聖女、約束する
「久しいなピース。息災だったか?」
そう言って笑うニックの笑顔は、夜の闇でも輝いて見える。その予想外の再会に喜ぶよりも何よりも、ピースは無意識にそれを問うてしまう。
「に、ニック様……その格好は……?」
窓際に立つニックの格好は、上半身が裸の上に目にも鮮やかな赤と緑の塗料で塗りつぶされており、下半身は植物で編んだと思われる腰蓑を身につけているという、何をどうしたらそうなるのかわからない装いだった。如何に感動の再会とはいえ、流石のピースもこれには突っ込まずにいられない。
「む? あー、すまぬ。ちょっと急いで来たせいで、格好が向こうのままだったな……今着替えるから、少し待ってくれ」
「は、はぁ……」
苦笑したニックが、部屋の隅に移動して体に塗られた塗料を拭き取ったりしはじめる。その姿をただ見つめることしかできないピースに対し、側にいた小ピースの方は思いきり顔をしかめて声をあげる。
「ふ、不審者!? 不審者ですわよ!? 貴方これ、誰か呼んだ方がいいんじゃありませんか!?」
「え? いや、ニック様ですよ? というか、貴方……お姉様がニック様を呼んでくださったのではないのですか?」
「違いますわ! こんな変人呼ぶわけないじゃないですか!」
「なら、どうしてニック様がここに……」
「ハッハッハ、これはまた異な事を言うな」
戸惑うピースに、着替えを終えたニックが笑いながらベッドの側に近づいてきて言う。
「大事な友人であるお主が泣いているのに、儂が来ないわけないではないか」
「っ……………………!」
たった一言。ただその一言だけで、ピースの胸が一杯になる。今すぐにその大きな体に抱きつきたいのに、その意に反して体が動かない。
「……何故、このような時間にいらしたのですか? 年頃の娘の部屋を訪ねるには些か以上に非常識な時間だと思いますが?」
「む? それはそうだが……」
「帰ってください」
そして心とは裏腹に、ピースの口から漏れ出たのは拒絶の言葉だ。
「帰ってください……帰って! 今はニック様にはお会いしたくありません! お願いですから帰ってください!」
「ふむ。それは無理だな」
「何で!?」
「決まっておろう。お主が掴んでいるからだ」
「えっ!?」
苦笑するニックの視線が、自分の腰の辺りに落ちる。ピースがその視線を追えば、動かなかったはずの自分の手がいつの間にやら伸び、ニックの服の裾をほんの少しだけ摘まんでいた。
「いえ、これは……」
「恥ずかしがることはなかろう。体調が悪い時は、誰でも寂しくなってしまうものだ。フレイも小さい頃に熱を出すと、そうやって儂の服をよく掴んだりしていたからな」
「そう、なんですか? フレイさんは勇者……世界を救った真の勇者なのに……?」
「そりゃあ、勇者だからといって心細くなったりしないわけではないだろうからな。儂からすればフレイもお主も、可愛い娘のようなものだ」
「娘、ですか……」
ニックの言葉に、ピースは複雑な表情を浮かべる。飛び上がるほどに嬉しいと感じる反面、それでは足りないと訴える気持ちもある。そしてすぐに我に返り、再びニックを睨み付けようとするが……その優しい目を見てしまえば、これ以上虚勢を張ることなどできるはずもない。
「ニック様。私は……私は普通の人間ではないんです」
それは、できれば一生隠しておきたい秘密だった。妻や恋人にはなれずとも、せめて人として見て欲しい。そんな自分に許されたほんの小さな我が儘として、告げることなく生きて、そして死んでいきたかった。
だがそんな告白に、ニックは軽い調子で頷いて返す。
「ふむ、そうか」
「……え? それだけですか?」
「それだけと言われてもな……普通であろうとなかろうと、お主はお主であろう?」
「で、でも! 人間じゃないんですよ!? それが気にならないのですか!?」
「特に気にする要素だとは思えんが……というか、お主儂とオーゼンの関係は知っているであろう?」
「それは勿論……ですが……」
「心があれば、それは人だ。心が交わせるならば、それは友だ。姿形やその在り方など、心があることに比べれば些細な違いではないか。さっきも言ったであろう? 肩書きも在り方もどうでもいい。お主はただの恋する娘だと」
「…………ニック様は、狡いです。そこまで言っておきながら、私を最後に抱いてくださったりはしないのでしょう?」
「抱きしめるだけでいいなら、いつでもいいぞ? ほれ」
言って、今度はニックがピースの頭を抱きかかえる。先程とは違う大きく力強い感触に、ピースは身も心も委ねて静かに目を閉じる。
「……ニック様。私の話を聞いてくださいますか?」
「無論だ。幾らでも聞こう」
「では、お話させてください。私の……ピース・ゴールディの話を」
頬にニックの温もりを、耳にニックの心音を感じながら、ピースは自分の事を語っていく。そうして語れば語るほど胸が軽くなっていき、自分の重さ、存在全てがニックの中に溶けていくように感じられる。
事ここにおいて、隠すことなど何もない。流石に本体の場所やその運用法など、ピースという「個人」が語ることのできない、そして説明する意味を感じないことに関しては省いたが、それでも自分が話せる全てを話し終え……温もりにまどろむピースの耳に、ニックの声が心地よく響いてくる。
「そうか……よく頑張ったな」
「はい、頑張りました……なので私は、ここで終わりです」
精一杯に頑張った。その努力を愛する人が認めてくれた。ならばこれ以上何を望むというのか? 自分でも意外なほどに落ち着いたピースの言葉に、しかしニックは顔をしかめてしまう。
「終わり、か……それは何とかならんのか? たとえば……ほれ、お主!」
「ふぇ? 私ですか?」
突然に話を振られ、空気を読んで壁際で大人しくしていた小ピースが驚きの声をあげる。
「そうだ。お主もピースと同じなのだろう? ならばその……ごる、何だ? それをお主が分けてやることなどはできんのか?」
「それは無理ですね。私の体に万能触媒は流れておりませんので」
「む? そうなのか?」
「はい。そのピースと同じだった体は、長い年月の果てにとっくに朽ち果ててしまっております。で、今使っているこの体はお父様が新しく作って下さったものなので、現代では調達できない万能触媒は使われていないんです」
「そう、か……いや、ならばアトミスに頼んで、お主と同じ体を用意してもらうのはどうだ? 同じというのであれば、こっちのピースもその体に移れるのではないか?」
「それは……理論上は可能ですが、材料がありません。体だけならまだ何とかなりますが、意識を移せるような魔導核はこの時代ではどうやっても調達できないので……」
オーゼンの場合ならば、自身が魔導具なので極論適当なゴーレムに接続するだけでもなんとかなる。が、ピースの体は人と同じ生体部品……要は脳やら内臓やらが普通に存在している。となるとそれをゴーレムに直接組み込むのはそれこそ現代の設備では不可能であり、かといって人の意識、魂すらも書き込めるほどの高純度の魔導核の作成難度はそれよりも更に高い。
「ごめんなさいニック様。やはり私はここで……」
「いやいやいや、諦めるな! まだ手段は幾らでもある。『王の羅針』でその魔導核とやらを探してみるか、あるいは別の異世界で素材を探してみるか……」
『ちょっといいか?』
と、そこでこちらもまた空気を読んで黙っていたオーゼンが、不意にこの場の全員に聞こえるように魔力で空気を震わせて声を発する。
「ん? 何だオーゼン?」
『一つ確認したいのだが、その万能触媒とやらは、一旦薄めてしまうと再濃縮したりはできないものなのか? あるいは薄めた状態でも大量にあれば反応させて新たな万能触媒を生み出すことは可能か?』
「それは……どうなんでしょう?」
「薄めた溶液の種類にもよると思いますが……それがどうかしたんですか?」
二人のピースが見つめ合い、首を傾げて問う。それに対する答えは実に虚を突く予想外のものだ。
『なに、薄めた万能触媒ならばこの世界に大量に出回っていると思ってな』
「何だと!? おいオーゼン、どういうことだ!?」
『貴様はさっきの話を聞いていなかったのか? 聖女の作る黄金の聖水、その材料は何だ?』
「は? それは……っ!?」
「浄化した水で一〇〇倍に希釈した、万能触媒…………!?」
驚愕がその場を満たし、まん丸に見開かれたピースの目がニックを見る。
『永劫不変とまでは言えずとも、封の切られていない聖水であれば集めて濃縮すれば再利用できるのではないか? それで最低限の量を確保できれば――うおっ!?』
「オーゼン! お主は最高の相棒だ! 今ほどお主を誇りに思ったことはないぞ!」
腰の鞄から取りだしたオーゼンを、ニックは高々と抱えて振り回す。その後は一度思いきり抱きしめると、オーゼンを鞄に戻してからピースの方に顔を向けた。
「ニック様……私は……私は……っ」
見せられた希望に、ピースの心に火が灯る。それは生きたいという欲望であり、死にたくないという渇望。あまりにも甘美な夢に、だからこそ恐怖で体が震える。
「大丈夫だ」
そんなピースの手を、ニックは優しく握った。その力強い命の感触は、ピースのなかに湧き上がってきた恐怖を跡形も無く吹き飛ばしていく。
「この儂が、世界中に残っている黄金の聖水、その全てを回収してこよう! 儂を信じて、それまで耐えろ! できるな、ピース?」
「…………はいっ!」
溢れる涙の向こう側にある確かな笑顔に、ピースは万感の想いを込めて答えた。





