父、激闘する
「オーゼン! 大丈夫かオーゼン!」
砂の壁を目隠しにして瞬時に撤退したニックが、狼狽した声で必死にオーゼンに呼びかける。
『騒ぎすぎだ馬鹿者。問題無い……とは言えぬが、大丈夫ではある。我には魔力を消費して自己修復する機能がついているからな』
元々「王能百式」にて武具として運用されることを前提としていたため、オーゼンは破損を想定した作りになっていた。無論並の力で王選のメダリオン、ひいてはそれが変化した「王能百式」の魔導具を傷つけることなどできはしないのだが、オーゼンを作った作者は「絶対」などという言葉を信じるような存在ではなかったのだ。
「そ、そうか。良かった……」
思わず膝を突きそうになりながら、ニックは心からの呟きを漏らす。
「すまぬ。儂が油断したせいで」
『言うな。貴様が優れた格闘家であることは我とて認めている。であればこそ今日身につけたばかりの我の存在を忘れて回避してしまったこともやむを得まい。非を自覚する者を責めるほど我は狭量ではないぞ?』
見るからに肩を落とすニックに、オーゼンはあえて軽い口調で言う。
「そうか……」
『とは言え、流石にこれ以上破損するのは避けたい。今すぐの修復も不可能故に、一旦能力を解除したいと思うのだが』
「わかった」
ニックが短くそう答えると、耳にあった「王の万言」が消失し、代わりにニックの手の中にくすんだ色のメダリオンが生じた。ニックはそれを大事そうにひと撫ですると、そっと腰の鞄にしまい込む。
『では、少し休ませてもらおう。一応聞くが、この後どうするのだ?』
今行われている戦いは、別にニックやオーゼンが望んだものではない。巻き込まれたようなもののうえ、勝って得るものがあるかもわからず、負けたとしても今より状況が悪くなることはない。
「そんなもの、決まっているではないか!」
だが、答えるニックは凄絶な笑みを浮かべる。負けを認める器量も、負けを楽しむ度量も持ち合わせるニックであったが、大事な相棒を傷つけられてそのままで済ませるのは、大人ではなく腰抜けだ。
「安心して眠れ、オーゼン。次にお主が目覚めるときは……」
硬く拳を握るニック。そのあまりの握力は、指の隙間の僅かな空気すら押し潰しギュッという音を生じさせる。
「儂の拳が、あの男を殴り飛ばした時だ!」
(いや、休むと言っても能力を解除するだけで、我の意識は普通にあるのだが……まあいいか)
やる気に満ちたニックを前に、オーゼンは空気を読んでそっとその言葉を飲み込んだ。
『さーて、どうでるか……お?』
思わず鼻歌でも歌いそうなくらいに上機嫌な男の視界に、揺らめく黒い影が現れる。
『やっぱり戻ってきたか。にしても……魔導兵装を外してる? まさか降参……じゃねーよな、ありゃ』
スコープの向こう側では、ニックの耳にあったはずの魔導兵装が取り外されている。それは普通ならば降参の合図だが、ニックの漲らせている戦意はとてもではないが白旗をあげる男のそれではない。
『そういうことなら、様子見か。アタール・ブラスター 右』
それは先ほども使った誘導弾を打ち出す銃。手持ちの三つの銃器のなかでは一番威力が低いが、魔導兵装の恩恵を受けていない人間であればかすっただけでも致命傷だ。
そのまま男はトリガーを引き、扇状射撃された五つの光条がニックに向かって広がりながら突き進む。一見広範囲にばらけたそれは、ある程度進んだところでニックに向かって収束していき、その体を穿つが……
『……なんだそりゃ?』
「……………………」
無言で立つニックの皮鎧には無数の穴が開き、そのその体からほんの僅かに血が流れ出る。一切の防御行動を取らなかったが故に、男の放った弾丸がほんの僅かとはいえニックの皮膚に食い込んだからだ。
無論、こんなことを酔狂でやったわけではない。防御を捨てて見つめていたのは、全ての攻撃の起点……つまりそこには敵がいる。
「そこか」
短く言葉を漏らし、ニックの瞳がギラリと輝いた。
『なっ!? ハゼール・マイン!』
超高速で一直線に突っ込んでくる筋肉親父に、男は慌てて足下に地雷を仕込むと全力でブーストを噴かす。一瞬遅れて己のいた場所に到着したニックが地雷を踏み抜き爆炎に包まれるが、炎の向こうで揺らめく巨体にダメージは見られない。それどころか……
『ぐおっ!? っぶねぇ、て、またか!?』
男の眼前を轟音を立てたニックの拳がすり抜けていく。人など遙かに及ばない速度で高速機動し続ける男に対し、ニックの拳はコンマ一秒遅れて届く……つまり、一瞬でも気を抜けば、それが決着の時になるかも知れない。
『ブースターユニットが過剰加熱しています。このままだと爆発の危険が――』
『ここでとまれるわけねーだろ! 安全装置解除、限界超えても噴かせ続けろ!』
故に男はとまれない。速さとは力だ。これだけの速さで打ち出される拳に威力が無いわけがない。高機動型を地で行く男の魔導兵装では、こんな重い攻撃を耐えられるとは思えなかった。
『そっちがそのつもりなら……バラケル・ランチャー斉射! 二重発動、ヨク・キレール・ブレード!』
ミサイルを目隠しに、男が両手を組み合わせ、両手に生じる青い刃を重ね合わせる。それは一本の大剣となり、ミサイルを防いだニックの脇腹に――
「効かん!」
『ねぇよ!?』
斬れない物が思いつかないヨク・キレール・ブレードを、あろうことかニックは素手で掴み取った。そのままグッと手に力を入れれば、青い刃が音もなく崩れ去る。そのあり得ない光景に一瞬だけ隙を作ってしまった男の腹部に、今度はニックの拳が食い込んだ。
『ぐはっ!?』
『防御魔法壁消失。魔導兵装に物理破損発生。稼働率五八.二%』
『ぐっ……ぶ、ブースト……』
『全ブースター機能停止。稼働率〇%』
「どうやらここまでのようだな」
うずくまる男の前に、堂々とニックが立つ。その体からは僅かに血が流れていたが、その気迫に些かの衰えも感じられない。
「それとも、まだ何かあるか?」
『何か、か……あるぜ? 当然な』
ほんの少し前の光景の焼き直し。だが今度は目の前の男につけいる隙が無い。それを魂で実感し……だからこそ、男は本当の最後の切り札を決意する。
(オペ子ちゃん。アレを使う)
『警告。魔力源の無い状態で使用した場合、魔導核に取り返しの付かない損傷を与えます』
「ふっ。そうか……確かにその目は死んでおらぬようだが、これ以上何をするつもりだ?」
『さあな? アンタこそどうするんだ? 来るか? それとも離れるか?』
(与える可能性ですらないのか……世知辛いねぇ。やってくれ)
『最終確認。本当に実行しますか?』
(ああ、頼む)
「無論、行くさ。お主は随分多芸なようだが、儂の武器はこの拳だけだからな」
言って、ニックがゆっくりと男に歩み寄っていく。油断も慢心もないその姿は、正に王者の如き立ち振る舞い。
『ああ、そうだよなぁ。せせこましく逃げ回って拾った勝ちなんて勝ちじゃねーよな。アンタならそうすると思ったぜ。だから……』
『魔力充填完了。魔導炉、出力臨界。発射までカウント一〇……』
震える足で、男は何とか立ち上がる。そうして男もまたニックに歩み寄り、二人の男の距離は抱きしめ合えるほど近づいた。
「儂にはその鎧の仕組みや飛んでくる武器のことなど、何もわからん。だが今、お主の中に鳴動を感じた。命を燃やすほどの強い何かをな」
『それがわかってて付き合ってくれたのか? アンタ実は馬鹿だろ?』
「ハッハッハ。娘にも良く言われたが、これが儂の生き様なのだ。どんな相手にも堂々と胸を張り、その全てを打ち砕いてこそ最強! お主もそう言う手合いではないのか?」
『おいおい、アンタみたいなのと一緒にするなよ。俺はあくまで勝ちにこだわるようなみみっちい男だぜ? だから――』
不意に、二人の足下が爆ぜた。小揺るぎもしないニックに対し、それに合わせて自ら後方に飛んだ男の体はボロ布の様にクルクルと回転しながら宙を舞い……一瞬、ニックと目が合う。
『勝つのは俺だ』
『一……〇……バラス・ディバイダー 発射します』
ニックの拳ですら砕けなかった男の鎧。その腹の部分から、ニックに向かって男の切り札が放たれた。





