父、持て囃される
「……………………」
「どうされました? あ、ひょっとしてお寒いのでしょうか?」
「いや、別に寒くはないのだが……」
少女の後をついて城の廊下を歩くニックだったが、その巨体は珍しくソワソワとしていて落ち着かない。
無論、それは寒さにやられたとか、周囲からの注目を集めているからとか、ましてや城の豪華さに当てられているなどと言うものではない。
「なあ、あー……アルガだったか?」
「はい。私はこのスッパダカリアの王女、アルガ・ママーニ・スッパダカリアです」
一旦足を止めてちょこんと一礼して見せるアルガに、ニックもまた軽く頷いて答える。
「ああ、そうだったな。で、アルガよ……何故儂は服を着てはいかんのだ?」
ニックが落ち着かない理由、それは単に自分だけが裸のままだからである。何事にも動じない豪胆な精神を持っているとはいえ、別に羞恥心が無いというわけではない。周囲の人物が普通に服を着ているなか、自分だけが全裸のまま城を連れ回されるのは、流石のニックも落ち着かないのだ。
だがそんなニックの当然の問いに、アルガは小首を傾げて不思議そうに答える。
「何故って、全神の勇者であるニック様に服を着せるなんて、そんなことできるはずがないではありませんか!」
「それは……何だ? 全裸であることに意味があるということなのか?」
「? そうですね。全神であることは大変な意味がありますけれど……?」
「そう、なのか……ならば、まあ、うむ」
微妙に腑に落ちないものを感じつつも、ニックはとりあえず納得しておくことにする。言葉が普通に通じているし、風景も人の姿も元の世界と変わらないため今一つ実感が湧かないが、ここは異世界。常識そのものが違う可能性を考えれば、頭ごなしに何かを否定することも肯定することもできないからだ。
「とは言えアルガよ。儂はこの世界の常識について何も知らんのだ。その辺に関しては後で誰かが教えてくれるのだろうか?」
「勿論ですわ。まずはどうしてもお父様に……国王陛下にご挨拶をしていただきたいと思っておりますが、その後城内に部屋を用意させますので、そちらでお話させていただこうかと」
「そうか! それはよかった」
『よかったのか? つまりはこの後王と話をするまでは、ずっと裸ということであろう?』
「ぐっ……」
「どうかなさいましたか? やはりお寒いのでしょうか?」
「いや、何でもない……あと、本当に寒くもないから、気にせんでくれ」
振り返ったアルガに、ニックは苦い気分を抑え込んで平然と答える。本来ならばオーゼンを小突いてやりたいところだが、己の股間の獅子頭を指で弾くのはあまりにも外聞が悪すぎて断念せざるを得ない。
その後も軽い雑談をポツポツとかわしつつ城の中を進んで行くと、程なくしてニック達は立派な扉の前に辿り着いた。左右に控える兵士達が扉を押し広げると、その先にあったのは正しく謁見の間。
「さ、行きましょうニック様」
「うむ」
事ここに至れば、ニックも腹を決め落ち着きを取り戻す。左右に居並ぶ人々の視線をものともせず、金縁の赤い絨毯を恐れること無く踏みしめて堂々と歩く様は、正に英雄。そんなニックの態度にアルガもまた誇らしげに微笑み、程なくして二人は玉座の前へと辿り着いた。
「我が娘アルガよ。そちらの御仁が……?」
「そうです陛下。このお方こそ光の神ラーが我等の願いを聞き届けて使わせて下さった英雄! 全神の勇者、ニック様です!」
「お初にお目にかかります。私は――」
「待って下され! 平伏など不要です!」
紹介を受けて膝をつこうとしたニックを、国王が慌てて止める。それどころかニックの側まで歩み寄ると、王の方がその場に膝をついた。
「おお、おお! 神の光に遍くその身を晒す姿は、正に全神の勇者! お隠れになってなお、神は我等人を愛し、気にかけてくださっていたのだ……っ!」
「あー、国王陛下?」
突然の行動に戸惑うニックに、国王は慌てて立ち上がり、玉座へと戻って姿勢を正す。
「ああ、これは失礼致しました。私はこのスッパダカリアの国王、ウマレタ・ママーニ・スッパダカリアです。宜しくお見知りおき下さい。
それと言うまでも無いことですが、私に対する敬語は不要です。全神の勇者であるニック様に謙っていただくなど、この世界に生きる者として許されませんからな」
「は、はぁ……では、その。私は……儂はニックだ。宜しく頼む」
改まった言葉遣いは帰って気を使わせてしまうと判断し、ニックは普通に話すことにした。それを聞いてウマレタ国王は満足げに頷き、玉座から立ち上がると謁見の間に居並ぶ全ての臣下達に大声で号令を下した。
「皆もその目に焼き付けよ! 我等人類の救世主、光の神ラーより使わされし英雄! 全神の勇者、ニック様の御姿を!」
「何と雄々しい……いや、神々しい姿か!」
「この命がある間に、神の使徒たる全神の勇者を目にする日が来るとは……」
「勝てる! 全神の勇者様が一緒なら、陰獣など何するものぞ!」
王の言葉に呼応して、周囲の人々が全裸のニックに熱い視線を送ってくる。その熱狂ぶりは天を衝く勢いで、城への滞在許可などの話を終えたニックがアルガと共に退室する時には、その背後から万歳三唱が聞こえてくるほどであった。
「フフフ、大人気ですわね。流石は全神の勇者様ですわ」
「そうか? まあ悪い気はせんが……しかしどれだけ持て囃されたとしても、今の段階では絶対に協力するとまでは約束せんぞ? 敵を知り味方を知り、世界を知り常識を知らねば善悪の判断などできぬからな」
「ええ、それで構いません。もしも我等の話を聞いて、それでも人は滅ぶべきだとニック様が判断されるのであれば……それはきっと、神もまた我等を見捨てたということでしょうから」
ニックの言葉に、アルガは苦笑交じりのどこか寂しげな笑みを浮かべて言う。本心からのそんな表情を見せられた時点で、ニックの中では単純にアルガを、そしてこの国を見捨てるという選択肢はほぼ存在しなくなっているのだが、それでもまだそれを口にしたりはしない。
一度かわした約束は守る。それはニックが子供の頃から大切にしていることであり、超常の力を持つニックが恐れられることなく人の中で生きられるのは、そういう小さな心がけを決して疎かにしないからなのだ。
「それではニック様。このままお部屋にご案内致しますので、約束通りそちらでこの世界の……そして私達のことをお話いたしますね」
「うむん? お主が教えてくれるのか?」
「そのつもりですが……私のような小娘ではご不満でしょうか?」
「いやいや、逆だ。まさか王女自らがそのような雑事をしてくれるとは思わなかったのでな」
「まあ! この世に全神の勇者様をもてなす以上に重要な用事などありませんわ! 私の祈りがニック様をこの世界にお喚びしたのですから、是非とも最後までお世話させてくださいませ」
「別にお主に喚ばれたわけでは……いや、違うとも言い切れぬのか?」
かつてアトミスが汚染魔力の浄化に使っていた空間は、あくまでも元の世界に付随する形のものだった。故に真の意味で異世界に移動したのはニックが人類初であり、そうなると「出口」が何処にできるのかの条件などわかるはずもない。
『確かに、貴様の「厄介ごとを呼び込む力」がここに招いたという可能性は否定できんな。まさか世界を跨いでまでその異能を発揮するとは……本当に仕方の無い奴だ』
「……そうだな。縁というのはそういうものかも知れん」
呆れたような、だがどこか楽しそうなオーゼンの言葉に、ニックもまた小さく笑う。人の想いが絡み合うのが縁ならば、時に引っ張ることも引っ張られることもあるだろう。
ならばニックという太くて硬い荒縄の如き縁を引っ張って来たアルガの縁はいかほどのものか? そしてその縁の導く運命の先は?
最初は数日で一旦帰るつもりだったが、せめて事の成り行きを見守るまでは滞在してみよう。内心そんなことを考えるニックの横顔を、隣を歩くアルガはただ幸せそうに眺めていた。





