って否定する。
「……宜しいのですか?」
「無論だ。今は一刻を争うのだし、別に弱みにつけ込んだりせずともきちんと報酬は払ってくれるのだろう? ならば帰ってきてからゆっくりと決めさせてもらうさ」
「ええ、ええ! 勿論です! チョードの町のギルドマスターとして、ニックさんの働きに相応しい報酬をお支払いすることをお約束致します!」
「お? いいのか? 聞いちゃったぜギルマス。よしニックさん。俺が証言してやるから、さっさとこんな問題片付けて山ほど報酬もらって、それで二人で美味い酒を飲もうぜ?」
「何だお主、儂にたかるつもりか?」
「勿論、その気満々だぜ! だから……俺に酒を奢らせるなよ?」
ニヤリと笑うアッタの顔に浮かぶのは、大きな期待と幾ばくかの不安。冒険者として長く活動してきてからこそ、帰らぬ友に幾度も酒を奢ったことのある経験と寂寥。
それを理解すればこそ、ニックは力一杯その不安を笑い飛ばす。
「ガッハッハ! お主のような若造に奢ってもらうほど耄碌はしておらぬわ! すぐに吉報を持って戻ってこよう!」
言ってニックは立ち上がると、颯爽と部屋を出ていった。その大きな背中を見て、残った二人の胸の内から不思議と不安な気持ちが薄らいでいく。
「でっかい人だなぁ……俺もあんな男になりたいぜ」
「不思議な人だ。私など実際に会ったのはほんの僅かな時間なのに、あの人ならば全て上手くやってくれそうな気がする」
「だなぁ。って、そうは言ってもニックさんに任せっきりってのは格好がつかないぜ? 俺は仲間と合流して準備を続けるから、ギルマスは冒険者達の方に避難指示とか出してくれよな。あ、あと兄貴じゃなくて親父に直接町人の避難指示を出せって伝えてくれ。それで大丈夫なはずだ」
「シッタ様を飛び越えて意見を言うと、後が怖いんですが……そのくらいは覚悟しましょう」
顔を見合わせ苦笑して、二人はそれぞれの仕事に取りかかる。皆が皆、自分にできることを。そんななかでもっとも「できること」の大きい筋肉親父は、既に弾丸の如き勢いでサム・イーネンへと走り出していた。





