父、慄く
「ったーい!? 誰だ!? 私の邪魔を……って、セパレーティアちゃん!?」
目から火花を散らしたヴィキニスがいきり立って振り向くと、そこにあったのは腰まで髪を伸ばした一見大人しそうな……だがその実とても押しの強いよく見知った女性の姿。
一六〇センチに満たない自分の背をいつの間にか一〇センチほど追い抜いていた二つ下の妹が、自分の頭を叩いた剣の鞘を腰に付け直している様に、ヴィキニスは思いきり口を尖らせて抗議の声をあげる。
「何で邪魔するの!」
「何でじゃありません! 姉さんこそ、自分が今何をしようとしていたか、ちゃんとわかっているんですか!?」
「それは……わ、わかってるよ?」
「本当にですか? 本当にわかっていて、それでもやろうとしたのですか?」
「うぅぅ……だってぇー!」
「だっても何もありません!」
「ぎゃふん!」
セパレーティアの手刀が、ヴィキニスの脳天に炸裂する。先程剣の鞘で叩いた場所と同じ位置に衝撃を加えられてヴィキニスが涙目になると、そんな姉をそのままにセパレーティアはアルガに対して丁寧に頭を下げた。
「申し訳ありません姫様。姉が大変なご無礼を……」
「ごきげんようセパレーティア。貴方の気遣いは嬉しいのですが、謝罪するならば私よりも先に頭を下げるべき相手がいるのでは?」
「勿論です。お初にお目にかかりますニック様。私はその愚姉の妹で、セパレーティア・アーマーンと申します。姉が大変なご無礼を働きましたこと、心より謝罪させていただきます」
体ごと自分の方に向き直り恭しく頭を下げるセパレーティアに、ニックは軽く笑って答える。
「ははは、そう畏まらんでくれ。儂は特に気にしておらん。むしろ元気のある娘だと思っていたくらいだからな」
「そう言っていただけると助かります。元気だけは有り余っている姉ですので……」
「ぶー! セパレーティアちゃん、酷いー!」
「酷くありません。まったくもう……」
拗ねて口を尖らせるヴィキニスに、セパレーティアが呆れ声を返す。そんな仲のいい姉妹の姿に、ニックは少しだけ残念そうな声を出す。
「ははは、仲がいいのは素晴らしいが……この流れでは、模擬戦はここまでか? 儂としてはその本当の本気とやらを見てみたかったところなのだが」
「申し訳ありませんニック様。姉はまだ未熟者でして、限界まで加護を受けると自分の体を痛めてしまうのです。勿論ニック様がご要望とあればそれを押して戦わせることもできますが……」
「あー、そうなのか。それでは無理強いはできんな」
「そんなっ!? 私はまだ……」
「姉さん?」
「うぐぅぅぅ…………」
妹に睨まれ、ヴィキニスは悔しそうに押し黙る。もはや何処にも凜々しさの残っていないその姿には、ニックとしても苦笑するしかない。
「ふむ。とはいえもう少しこの世界の者の強さを知りたいな。なあアルガよ。悪いが別の者を――」
「そのお相手、私では如何でしょうか?」
再び練兵場に新たな人物の声が響く。ニックがそちらに顔を向け……そのあまりの存在感に、思わず体を振るわせる。
「ぬおっ!?」
「兄様!」
「兄さん」
驚くニックを余所に、ヴィキニスとセパレーティアがその男性の側へと近寄っていく。すると男はそれに軽く手を振って応えるだけに留め、そのまままっすぐにニックの方へと歩み寄ってくる。
「申し訳ありません、全神の勇者様。陰獣を狩った帰りにて、少々殺気が残っているようですね」
「あ、ああ。そうか。それは別にいいのだが……」
身長はおよそ一九〇センチほど。金髪を短く刈り込んだ端正な顔立ちとやや細身に見える体つきは如何にも魅力的であり、市井の女性がこの場に居合わせたならば黄色い声援がこれでもかと飛んできたことだろう。
「ですが……ふふ。偉大なる勇者様に身構えてもらえるとは、私の実力も捨てたものではないようですね」
柔らかな、しかし芯の通った物腰と丁寧な言葉遣いからは誠実さがにじみ出ており、またその立ち姿から相応の実力を持っていることも伺える。
「っと、失礼致しました。名乗りがまだでしたね。私は……」
だが、ニックが慄いたのは当然そんなものが原因ではない。全ては彼の男が身につけている、あまりにも目を引く装備品が故に。
「クイコミリアム・アーマーンと申します。どうぞよろしくお見知りおき下さい」
目にも鮮やかな青い鎧は、肩口から伸びる二筋の道となって股間へと鋭角に集束している。拳を握って人差し指と中指を立てたような形……そんな実用性皆無と思われる鎧を身につけたクイコミリアムが、ニックに向かって丁寧に一礼をした。
「う、うむ。儂はニックだ……あー、クイコミリアム、だったか?」
「はい。少々長い名前ですので、宜しければミリアムとお呼び下さい」
「そうか。ではミリアムよ……その鎧……鎧? は、どういうものなのだろうか? 随分と個性的というか、肌を露出する感じだが……?」
ただひたすらに鎧の異質さが気になり、ニックはついついそれを問うてしまう。するとクイコミリアムは嬉しそうに顔をほころばせ、そっと鎧を撫でながら答える。
「これですか? この鎧は我がアーマーン家に伝わる家宝で、聖鎧ヴィクトリアスです。着用者の実力に合わせてその形状を変えるという神の残した聖遺物の一つなのですが、最近ようやくこの状態にまですることができるようになりました」
「そうなのか……ふむ……」
自在に形状が変わるというのならもうちょっと違う変わり方もあるのでないかと思うニックだったが、誇らしげに語るクイコミリアムの顔を見ればそんなことは言えるはずもない。
「それで、どうでしょう? この状態であれば、勇者様にも我等の力を十分にわかっていただけると思うのですが」
「はい、そうですね。クイコミリアムは我が国最強の騎士。彼の強さを知ってもらうことは、ニック様の目的に適うかと思われます」
チラリと視線を向けたニックに、アルガがそう言って頷く。
「そういうことなら、相手をお願いしよう。ただ、そうだな……先程はこちらが攻撃を受けたから、今度はこちらから軽く攻めさせてもらってもいいか?」
「勿論です。いつでもどうぞ」
ニックの提案に、クイコミリアムが胸を張ってその場に立つ。その顔に浮かぶのは絶対の自信であり、露出した肌を覆う光はヴィキニスよりもずっと強い。
「ではいくぞ……ほっ!」
「っ!? ぐふっ……っ!?」
クイコミリアムの目には、ニックはただその場に立っているようにしか見えなかった。だというのに一瞬のうちに腕、腹、胸の三カ所に衝撃を受け、ガクッとその場に膝をついてしまう。
「な、何が……?」
「ふーむ、こういう感じか……」
訳がわからず戸惑うクイコミリアムをそのままに、ニックは己の拳を見つめて先程の手応えを反芻する。
(鎧の上からは普通に殴れたのに対し、腕の方は僅かに跳ね返されるような感触があった。そしてより肌の面積の広い腹の方がその抵抗が強い)
ヨロヨロとよろけながらも立ち上がるクイコミリアムの姿を見ても、鎧の上から殴った箇所が一番ダメージを受けているのが見て取れる。
それはつまり、この世界の鎧の意味が敵の攻撃から身を守るためではなく、神の加護から己を守るためのものであるというアルガから聞いた話の裏付けだ。
(強すぎる力は身を滅ぼす。そしてそんな力が世界に溢れる光から半ば強制的に押しつけられてくるとは、何とも難儀な世界だな。それに……)
「……ミリアムよ、大丈夫か?」
「何のこれしき! 次は必ず耐えて……」
「いや、それはもういい。知りたいことはわかったからな。故にお主に求めるのは、あと一つだけだ」
「……何でしょう?」
「お主が持てる最高の力で、最強の一撃を儂に放ってみよ。それを儂が受け止めることで、この勝負……いや、鍛錬? 模擬戦か? とにかくそれの決着とする」
先の自分がそうしたように、そう言ったニックが胸を張って堂々と立つ。一糸脱がずに堂々と立つその姿に、クイコミリアムはフッと息を吐いた。





