父、手を繋ぐ
それは古代を越える神代の遺産。一なる世界から砕けた破片を命が生存するに足る環境へと整えた、計り知ることすらできない理の力。
その英知は何万年と過ぎゆく時で、何万回と繰り返した大小様々な戦の果てに途絶えすり切れ、もはや飛沫を残すのみであったが……それでも偉大なる神の力は管理者の血に刻まれた遺伝子を確かに読み取り、その呼び声に応える。
「光が、溢れる……!? ニック様!?」
「どうやら上手くいったようだな。ほれ」
全身を輝かせ振り返るアルガに、ニックはゆっくりと下降しながら足下へと目線を落とす。釣られてアルガが下を見れば、小さな……だが見慣れた人影がこちらに向かって大きく手を振っているのが見える。
「「姫様ー!」」
「ヴィキニス! セパレーティア! ニック様!」
「ゆっくり降りるから、しっかり掴まっているのだ」
「はい!」
掲げていた台座をギュッと掴むと、アルガがニックの首に腕を回す。そうしてニックが地面に降り立つと、すぐにヴィキニス達が駆け寄ってきた。
「姫様! ご無事ですか!」
「ヴィキニス……ええ、大丈夫です。貴方の方はどうですか? ただ見ていただけ……ではなかったようですが」
ヴィキニスの鎧が、陰獣に食われる前よりも更にその面積を小さくしている。もはや胸と腰しか覆っていない三武の状態のヴィキニスが、そんなアルガの問いに照れくさそうに頭を掻いて答える。
「はい。あのでっかい陰獣、確かに動けなかったんですけど……何か尻尾を振り回したら、その軌跡から普通の陰獣がぶわって湧き出してきたんです! で、妹と二人で必死になって迎撃してたんですけど……」
「陰獣が悲鳴をあげるのと同時にその背中から何かが飛び出して来て、すぐに上空で激しく光が広がったかと思ったら、湧き出してきた方の陰獣は全て消し飛んでしまいました。
姫様達が食われた陰獣は一応健在ですけど……」
そう言ってセパレーティアが視線を向けた先には、息も絶え絶えの巨大な陰獣の姿がある。その性質上背中に大穴が空いたことは致命傷たり得ないが、蘇った神の光は流石に耐えきれなかったのだろう。
「ふむ。たとえ敵であったとしても、なぶるような真似はすべきではあるまい。とどめを刺してやりたいところだが……アルガ、協力してくれるか?」
「勿論です」
ニックの願いに、アルガがその手を差し出してくる。それをニックがギュッと掴むと、アルガの体に宿っていた光がニックへと伝播し、その体が淡い光に包まれていく。
それを確認したニックは、手を繋いだまま陰獣の鼻先へと歩いて行った。
「フゴーッ……フゴーッ…………」
「お主を許容できぬ世界を、狭量だと笑わば笑え。それでも今を懸命に生きる者のため……眠れ、神の光から生み出されし陰獣の王よ」
ニックの拳が振り下ろされ、断末魔の声をあげることすらなく陰獣の頭が吹き飛ぶ。通常ならばそれでも再生するのが陰獣だが、広がる光が一瞬だけ陰獣の体を膨らませ、次いでその中身が全て光の粒子となり、後には巨大な陰獣の皮だけがペラリとその場に横たわった。
「…………終わったのですね」
「そうだ。とりあえずはな」
「とりあえず、ですか? どういう……えっ!?」
ニックの言葉に首を傾げるアルガだったが、その手に持ったご神体の光が急速に弱まっていくのを見て驚愕の声をあげてしまう。
「に、ニック様!? 神が! 光の神ラーのお力が……!?」
「ああ、大丈夫だ。さっきは……あー、あれだ。寝ぼけていた神を目覚めさせるために儂の力をいくらか分けてやったのだが、それが尽きたからまた眠りに就いたという感じだな。
力を喰らう陰獣がいなくなった以上、放っといてもそのうち力を取り戻していくはずだから、安心せよ」
実際にはオーゼンが自らの魔力の半分ほどを注入し、一瞬だけ魔力光調整機構を起動させただけなのだが、この世界に来てから誰も「魔法」や「魔力」を扱っている形式がなかったため、オーゼンの助言に従いニックがそう誤魔化す。するとアルガは目に見えて安堵し、ホッと胸を撫で下ろした。
「そう、なんですか? よかった……」
「え? 勇者様が神様に力を分け与えたんですか? 逆じゃなくて?」
「何言ってるの姉さん? あんな滅茶苦茶なことができる全神の勇者様なんだから、神様と同じくらい凄くて当然じゃない」
「ああ、それもそっか」
ホッと胸を撫で下ろすアルガの側で、ヴィキニスとセパレーティアがそんなことをこそこそと話している。その内容に思うところがなくもないニックだったが、これだけのことをやらかした上に真実全てを告げるわけにもいかないため、ただ憮然とした表情を浮かべることくらいしかできない。
(なあオーゼンよ、どうして本当の事を伝えてはならんのだ?)
『理由は幾つかあるが、まずは話したところで理解できず、単に不信感を煽る結果にしか繋がらないこと。次には我にも本当の詳細まではわからない故、適当なことを告げるわけにはいかないこと。そして一番の理由は……』
(何だ?)
『……何をどう説明しても、貴様が今以上に神扱いされるのが避けられないからだ。本気で祭り上げられたいというのであれば構わんが』
(……よし、真実は儂等の胸の中にしまっておくことにしよう)
「ニック様? どうかなさいましたか?」
「いや、何でも……あー、そうだ。その陰獣の皮をどうしようかと思ってな」
露骨に話題を逸らしたニックが慌てて視線を向けた先には、ビロンと陰獣の皮が広がっている。それを見たアルガは小さく頷き、すぐに真剣な表情で考え始める。
「確かに、これほどの陰獣の素材を無駄にしてしまうのは勿体ないですね。あの光を浴びてなお灰にならなかったなら、おそらくは通常と違って未加工でも当分は保つと思いますが……どうしましょう? 城に戻ってから兵士達に回収してもらいましょうか?」
「いや、それには及ばん」
アルガの問いにそう答えると、ニックはクルクルと陰獣を皮を丸めていく。そうして全長三〇メートルほどの皮の円柱を作り上げると、片方の先端を肩に担ぎ、残りをズルズルと引きずるようにして何歩か歩いてみた。
「うむ、重さは問題ないな。素材的に持ち上げられぬから地面に擦れたところは多少痛んでしまうだろうが、まあやむを得まい。」
そう言って笑うニックの姿を、三者がそれぞれの表情で見つめる。抱く感想は様々だが、慣れも呆れも憧れもその全てを受け入れて筋肉親父は楽しげに笑顔を浮かべている。
「さて、ではやることもやったし、帰るか」
「はい!」
「帰る……そっか、帰れるんだ! やったー、勝利の凱旋だー!」
「まさか本当に生きて帰れるなんて……」
ニックの言葉にアルガが輝く笑顔で返事をし、ヴィキニスやセパレーティアもそれぞれの気持ちを漏らす。
それは決死の戦い。誰も口には出さずとも、誰もが死ぬと覚悟して、それでも避けることなどできなかった運命の戦。
だが、終わってみれば誰一人、大きな怪我すらしていない。山を登ったその時のまま、全員揃って聖地を後にする……その意味を誰よりも噛みしめているのは、他でもないアルガだ。
(生きてる……私、生きてる…………)
既に服は乾いており、半神の力は失われている。だがそれでも体には命が満ち、そっと胸に手を当てれば静かな鼓動が感じられる。
見上げれば、空には太陽。それがあまりにもキラキラと眩しいのは、一瞬であれ神が目覚めたからか、あるいは自身の内に希望が溢れているからか。
「どうしたのだアルガ?」
「……いえ、何でもありません。さ、行きましょうニック様!」
「む? ああ、行こう」
王女としての使命を果たし、今だけはただの少女となったアルガが空いている方のニックの手を掴むと、ニックはそれを笑顔で握り返してくれる。
全神の勇者の手は、降り注ぐ日差しのように温かかった。





