聖女、慈しむ
「と、言うことで、まずはこれだ……ポチっとな」
アトミスが揺り籠についたボタンを押すと、その中から水が抜けてピースの姿が露わになる。濡れた服がぴったりと肌に張り付く様はなかなかに扇情的であったが、この場でそんなことを考える者は一人もいない。
「で、これだ!」
水が引いた揺り籠の中で、ピースの腕にアトミスが大きな魔導具から伸びた長い管、その先についた細い針を刺す。すると管の中をゆっくりと黄金に輝く液体が満たしていき、それが少しずつピースの体内へと満ちていく。
「うわっ、痛そう……」
「? 今までの戦いでフレイ殿が負った傷に比べれば、あんな細い針が刺さる程度はどうということもないのでは?」
「いや、そうだろうけど……何かこう、違うのよ!」
「まあ、気持ちはわかるけどねぇ」
「それでアトミスよ。これでピースは助かるのか?」
小声で騒ぐ娘達を横に、真剣な表情で魔導具に表示されている数字を見つめるアトミスにニックが問う。
「基本的はな。まあ少し待て」
そんなアトミスの言葉に、一行はそのままピースの様子を見守り続ける。だが数字を睨むアトミスの表情は緩むことがなく、それどころか徐々に険しさを増してすらいる。
「む……これはあんまりよくねーな」
「どういうことだ?」
「回収してきた万能触媒の劣化が、思ったより激しい。このままだと軽い自家中毒を起こすかも知れん」
「ならばどうすればいいのだ!?」
「うーん、このくらいなら多量の魔力で淀みを押し流してやればいけるとは思うんだが……」
そう言いながら、アトミスは頭を悩ませる。ウイテルには当然莫大な量の魔力が蓄積されているが、それを直接使うのは小さな用水路の詰まりを押し流すのに大瀑布を注ぎ込むようなものだ。
だが、小さな力を束ねて大きくするのは容易くても、大きな力を小さく細分化するのは難しく手間もかかるため今すぐには実行できない。然りとて流石に人がその身に宿す程度の魔力では足りないという何とも半端な状況にアトミスが考え込んでいると、徐にニックが口を開く。
「魔力? ならこれは使えるか? 『王能百式 王の発条』!」
ニックが言霊を発すると、そこには一メートルほどの大きさの発条が出現する。
「これは発条を巻くことで魔力を生み出すものなのだが、どうだ?」
「おっ、何だよオッサン、いいもの持ってるじゃねーか! 試してみる価値はあるか……そこに置いて、俺が指示したら巻いてみてくれ」
「わかった」
アトミスが発条に金属線を巻き付けると、その指示に従ってニックが発条を巻いていく。
「いいぞいいぞ、その調子だ! そのくらいの強さで……できれば三〇分くらい続けられるか?」
「当然だ! 一年だって余裕だぞ!」
「頼もしいこった。なら頼むぜ」
ニヤリと笑うニックに、アトミスもまた笑って答える。ニックの体力がこの程度を苦にするはずもないので、何の問題も無く時間は流れ……そして遂に管の中から光が消え、ピースの体に万能触媒が満ちる。
「これで輸液は完了だ。後は放っておいても目覚めるはずだが……せっかくだし、オッサンが体を揉みほぐしてやったらどうだ? 血の巡り……血じゃねーけど、とにかくそれがよくなるようにすれば体への負担も減るしな」
「ほほぅ、そういうことなら任せてくれ!」
言って、ニックがピースの肌にその手を重ねた。驚くほど冷たいその感触に一瞬顔をしかめるも、すぐに優しくその肌を揉み、擦り、ほぐしていく。
「さあ、起きろピース。皆がお主を待っているぞ」
「んっ…………」
ニックの手がピースの柔肌を擦り上げるごとに、ピースの口から無意識に喘ぎ声が漏れる。それと同時に肌の血色がよくなっていき、そして遂にその目がゆっくりと開かれる。
「ニック……様…………?」
「ああ、そうだぞ」
「私は……助かったのですか……?」
「当然だ。儂がお主と過ごした時はそれほど長くはないが……それでも儂が約束を破ったことなどあったか?」
「……いいえ、ただの一度もありませんわ」
蕩けるような笑顔を浮かべ、ピースが腕に力を込める。まだ少しだけ力が入りづらかったが、それでも腕は己の心のままに伸び、ニックの首に巻き付いていく。
「……………………あぁ!」
言葉など出なかった。この喜びを、この感動を、言葉で表すことなどとてもできない。故にピースはニックに縋り付いて泣き……そしてニックは、ピースが落ち着くまでそっとその背を撫で続けるのだった。
「聖女様!? お体はもう宜しいのですか!?」
「心配をかけましたね、モレーヌ。でももう大丈夫ですわ」
報告を受けて部屋に飛び込んで来たモレーヌに、ピースは微笑みながらそう返す。一応ベッドに横になり上半身だけを起こしている形ではるが、その体調はすこぶるいい。
ちなみに、室内にいるのはピースだけだ。あまり公にしたくない情報が大量にあるため、ピースをベッドに寝かせた後はニック達はすぐに退散し、フレイのみがジッと自室で待機していたらしいモレーヌに声をかけたのだが、そのフレイも既に帰還している。
「私を見ていただいた方の知見では、今後平穏に過ごすのであれば四~五〇年は大丈夫だろうとのことです」
「そうなのですか!? ああ、よかった。本当によかったです……」
骨事変が無かったとしても、ピースの余命は一〇年もなかった。だが今のピースにはおおよそ平均的な基人族と同じ程度の時間がある。無論また限界まで聖水を大量生産したり無茶な力を使ったりすればその分だけ寿命は縮むだろうが、世界が平和への一歩を踏み出した今、そんな無理をする必要はもうないはずだ。
「勇者様のお言葉だったとは言え、いきなり聖女様が姿を消した時は、一体どうしようかとうろたえてしまいましたが……聖女様?」
「? 何ですかモレーヌ?」
「いえ、その……何故そのようにお腹をさすっておられるのかと」
ベッドにて体を起こしたピースが、何故か自分の腹を慈しむように撫でさすっている。その行為に訝しげな視線を向けるモレーヌだったが、それに対してピースは少しだけ恥ずかしそうな笑顔を見せる。
「これは……何でもありませんわ。まだ少しだけ感触が残っているというか……」
「か、感触!? 聖女様、それは一体……!?」
「ですから、何でもありません。ただ愛しい殿方に優しく抱きしめられただけでなく、情熱的に肌をまさぐられたり、熱いものを体に注がれたりしただけで……ああ、温かい。命というのは、かくも温かいものなのですね」
「ひ、ひ、ヒァァァァァァァァ!?!?!?」
絹を引き裂くような老女の悲鳴が、ピースの寝室に響き渡る。
勿論、ピースは嘘など言っていない。確かにニックに抱きしめられたし、体中をマッサージもされたし、熱い魔力を注がれたりもした。とりとめた己の命は大切な友人と沢山の人々の善意の結晶であり、手に触れる自身の温かさは泣きたくなるほどに尊い。
だからこそピースはそんな表情を浮かべているわけだが……モレーヌがそれを知る由はない。想像するのはもっとずっと衝撃的なことだ。
「だ、誰が!? 治療と称して聖女様に不埒を働くなど、一体何処の誰がそのようなことを!? 今すぐこのモレーヌが出向いて、そっ首を叩き落としてやらねば!」
「それはやめてくださいモレーヌ。私の命の恩人にして最愛の殿方の首を落とされたりしたら、私泣いてしまいますよ?」
「聖女様ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「さっきから何なんだ!?」
「もしや、また聖女様に何か!? 大丈夫ですか聖女様!」
再び響いたモレーヌの声に、他の神官達もピースの部屋に集まってくる。その後しばらくの間、巷で「聖女が寝込んでいたのは妊娠したかららしい」という噂がまことしやかに流れることになり、どこぞの筋肉親父が娘と仲間に尻を蹴られながらこの部屋を訪れたり、「では、真実にしてしまいましょう!」と聖女に抱きつかれて更に尻を蹴られることになったりするのだが……それはまた別の話である。
外伝その2も、これにて完結となります。続けて明日からは、最後となる外伝その3をお楽しみください。





