父、対応を考える
「あーもう! きりが無い!」
大きな猿のような陰獣を切り捨てながら、ヴィキニスがそう愚痴をこぼす。既に五武の状態にまで鎧を外して肌を晒しているというのに、その戦い方には殆ど余裕がない。
「仕方ないでしょ姉さん! 元々軍隊で攻めるはずだったんだし」
そんな姉のすぐ側では、太ももと二の腕を晒して七武の状態になったセパレーティアが戦っている。自分の実力が大したことがないと理解しているだけに、その戦い方はあくまでも姉の補佐に徹するものだ。
「そうだけどぉ!」
「それに、勇者様がいてくれるから随分と楽をできているでしょう? でなかったらとっくに逃げ帰っているか、さもなくば死んでるところよ?」
「むぅー!」
妹の言葉に口を尖らせつつも、ヴィキニスはひたすらに剣を振るう。戦いの内にあってあえて口調を崩しているのは、張り詰めすぎると精神が持たないとわかっているからだ。
そしてそんな二人の周囲では、身長二メートルを超える全裸の筋肉親父が残像を残しながら縦横無尽に戦場を駆け回っている。
「ほれほれ! ドンドン行くぞ!」
「はいっ!」
敵の数が増えすぎたため、ニックはアルガを抱いたまま戦うという戦法を断念した。この数に対応できるほど速く動いてしまうと、アルガの体が保たないと判断したからだ。
その結果生み出された新たな戦法、それにより今この場では、陰獣の雨が降っている。
「フンッ!」
ニックの拳が妙に細長い四つ足の陰獣を殴りつけると、その体が吹き飛んで狙った場所に叩きつけられる。無論ニックの拳では陰獣を倒せないので、そのまま放置すればおおよそ五秒ほどで陰獣は復活してしまうのだが……
「すぅぅ……ハッ!」
外套の袖部分を外し、腕を肩までむき出しにしたアルガが目の前に落ちてきた陰獣に力を込めて手を触れる。すると陰獣がビクビクと震え、やがてアルガが手を触れていた場所からデロリと溶けて地面へと染みこんでいった。
「はー、すっごい……何かもう、凄い……」
本来ならば自分が矢面に立って戦うべきなのに、あまりにも凄まじすぎる全神の勇者の力を前に、ヴィキニスは知らずため息をついてしまう。唯一幸いだったのは、強さの次元が違いすぎることで自分と比較して落ち込んだりする余地がないということだ。
「ねえセパレーティアちゃん。もし私が全神に至れたら、私もあのくらい強くなるのかな?」
「さあ? もしくはあれだけ強いからこそ全神になれるのかもね」
「なるほど? って、それじゃ強くなれる未来が見えないよ……」
「よし、これで見える所は全て片付けたな。では新たな陰獣が湧く前に、少し急ぐぞ」
複雑な表情を浮かべるヴィキニスを余所に、パンパンと手を叩いたニックがそう宣言する。ひとまず周囲に敵影は無く、全員がホッと一息をつくも、休んでいる時間はない。下手に休憩などしたらまたいつ陰獣が湧き出てくるかわかったものではなく、体力の回復が消耗に追いつかない。
ならばこそ休むこと無く前進を続け……幾度もの戦闘で心身共に疲労を蓄積させながらも、遂に一行は聖地ハダ・カンボへと辿り着いた。
「酷い……」
明らかに人の手によって作られたであろう、山頂でありながら平らに削られた大地。そこには無数の瓦礫が散乱しており、僅かに立ち並ぶ折れた石柱がかつてここに荘厳な神殿があったのだろうという残り香を漂わせている。
そしてそんな場所の中央には、夜の闇よりなお黒い巨大にして強大な陰獣の姿。今もなお世界に注がれるはずの光を独占し、焼かれながらも肥え太るその異常な存在に、ニック達の目は否が応でも惹きつけられてしまう。
「あれが件の陰獣か……なかなかの大きさだな」
ごろんと寝転がっている陰獣は、体長およそ三〇メートルほど。全身を覆う黒く艶めく毛はその一本一本が剣のように鋭く尖り、猪のような顔をしていながらもその尻では猫のような細い尻尾がクネクネと蠢いている。
「フゴーッ……フゴーッ…………」
「……寝てる? 姫様、これ、今なら不意打ちできるんじゃないですか?」
「そう、ですね。でも、不意打ちと言っても……」
派手な寝息を立てる陰獣を見て、ヴィキニスがそう口にする。だがこれほどの巨体となると何処をどう攻撃すればいいのかがわからない。
「そう言えば今まで一切気にしなかったが、陰獣には急所のようなものはあるのか?」
「特には無いはずです。首を落としても死にませんし、以前に陰獣の死体を調査したという者の話では、内臓の類いも存在しないとのことでした。唯一その体を包む皮だけは素材として残りますが、それも放置すると一時間ほどで白く劣化して灰になってしまいますので」
「ふむ。手応えから予想はしていたが、やはり尋常な生命ではないわけか。だがそうなると対処法はかなり限られそうだな」
「はい。矢などの刺突系はほぼ無効、打撃系は一時的に行動不能にはできますが、体から千切れ飛びでもしない限りは時間経過で治ってしまいます。なのでやはりできるだけ小さく切断するか、あるいはさっきまでの姫様のように過剰な加護の力を流し込んで吹き飛ばしてしまうしかないかと」
顎に手を当て考えるニックに、セパレーティアが追加の説明をする。遠距離攻撃がほぼ無効で、切る以外に有効な傷を負わせる手段がないというのも、陰獣が大きな脅威である理由の一つなのだ。
「わかった。ならば儂があの陰獣の注意を引き、動きを止める。その間にアルガが近づいて神の加護を流し込むことで仕留める……という流れでいいのか?」
「それしかないでしょう。兄さんの聖剣ならともかく、姉さんではあの太さの足を切り飛ばすのは無理でしょうし」
「うぐっ……ま、まあ確かに無理だから仕方ないけど……なら姫様の護衛はお任せ下さい! 私が必ず守りきってみせますので」
「ええ、頼りにしておりますよ、ヴィキニス」
無理なことは無理と割り切り、早速思考を切り替えてそういうヴィキニスにアルガが微笑んで声をかける。そういう思い切りのよさと切り替えの速さはヴィキニスの大きな長所の一つだ。
「では、私は状況を見て動きます。どのみち私では大した役には立てないでしょうし」
「そんなことないよ! セパレーティアちゃんがいてくれたからここまで来られたんだから! 姫様もそう思いますよね?」
「勿論です。確かに得られる加護の力では劣るのでしょうが、セパレーティアの冷静な判断力と豊富な知識はとても頼りになると思っていますよ」
「姉さん、姫様も……」
「胸を張りなさいセパレーティア。クイコミリアムが貴方を推挙したのは、決して身内びいきなどではありません。我が国の代表として、世界を救う私達と共に在ることに誇りと自信を持つのです。貴方はそれだけのことを、託されるに値する信頼をずっと積み重ねてきたのですから」
「…………ありがとうございます」
穏やかなアルガの言葉に、セパレーティアはギュッと目を閉じて短く感謝の言葉を告げた。それ以上は何も言えないし、できない。涙も気持ちもここで溢れさせてしまうのはまだ早いのだ。
「フフフ、話はまとまったな。では早速儂が彼奴の足止めをしてこよう」
そんな三人のやりとりを見守ってから、ニックがゆっくりと陰獣の方へと歩いて行く。その丸出しの尻を見送りながら、三人の少女がそれぞれに想いを募らせる。
(ニック様……どうかご無事で)
神すら封じるほどの陰獣の攻撃を一身に引き受け、動きを止める。それがどれほど危険で無謀か想像できるが故に、アルガはニックの無事を祈る。
(やっぱり格好いいなぁ……)
幼き日には「大きくなったら兄様のお嫁さんになる!」と言っていたヴィキニスは、兄を越える……どころか兄が足下にも及ばない最強の戦士、全神の勇者の後ろ姿に改めて懸想する。叶わぬとわかっていればこそ乙女心は燃え上がり、剣を握る手にも自ずと力が入っていく。
(私も頑張らなきゃ……)
そんな姉の思いを知らず、セパレーティアは気合いを入れる。認められたことは嬉しいが、だからといって別に自分が強くなったわけではない。少しでも役に立とうと更に鎧の部品を外していくが、お腹を露出させて鎧を上下に分割したところで流れ込んでくる神の加護に一瞬酩酊したような気分に見舞われ、それを何とか根性で抑え込む。
そうしてそんな三人が見守るなか、危なげなく陰獣の側に辿り着いたニックはということ……
「ほっ!」
「えっ!?」
「へ!?」
「は!?」
「フゴッ!?」
あまりにも軽いかけ声と共に、巨大な陰獣の背を掴んでひょいとその場で持ち上げてしまった。





