父、山に登る
馬車での旅は、極めて順調だった。そもそも国内の移動は当然道が整備されているし、神が封じられている影響で襲ってくる陰獣の数も少ないうえに、その力も弱体化している。たまに見かける度にヴィキニスが軽く蹴散らしてしまうため、ニックには出番すらなかった。
そしてそれは国外に出てからも同じだ。潤沢な資金があるうえに、たった四人分であれば多少多めに水や食料を補給したとしても問題になることもない。いっそ旅行のような気軽さで順調に進んでいったが……その足も遂に止まるときがやってきた。
「ふむ、ここからは山道か……」
聖地に最も近い町に馬車を置いて、徒歩で歩くこと三日。急勾配の斜面にジグザクに刻まれた登山道の前にて、ニックが山頂を見つめながら小さく呟く。
「これまでと違って、ここからは神が封じられてから殆ど人の手が入っておりません。神の残光が強いせいで陰獣も強力なものが出現すると予想されますが……姫様、大丈夫ですか?」
空気の境目を感じ取り、騎士としての態度を取るヴィキニスに対し、アルガがゆっくりと頷いてみせる。
「大丈夫です。ニック様のおかげで肉体的な疲労は大分軽減されておりますし……」
「そうですね。勇者様に荷物持ちをさせたなどと知られたら、兄さんや陛下に怒られてしまいそうですけど」
「ははは、気にするな。こういうのはできる者がやるのが一番いいのだ」
困り顔で眉根を寄せるセパレーティアに、ニックは豪快に笑う。ニックの剛力によって通常よりも遙かに大量の水や食料を運べるどころか、厚手の毛布などの休息時に大きな意味を持つが重くてかさばる荷物もごく普通に持ち歩けるため、一行の……特にアルガの体調は通常の徒歩旅とは比べものにならないほどに整っている。
「では、行くか。確かに道が荒れているようだし、足下には気をつけるのだぞ。何なら儂が抱えていってもいいが……」
「い、いえ! それは流石に……必要とあらばそうしていただく覚悟はありますけれど、普段からというのは……」
何気なく言ったニックの言葉に、アルガがやや顔を赤らめて言う。そうすべき時であれば迷わないが、ただの移動で一五にもなって幼子のように抱えられるのは如何にも恥ずかしい。
「むぅ……姫様、そろそろお静かに。先頭は引き続き私が務めますので、勇者様は殿をお願いできますか? セパレーティアちゃんは姫様の隣ね」
話題は尽きねど、いつまでもここで話しているわけにはいかない。ヴィキニスの言葉に全員が気を引き締め直し、改めて聖地を目指し全員が山を登っていく。すると三〇分ほど歩いたところで、道からやや外れた岩陰から数匹の黒い塊がのっそりと姿を現した。
「陰獣! 数は……五! 中型四つ足、不意打ちを警戒!」
現れた敵の姿に、ヴィキニスが腰の剣を引き抜きながら素早く状況を確認する。四つ足の陰獣は狼などのように群れを成すことが多いため、見えている敵だけが全てだと勘違いすると思わぬ痛手を受けることがあるのだ。
「うむ、背後にも四匹いるようだな。囲まれたか」
そしてそれを補足するように、ニックがそう声を出す。囲まれるまで何も言わなかったのは、そもそも少し前まで何の気配もなかったからだ。
「陰から生まれる故に陰獣……出現するまで気配がないのは、当然とはいえ厄介だな」
光があれば、陰は何処にでも存在する。そして陰から出てくるまで、陰獣には気配がない。町などの人が多い場所では人の持つ加護の力が場に溢れているため実体化できないらしいが、逆に言えば人気の無い場所であればほぼ何処にでも潜み、必要に応じて出現できるということでもある。
「くっ、数が多い……勇者様、姫様を――」
「いや、丁度いい機会だ。アルガよ、例の戦い方をするぞ!」
「えっ? あ、はい!」
ニックに声をかけられ、一瞬遅れてアルガが返事をする。それを確認したニックはアルガの腰に手を回すと、そのままひょいと抱き上げてしまった。
「うえっ!? ちょっ、勇者様、それ本当にやるんですか!?」
「無論だ! では行くぞ!」
ニックの話を聞いた時、てっきりそれを王族の姫が「神の解放を手伝った」という拍付けのために同行させる方便だと思っていたヴィキニスは、まさか本気でニックがアルガを抱えて戦うつもりなのかと驚きの声をあげる。
が、ニックはそれを意に介さず、そのまま素早く背後でこちらを伺っていた陰獣の側に移動した。
「むんっ!」
いきなり目の前に自分が現れたことに陰獣が戸惑う暇すら与えず、ニックがその頭を掴んで持ち上げる。そのままクルリと手首を回せばばたつく手足が外側に向いてしまい、もはや陰獣には何もできない。
「ほれ、アルガ」
「はい!」
目の前で釣り上げられた陰獣の背に、アルガがそっと自らの手を伸ばして触れる。流石にウサギもどきの陰獣のように触れただけで弾け飛ぶということはなかったが、それでも少し力を込めれば陰獣の体が溶けるように崩れ、後には何も残らない。
「おお、やはり凄いな!」
「いえ、それほどでも……それにこの倒し方ですと素材が残りませんし……」
「あー、確かに強すぎるというのも考え物か」
複雑な表情を浮かべるアルガに、ニックもまた深く同意して頷く。ちょっと加減を間違えた結果獲物が跡形も無く消し飛んでしまう悲しみは、ニックとしてもよくわかるのだ。
「まあ、よくあることだ。それに今はそれを気にする必要も――」
『そんなことがよくあってたまるか、この馬鹿者が!』
「ぐっ……と、とにかく次に行くぞ!」
「? はい!」
一瞬苦い顔をしたニックに軽く首を傾げつつも、アルガがニックの腕の中で元気に返事をする。やっていることは目の前に現れる釣られた陰獣に触れるだけなのだが、それでもアルガは生まれて初めての「自分が戦っている」という実感にその顔がほころんでいく。
「よし、これで最後だ」
「はい! んーっ、えいっ!」
最後というニックの言葉に、アルガは気合いを入れて少しだけ袖をまくり、強めの加護の力を込める。すると消えずに残った陰獣の頭が、ニックの手のなかでパンと弾けた。
「うおっ!? 何だ?」
「あっ!? あの、ごめんなさい……ちょっとやり過ぎてしまったみたいです……」
「ははは、そうか。はしゃぐのはいいが、やり過ぎてはいかんぞ? 肝心の時に疲れて動けないのでは大変だからな」
「はい。申し訳ありません……」
笑うニックがアルガを地面に降ろすと、アルガがションボリと俯いてしまう。だがその頭をニックが撫でると、俯いた頬が少しだけ緩む。
「いいなぁ……」
そしてそんなアルガの姿に、自分もまた戦闘を終えたヴィキニスが思わずそんな呟きを漏らしてしまう。既婚者だという話を聞いて自重してはいるのだが、それでもニックの全神の姿には乙女心がときめいてしまう。
「姉さんも勇者様に褒めてもらったら? 言えばきっと頭くらい撫でてくれるわよ?」
「そんなこと頼めるわけないでしょ!? セパレーティアちゃんの馬鹿!」
「ふふ、姉さんは素直じゃないわね」
「ぶー! さあ姫様! 敵を倒したのですから、さっさと進みましょう!」
「そうですね。参りましょう、ニック様」
「うむ!」
頬を膨らませるヴィキニスに苦笑しながら、ニック達は改めて周囲を警戒しながら山道を歩き進んでいった。





