父、異世界に立つ
ということで、外伝3はお待ちかね? のいつものお父さんです(笑) 時系列的には本編最終話から繋がっており、前2つの外伝より前のお話となりますのでご注意ください。
昼なお暗い城の中。余人のいない大きな浴室にて、腰まで届く輝く金髪と太陽の如き黄金の瞳を宿した少女は、一人沐浴を行っていた。薄衣一枚をその身に纏い、身を切るほどに冷たい水に全身を浸しながら、少女は目を閉じ、己の想いを言葉に変えていく。
「神がこの地から御姿をお隠しになって、早一〇年。幼い子供達のなかには、真の光を知らずに育つ者が随分と増えて参りました。陰獣の襲撃が日に日に苛烈さを増し、このままではいつまた国が滅びるか……」
光の神ラーの座す聖地に現れた、巨大な陰獣。何よりも強い神の光を浴びることで何よりも濃い陰となったその力は圧倒的であり、幾つもの大国がそれを倒すべく軍隊や英雄を派遣し、その悉くが返り討ちに遭っていた。
そうして大敗した国には、必ず陰獣が大挙して攻めてくる。力を失ったことを見透かすように、人の無力を嘲笑うかの如く押し寄せる陰獣の群れに既に三つの大国が事実上の崩壊を期しており、世の気風は「あの陰獣には手を出さない方がいいのではないか?」という方向に傾き始めている。
「ですが、それを唯々諾々と受け入れるわけにはいきません。いえ、本当は皆わかっているのです。時が経てば経つほどに神の恩寵は薄れ行き、世界は少しずつ闇に飲まれていってしまう。そしてそうなってしまえば、この世界には滅びしか待っていないのだと」
神の光の相反として存在する陰獣は、神の力なくしては倒せない。気の遠くなるような時をかけて世界を満たし続けた神の力の残滓は未だに地上に残っているが、神が姿を現さなくなった以上、それがいつまで保つのかは誰にもわからない。
そしてその力が失われた時、人は陰獣に対抗する手段を失う。倒すことのできない脅威に対し、闇のなかで陰に怯えて暮らすことしかできなくなるのだ。
「今が無ければ未来がなく、然りとて今を犠牲にせねば未来を得られない。ならばまだ訪れない未来から目を背け、今を精一杯生きる……そうしていつかくる終わりの時を迎えるというのも、確かに一つの選択でしょう。
ですが、人はまだ戦えるはずです。他の誰でもなく、この私が戦うのです。その身に光の力を宿し、その魂を薪とくべ、ただ一時、神をお救いするその為だけに全ての命を燃やし尽くす……それが私のただ一つの使命。神より王権を預かりし我が一族の姫として産まれた、私の唯一の願い」
腰を落とし、乾き始めた薄衣を改めて水に浸すともう一度立ち上がる。温んできた体が再び水の冷たさに包まれ、朦朧としてきた意識にピィンと一本線が通ったように目が覚める。
「ああ、ですが願わくば……」
長い髪から滴る水をそのままに、少女はそっと天を仰ぐ。石造りの天井には精緻な神の絵が描かれており、中央部にはめ込まれた大きな光石からは今も柔らかく光が降り注いでいる。
「どうかこの身に、神のご加護を」
強く純粋な祈りに、絵の中の神は何も答えない。だが代わりに、見上げた天井に突如として亀裂が走った。
「えっ!?」
最初は、老朽化した天井がひび割れたのかと思った。だが亀裂は天井ではなくその手前に存在し、それは徐々に大きくなっていく。
「な、何が!? まさか、神が……!?」
胸の前で固く手を握りしめ、少女が目を見開いてその奇跡を見つめる。その間にも亀裂は広がり、やがて「世界の重み」に耐えきれなくなった空が割れると、そこからボトリと落ちてきたのは……
「ぬおっ!?」
「…………………………………………え?」
股間に黄金の獅子頭を身につけた、ほぼ全裸の筋肉親父であった。
「ふぅ。どうやら無事に世界を越えられたようだが……ここは何処だ?」
『さあな。ここが異世界であるというのなら、場所などわかるはずもあるまい』
「それはそうだが……そこはほれ、様式美というやつではないか」
すげないオーゼンの答えに、ニックは思わず苦笑してしまう。何処だかわからない場所に出てしまった場合、答えが無いとわかっていても「ここは何処だ?」と言ってしまうのは人の性のようなものだ。
「まあそれはよかろう。では……何故服が消えたのだ?」
『それこそわからぬ。大きく離れた世界への移動に服が耐えきれなかったのか、それとも別の要因か……世界を移動する度に全裸になるなど論外だからな。この原因は早急に調査したいところだ』
「うむ、そうだな。帰ったならばアトミスに相談してみることにしよう」
不幸中の幸いにして、ニックが失ったのは普段着の他、オーゼンを入れていた腰の鞄とその中身だけだ。初めての世界渡りということで万が一にも失われては困るもの、たとえば魔剣『流星宿りし精魔の剣』や魔法の鞄などは置いてきていたため、消失の被害を免れている。
「では最後の問題だが……」
そう言って、ニックはあえて無視してきた目の前の少女の方に顔を向ける。年の頃は一五、六歳だと思われる少女は石像のようにその場で固まっており、濡れた薄衣はその奥の肌を透かしており、何とも目のやり場に困る。
『どうする? 「王の万言」を使うか?』
「いや、まずは普通に話しかけてみよう……使うと丸出しになってしまうしな」
『…………そうだな。人として守るべき最低限の品性は、可能な限り維持すべきだ』
ニックの提示した極めて切実な理由に、オーゼンは悟りきった声で答える。実際この状況はかなり不味いが、ギリギリとはいえ隠しているか丸出しかでは色々な意味で違いがある。
「あー……お嬢さん。儂の言葉がわかるか?」
「…………………………………………」
ザブザブと水を掻き分け、ニックが少女に近づきながら声をかける。すると天を見上げて固まっていた少女の首がゆっくりと下がって前を向くが、やはりその表情は固まったままだ。
「むぅ……お嬢さん? その、もう少しこう、反応をしてくれると嬉しいのだが……」
「…………………………………………」
少女の視線が、更に下がる。厚い胸板からバキバキに割れた腹筋、丸太のように太い足と……股間に輝く黄金の獅子頭。
「……………………」
少女の目から、不意にポロリと涙がこぼれた。声をあげるどころか表情を動かすことなくボロボロと泣き始める少女に、ニックはかつて無いほどに慌てふためいてしまう。
「ぬぉぉ!? 泣くな、泣かんでくれ! お、オーゼン!? 儂はどうすればいいのだ!?」
『まず何よりも最優先すべきは、服を着ることだろうな。だが……』
「ぐぅぅ、多少無理をしてでも魔法の鞄を持ってくるべきだったか!?」
完全な手ぶらであるニックに、当然ながら服の予備などというものはない。ならば早急に少女の目の前から消えればいいのかも知れないが、泣いている少女をそのままに壁か天井をぶち抜いて逃げ出すなどニックにできるはずもない。
「頼む! 泣き止んでくれ! 儂にできることなら大抵のことは――」
「神よ……」
「うむん? 神?」
とぼけた声を出すニックの前で、少女がやにわに跪く。両手を胸の前で組み、流れる涙をそのままに天井を見上げた少女が、祈りと共に言葉を続ける。
「ああ、神よ。貴方は我等をお見捨てにはならなかったのですね。まさか我等の前に、全神の勇者を導いてくださるとは!」
「ぜ、全裸の勇者!?」
困惑するニックの前で、立ち上がった少女がニックに向けて深々と頭を下げる。
「そうです。どうかこの世界のために、我等に力をお貸し下さい。光の神ラーより使わされし、我等人類の救世主! 全神の勇者よ!」
「おぉぅ……?」
潤む瞳で半裸の少女に見つめられ、全裸のニックはひたすらに困り顔をすることしかできなかった。





