父、待ちぼうける
「邪魔するぞ」
ニックが情報をもたらしてから、一週間後の朝。一番忙しい時間帯は過ぎているとはいえ、かつて活気に溢れていた冒険者ギルドも今は閑散としていた。
「あ、ニックさん……」
「何というか、随分と人が減ったな」
「仕方ないですよ。事実上の入山規制ですからね」
「まあ、あれではなぁ……」
受付嬢の言葉に、ニックは思わず窓の外に視線を向ける。その先にはアツ・イーネンが……かつて燃え盛る火山であった雪山が、その偉容を称えていた。
「ホント、何をどうやったらこんな短期間にこんなことができるんでしょうか? 山を雑に扱いすぎたことに神様が怒ったとか、あるいは魔王の呪いなんて噂まで流れてますけど……クシュン!」
可愛いくしゃみをした受付嬢が、寒そうに己の腕を抱いて身を震わせる。それは二山に関わる冒険者以外のこの町の住人が初めて感じる寒さであり、それ故にこのところ町では風邪が大流行していた。
「うぅ、鼻がむずむずする……あ、すみません。お見苦しいところを」
「いやいや、気にせずともよいが……大丈夫か? 町でも体調を崩している者が随分と多いようだったが」
「チョードの町は一年中気温が変わらなかったですからね。この町で生まれ育った人は、みんな戸惑ってる感じなんです。私達は建物の中だからまだいいですけど、一番困ってるのは農家の人達ですね」
「そうか、作物は……」
「ええ、ほぼ全滅みたいです」
ニックの言葉に、受付嬢が沈んだ声で答える。この町の作物は気温の変動を一切考慮されていないため、急激な冷え込みに大打撃を受けていたのだ。
「この町、これからどうなっちゃうんでしょう? このまま極寒の町とかになったりしたら……それはそれで商売になるって言ってる人もいますけど、私は暑いのも寒いのも苦手です……うぅ」
「ははは。それは商魂たくましいことだが、さてなぁ」
ニックは当然、この急激な環境変化があの魔導具のせいだと読んでいる。だがここまで大きな影響力があると勝手に破壊する訳にもいかず、今はギルドマスターであるコレッキリと、この町の有力者達が連日行っている話し合いの結果を待っている状態だ。
『これほどの力がある魔導具となれば、使い道はいくらでもあるからな。様々な思惑があるのだろうが……巻き込まれる町人達はいい迷惑であろうな』
「全くだ。あんなものさっさと壊してしまえばいいだろうに」
「ニックさん? 何か言いました?」
「あー、いや、すまん。ただの独り言だ」
オーゼンへの同意を聞かれ、ニックは慌てて言葉を濁す。つい口に出してしまったのは、自分もまた強く同じ思いを抱いているからだ。
『クックック、迂闊だったな愚か者め。とは言え、あれを即座に壊してしまえと言えるのはおそらく貴様だからであろう。この町の統治者達も、そのくらいに単純であればよかったのだが』
笑うオーゼンに、ニックはポスンと腰の鞄を叩く。もっとも、そんなオーゼンの言葉はからかい半分ではあったが、もう半分は深い敬意であった。
(火山を雪山に変えられる程の魔導具となれば、軍事にも政治にもいくらでも利用方法が思いつく。それをあっさり「民の為に」と切り捨てられるのは……どうなのだろうな?)
オーゼンの内にある王の器を図る天秤は、どちらにも傾かない。大きな力を民の為に切り捨てる潔白さと、国の為に利用しない愚かさが釣り合っているからだ。
(フッ。この男の場合は全ての前提が違うのだから、詮無いことか)
だが、そこに「ニック」と言う男を当てはめると答えが変わる。誰よりも何よりも強く、常識どころか常理すら拳一つでねじ曲げるこの男であれば、それ以外のどんな力も必要ない。
力を取り除き潔白だけに傾いた天秤を、上から押し潰す巨大な錘。それこそがニックという男なのだとオーゼンは一人ほくそ笑んだ。
「それで、今日はどの依頼をお受けになりますか?」
「そうだな……何かおすすめはあるか?」
「でしたら、こちらはどうでしょう? 一気に寒くなったせいで、サム・イーネンに登る冒険者さん御用達の防寒具が跳ぶように売れて、在庫が全然無いんです。なので材料になる――」
「ギルマスはいるか!」
不意に、ニックの背後……ギルドの入口から怒鳴るような声が響く。ニックが思わず振り返ると、そこには見るからに暖かそうなモコモコの装備に身を包む冒険者パーティの姿があった。
「あれ? 皆さんどうされたんですか? 帰還の予定はもう少し先――」
「いいから! 早くギルマスを呼んでくれ、大至急だ!」
「わ、わかりました!」
「何だ、どうした?」
「あれ、サム・イーネンを登るって言ってた奴らだろ?」
「うわ、俺なんか嫌な予感がしちゃうぜ……」
静かだった冒険者ギルドが、にわかに喧噪に包まれる。すぐにコレッキリがやってきたが、先ほど声を上げた男がその体を掴むようにしてギルドの奥へと消えていった。
「今のは?」
「あ、はい。あの人達はニックさんに触発されて、ここ数年誰も登っていなかったサム・イーネンの山頂を目指していたパーティなんですけど……」
「ニックさん! いますか!?」
「おぉぅ!? 今度は何だ!?」
さっき奥に消えたばかりのコレッキリが、猛烈な勢いで走って戻り、大声でニックの名を呼ぶ。
「良かった、いた。まあニックさんを見間違えるとは思えませんけど……って、違う! ニックさん、今すぐこっちに来て下さい!」
「うむ? それはいいが、一体何が――」
「いいから早く!」
「お、おぅ。わかった」
まるで人が変わったように強く押してくるコレッキリに、ニックは若干戸惑いながらも先日通されたギルドマスターの執務室へと入っていった。するとそこにはさっきすれ違うように出会った冒険者の姿もある。
「さあ、そこに座ってくれ。すぐに話を始めよう」
「うむ」
既に席に着いていたその冒険者の隣に、ニックが腰を下ろす。そんな二人の正面にコレッキリが腰を下ろすと、ニックの隣に座っていた冒険者が会話の口火を切った。
「それじゃ、まずは俺から説明しよう。あれは――」
「いや、ちょっと待て。そもそもお主は誰なのだ?」
問うニックに、その冒険者は一瞬キョトンとした表情をするも、すぐに気を取り直して苦笑いする。
「あー、そうか。ニックさんは余所の人だもんな。俺はアッタ。この町の領主であるカイネン家の次男で、銀級冒険者のアッタ・カイネンだ」
「おっと、貴族だったのか。これはとんだ無礼を……」
「その辺は気にしなくていいさ。冒険者なんてやってる時点で、身分がどうこうなんて言ってる意味ないしな。俺に対しては普通に話してくれ」
「そうか? わかった。ではその言葉に甘えよう」
「じゃ、話を戻すぜ。えーっと……まあ、あれだ。俺と仲間達はアンタが伝説の魔物を狩ってきたのに影響されて、地元の冒険者としてせめてどっちかの山の山頂にくらいは行ってみようぜって話になって、ついさっきまでサム・イーネンを登ってたんだが……そこで信じられない光景を見たんだ」
「ほぅ? 何を見たのだ?」
ニックの相づちに、アッタは己の興奮を抑えるようにギュッと両の拳を握りしめてから更なる言葉を続ける。
「……溶けてたんだ」
「溶けてた? それはまさか……」
「そうだよ。サム・イーネンの山頂……吐く息すら凍るはずの極寒の地で、ガッチガチに固まってたはずの氷が溶けてきてたんだ」
「っ……!?」
『何だと……!?』
その言葉に、ニックはハッと息をのむ。それを確認してから、アッタは深刻な表情のままその言葉を口にした。
「サム・イーネンの気温が、上がってきてるんだ」





