父、侮られる
その後も二人は話を続け、ニックはアルガから様々な情報、そして常識を学ぶことができた。とはいえ常識は常識であるが故にお互い「何がわからないのかわからない」という状況であったため、その確認は困難を極めた。
その結果夜まで話し込んでしまったニックは歓迎の宴ではなく簡単な夕食を所望し、それが終わると得た知識を咀嚼するべく早々に寝台へと横たわって……そして翌日。その日も朝からやってきたアルガに頼んで、ニックは城に詰める兵士達の訓練場へと足を運んでいた。
「こちらが練兵場となります」
「ほぅ、なかなかの活気だな」
王女が姿を現したことで一瞬ざわめいたものの、すぐに兵士達は自分の訓練に戻っていく。その練度と志の高さにニックが感心の声を漏らすと、隣にいたアルガが嬉しそうに微笑んだ。
「はい。元々は私達のみで決戦に挑むつもりでしたが、ニック様のおかげで陰獣をどかすどころか倒すことすら可能かも知れないと、皆一様に張り切っております」
国のため未来の為、玉砕覚悟で強大な敵に挑むのと、神の化身たる全神の勇者と共に戦うのではその意味がまるで違う。死ぬ覚悟だったものが歴史に名を残す英雄として生還できる可能性が見えてきたとなれば、鍛錬に身が入るのも当然だろう。
「それでニック様。我が国の兵士達と手合わせをしたいということでしたが……」
「そうだ。まずは味方の強さを知りたいからな。その後は外に出て、陰獣とやらとも実際に戦ってみようと思っている」
神の加護を受けた人物がどの程度に強いのかを知るのは、今後のことを考えれば絶対に必要だ。特にこの世界における強さの基準を理解しておかねば、世界最強の剣士が元の世界の新人にも満たないなどという悲劇のすれ違いを生み出すことすらあり得る。
敵の強さを知ることも同様だ。神の加護を受けていない……ように思えるニックの攻撃が万が一陰獣に通じなかったとすれば、作戦を根本から考え直す必要が出てくる。
つまるところは、敵と味方の双方と実際に拳を交えてみるのが一番早くてわかりやすいというのがニックの出した結論だった。
「承知致しました。では……」
「姫様!」
アルガが適当な兵士に声をかけようとしたところで、不意に横から響いた女性の声がそれを遮った。ニックがそちらに顔を向けると、そこには一八歳くらいだと思われる若い女性が立っている。
如何にも適当に切っただけという首の辺りまでの赤髪は粗野ながらも快活な印象を与え、その身には手のひらほどの大きさの金属片が無数の留め具によって繋ぎ合わされ固定されているという、何とも不思議な鎧を身に纏っている。
「ヴィキニスではありませんか。紹介致しますニック様、彼女は我が国の騎士で、ヴィキニス・アーマーンと申します。ヴィキニス、こちらは……」
「知っております。全神の勇者、ニック様……ですよね?」
アルガの言葉を受け、ヴィキニスがニックの方に顔を向ける。だがその表情は何処か訝しげで、まるで値踏みをするようにニックの全身を見回してくる。
「あの、姫様? 本当にこんな中年男が全神の勇者なのですか?」
「……それはどのような意図を持った発言ですか? 確かに貴方は我が国の優秀な騎士ではりますが、事と次第によっては……」
「うひっ!? ち、違います! 別に姫様のお言葉を疑うわけでは……」
「そうではありません。私などよりニック様を疑うような言葉をこそ、決して看過できるものではありませんよ?」
「で、でも! だって……服、着てるし……」
アルガに問い詰められ、ヴィキニスが恨みがましそうにニックの方をちら見する。そう、今朝になってようやくニックは服を着ることを許されたのだ。それは「いつまでも全裸(全神)でいて周囲を威圧し続けるのは本意ではない」というニックが一晩考えてひねり出した理由にアルガが納得してくれた結果だ。
『クックック! まさか服を着ていることが侮られる原因となるとは……貴様といると本当に飽きることがないな』
ニックの股間から解放されたオーゼンが、ズボンについたポケットの中で楽しげな声を出す。それをニックはポケットの上からピンと弾くだけに留め、剣呑な表情を浮かべているアルガに話しかけた。
「まあまあ、落ち着けアルガよ。そう興奮するな」
「ですがニック様!」
「構わん。お主……ヴィキニスだったか? 要は儂が本当に強いか分からんのが気に入らんのだろう?」
「それは……まあ、はい……」
「ならば話は簡単ではないか! 丁度この世界の者がどの程度の力を持つのか知りたかったところだからな。どうだ、儂と軽く戦ってみんか?」
「貴方とですか……? 姫様?」
「ニック様がそう望まれるのでしたら、勿論構いません。皆さん! これよりニック様とヴィキニスが模擬戦を行います! 中央を広く空けて下さい!」
アルガの言葉に従い、訓練をしていた兵士達が練兵場の端へと移動していく。そうして中央に対峙したニックとヴィキニスだったが、互いの態度は対照的だ。
「ハッハッハ、こういうのは久しぶりだな」
ニックの巨体と筋肉を見れば、見た目からして弱いなどと言われることはない。十数年ぶりに感じる弱者の扱いは、懐かしいどころか新鮮にすら思えてニックの顔が楽しげにほころぶ。
「どのようにして姫様をたぶらかしたのかわからないが、その化けの皮、この私が引っぺがしてやろう!」
対してヴィキニスの方は、そんなニックをきつく睨み付けている。だが敵意はあっても悪意のない視線が忠義の現れならば、ニックとしては好ましいとすら思える。
「おい、武器はいいのか?」
「構わん。儂の一番得意な武器は、この拳だからな」
「……服は脱がなくていいのか?」
「……脱がなければ駄目か?」
「っ!」
困った顔で言うニックに、ヴィキニスの目が釣り上がる。ニックとしては無闇に裸になりたくはないという意味での発言だったが、ヴィキニスにはそれが「お前如きに本気になる必要は無い」という酷い挑発の言葉に聞こえたからだ。
「その驕り、後悔させてやる! てやーっ!」
腰の剣を引き抜き、ヴィキニスがニックに斬りかかる。今更ながらそれは訓練用の剣ではなく愛用の実剣であり、十分に人を殺傷するだけの力があったのだが……
「ふむん?」
「なっ!?」
あっさりと素手で受け止められ、ヴィキニスが思わず戸惑いの声をあげる。だがヴィキニスとて伊達に騎士なわけではない。すぐに下がって体勢を立て直すと、その剣を腰の鞘に戻した。
「む? もう終わりか?」
「まさか! だが……少し本気を出させてもらう」
そう言いながら、ヴィキニスは真っ赤な鎧の各所にある留め金を外していく。すると鱗のような形をした鎧が外れた分だけ肌が露出していき、その部分が淡い光に包まれる。
「五武だ……小手調べの七武ではなく、五武で相手をしてやる!」
「ほう? いいだろう、かかってこい」
肌の露出具合に応じて、九武から一武までの呼び方があることは事前にアルガから聞いている。その知識からすると、五武とは精鋭と呼ばれる上級騎士に求められる能力だ。
ならば見極めにはちょうどいいだろうとニックが軽く構えると、再び腰から剣を引き抜いたヴィキニスが気合いの声をあげてニックへと斬りかかる。
「でやーっ!」
先程とは比較にならないほどの、早く強い踏み込み。だがその一撃を、ニックはあろうことか剣先を指で摘まむという手段で防いでしまった。
「ば、馬鹿な!? 離せっ! 離せ、このっ!」
「いいぞ。ほれ」
「キャッ!?」
全力を込めてもびくともしなかった剣が、ニックが指を離した瞬間に暴れ出して、ヴィキニスは軽く蹈鞴を踏んでしまう。その後すぐに自分が乙女のような悲鳴を上げてしまったことを思い出し、片手で口元を押さえ真っ赤な顔をしてニックを睨み付ける。
「くそっ! こんな辱めを受けるなんて……っ!」
「ハッハッハ、それは仕方あるまい。それほどに実力の差があるということだからな。だが――」
「聞く耳持たん! こうなれば本当の本気の一撃で、お前なんか……んがっ!?」
「まったく。何をしているんですか、この馬鹿姉は……」
涙目で更に鎧をはずそうとしていたヴィキニスの行動を止めたのは、背後からその脳天に鞘入りの剣を振り下ろした別の女性であった。





