父、手段を選ぶ
「……え? 何が? え!?」
「ブモォォォォォォォ!?」
あまりにもあり得ない光景に、アルガ達と陰獣の混乱の声が奇しくも重なる。そしてそんな状態を生み出した筋肉親父は、巨大な陰獣の下で愉快そうに笑う。
「はっはっは! どうだ! これならば何もできまい。ほれ、アルガよ。早くこっちに来るのだ!」
「あっ!? は、はい! ただ今!」
ニックに名を呼ばれ、呆気にとられていたアルガが小走りにそちらに近づいていく。勿論すぐにヴィキニス達も追いかけるが、その視線はどうしても逆さまになった陰獣に引き寄せられてしまう。
「えぇぇぇぇ? こんなのアリなの……? そりゃひっくり返されたら何もできないだろうけど……えぇ?」
四つ足型である陰獣の足は、天に向かってジタバタと暴れている。だがそれを持ち上げるニックは小揺るぎもせず、そうなると陰獣には何もできない。唯一猫のように長くしなやかな尻尾が地面を暴れ、その勢いで弾き飛ばされた小石などが周囲に飛び散っているが、七武程度の加護を宿しているならば無視できる威力だ。
つまり、神を封じていたはずの陰獣は今完全に無力化されている。それがたった一人の男の手によるものだという事実は、流石のヴィキニスでもすぐに受け入れることはできない。
「どうも私達は、勇者様の力を相当に低く見積もっていたみたいね。姉さん、まだあれを……全神を目指すの?」
「ごめん。ちょっと無理かも……」
あれはもう努力すれば届くとか、そういう感じの強さではない。思わず苦笑いを浮かべるヴィキニスだったが、不意にその耳にアルガの声が届く。
「ああっ!?」
「っ!? 姫様!」
それを聞きつけ、ヴィキニスが一瞬にして意識を切り替え、全速力でアルガの元に駆け寄る。するとアルガが地面に蹲って必死に何かを探しているのが見えた。
「姫様! どうされたんですか!?」
「ヴィキニス……無い、無いのよ! 光の神ラーのご神体が、何処にも無いの!」
「えっ!?」
必死なアルガの声に、ヴィキニスもまた周囲を見回す。だが持ち上げられた陰獣の下には砕けた石畳が広がるばかりで、それらしいものは何処にも無い。
「に、ニック様! ここに台座が……台座に乗った光る水晶玉のようなものがありませんでしたか!?」
「いや? こいつを持ち上げた時には何も無かったが?」
「そんな……何故、一体どうして……!?」
無限の光を放つ、謎の球体。それこそが光の神ラーの正体であり、それはここに確かに鎮座しているはずだった。だが今やその存在は跡形もなく、焦るアルガは外套を脱ぎ捨て、薄衣一枚となることで近くにあるはずの「加護の力の源」を探ろうとする。すると……
「…………陰獣の、中?」
「む? つまりそのご神体とやらは、此奴の胎内に取り込まれてしまっているというわけか?」
「おそらくは。まさかそんな事になっていたなんて…………」
衝撃の事実に思い至り、アルガが愕然とした表情をする。
陰獣は、あくまでも神を覆い隠しているだけ。だから少しでも動かすことができれば封じられていた神が解放され、増した加護によって陰獣を討伐することもできるだろう……それがさっきまでの自分達の認識であり、それが陰獣を討伐せねば神を解放できないとなると事情が全く異なってくる。
「……ヴィキニス。これはとても重要な情報です。万が一の時は私を見捨ててでも貴方は必ず国まで戻り、この情報を確実に陛下に伝えなさい」
「姫様!? そんなこと――」
「ヴィキニス! これは命令です」
「…………承りました」
強い瞳でそう言われてしまえば、ヴィキニスはその場で膝をついて頭を垂れるしかない。だがそれだけで終われるほどヴィキニスは物わかりがよくもない。
「でも! それはあくまで最後の手段ですから! 絶対私が姫様をお守りします! だから逃げるときは一緒です!」
「ふふ、そうですね。頼りにしておりますわ」
「というか、この場でこいつを倒してしまえばそれで終わりであろう? なあアルガよ、そろそろやってもらってもいいだろうか?」
「あっ!? も、申し訳ありません……セパレーティア、聖水をこちらに」
苦笑するニックに、アルガはすぐにセパレーティアから水筒を受け取り、中に入っていた聖水を頭から被る。すると水を吸った薄衣はピッタリとアルガの肌に張り付き、濡れて透けることで加護の力が更なる高みに……半神へと至る。
「……いきます、ニック様」
「うむ!」
アルガが手を触れられるように、ニックが若干腰を落として陰獣の位置を下げる。如何にも膝と腰に負担のかかりそうな姿勢にヴィキニスとセパレーティアが顔をしかめるなか、アルガは雑念の一切を振り切ってその手を陰獣の背に伸ばした。
「神よ、神よ。偉大なる光の神ラーよ。無垢なる我が身に、今こそその加護の力を!」
アルガの手に光が満ち、触れた陰獣の体毛が溶けるように消えていく。
だが、それだけだ。それ以上には何も起きない。そしてそれは当然のことだ。何故ならアルガの身長は一五〇センチを少し超えたくらいであり、いくらニックが腰をかがめたとしても陰獣の体毛を掻き分けて皮膚に触れるには高さが足りないのだ。
「……ヴィキニス!」
「はい! 何でしょう姫様?」
「私を掴んで持ち上げ……いえ、肩に載せて担ぎ上げなさい!」
「え? か、肩ですか!?」
「早く!」
「は、ハイ!」
顔を真っ赤にしたアルガの言葉にヴィキニスがその場でしゃがむと、アルガがその首の上に跨がるようにして担ぎ上げられる。そうして高さを得たアルガは、今度こそその輝く手を陰獣の皮膚へと押しつけることに成功し……その瞬間。
「む!? いかん!」
「きゃあ!?」
手のひらに生まれたチクリとした感触に、ニックは陰獣の巨体を横に放り捨て、同時にアルガ達の体を抱えてその場から離脱する。それとほぼ同時に陰獣の体毛が針のように鋭く尖り、投げ出され転がる陰獣の体毛がガリガリと石畳を削っていく。
「大丈夫か?」
「え、ええ。私は……ヴィキニス?」
「私も大丈夫です……セパレーティアちゃんは?」
「平気よ姉さん。ちょっとお尻を打っちゃったけど。でも……」
言ってセパレーティアがニックの背後に視線を向ける。そこでは投げ飛ばされた陰獣が体を起こし、興奮した様子でこちらを見ている。ザッザッと足で地面を削るほどに猛っていながら突っ込んでこないのは、取るに足らない小さな存在が自分の体を持ち上げていたという事実に強い警戒心を抱いているからだ。
「あれでは同じ方法は使えんな。儂はともかく、お主達ではあの体毛に貫かれればただではすむまい」
「どうしますか? ニック様」
「ふーむ……」
隣で問い掛けてくるアルガに、ニックは冷静に思考を巡らせる。
全ての体毛を毟り取ってしまうのは、再生速度の関係から無理だ。四肢を潰したうえで体毛の無い腹の部分を触らせるのは可能だが、こちらも完全に無力化できない以上暴れて振り回す足にアルガが蹴られる可能性が高い。
また、陰獣の胎内にご神体があると判明した以上、いざという時の手段として考えていた「王の鉄拳で纏めて吹き飛ばす」という選択肢が潰されてしまった。仮にやるとすればご神体を確保した後、つまり内側からならば……?
「なあアルガよ。儂は今からあの陰獣の胎内に入り、ご神体とやらを確保するために動く。お主は――」
「お供します」
ニックが言葉を終える前に、アルガが決意を込めた顔で言う。それを正面から見てしまえば、ニックには苦笑して受け入れることしかできない。
「わかった。ならば共に征こう。儂とお主であのデカブツを腹の中から食い破ってやろうぞ!」
「はい!」
ニヤリと笑うニックの手に、物理的にも輝く笑顔を浮かべたアルガがそっと自分の手を重ねた。





