皇帝、噛みしめる
巨大な魔導鎧の隙間から真っ白な蒸気が噴き上がり、それに合わせて魔導鎧から光が失われていく。同時に超常の力も失われ、もはやマルデの意思では魔導鎧の指一本動かすことはできなくなっていたが、問題はそこではない。
「いやー、間に合ってよかったぜ! んじゃ、後は適当に片付けて――」
「ま、待て。余は何故生きているのだ?」
何事も無かったかのように去ろうとするアトミスに、マルデは意思を振り絞って声をかける。だがそれに答えるアトミスは何ともとぼけた表情のままだ。
「ん? 何故って、何で?」
「全身が焼かれて死ぬと、貴様が言ったのではないか!」
「は? 何言ってんだお前。そんなわけねーだろ」
「はぁ!?」
「あの、アトミスさん? アタシもよくわかんないんだけど、何で陛下は無事なの? 同じ事をアタシがやったら死ぬ可能性が高かったのよね?」
「あーん? そりゃ生身にこんな力を流し込んだら死ぬだろ。でも今はその鎧に力を流し込んだんだから、死ぬわけねーじゃん。まああれだけの量の力を注いだから、着ている奴も多少息苦しいくらいの影響は出ただろうけど」
「……あー、そう、なんだ。えっと……ご無事で何よりです、陛下」
「…………う、うむ。ありがとう」
引きつった笑みでそう告げるフレイに、マルデは軽い放心状態のまま頷いてみせる。そのままスポッと手足を引き抜けば、ごく普通に体は動いた。
「本当に何ともないな……」
「器の出来がまあまあよかったからな。元々の設計思想としてこの力を収束して使うことを想定してたやつだから、俺のスペアボディを使うよりいい結果になったとすら言える。流石は皇帝、先見の明ってやつがあるじゃねーか!」
「お、おう……?」
「えっ、待って。スペ何とかって何? ひょっとしてこれがなかったとしても、アタシが犠牲になる必要はなかったとか?」
アトミスの言葉にマルデは何とも言えないしかめっ面をし、フレイの方は震える手を伸ばしながらアトミスに問い掛ける。そしてその答えは実に無慈悲なものだ。
「ああ、ねーな。他の手段がちゃんとあったし」
「何でそれを言ってくれないのよ!?」
「言おうとしたのに、姉ちゃんが俺の話を聞かなかったんじゃねーか! しかもその後は何か二人で勝手に盛り上がってたし……まあ全部解決したからいいけど。
よし、これだけ数値が安定すりゃ直接転送もできそうだな。可愛い妹が待ってるから、俺は一足お先に失礼させてもらうぜ! さらばだ!」
そう言ってアトミスがシュタッと手を上げると、転移陣に入った時と同じようにその体が光となって消えていく。そのあまりの早業に、フレイの反応が一瞬間に合わない。
「あっ、ちょっ!? 何でアタシを置いて……いや、ウイテルに跳ばされても困るけど……あーもうっ!」
地団駄を踏むフレイだったが、それでアトミスが戻ってくるわけではない。残されたフレイの前にいるのは変わらず騒がしく『信仰の書』をいじり回しているドーナルドと、ボーッと自分の手のひらを見つめているマルデのみ。
「このワガハイを小間使いのように扱うとは、とんでもない奴だったド! だが奴のおかげでコレの解明も進んだし、いずれはアンチ・エナジーの研究も……ドッドッド、今少しの間だけ、お前の残した指示に従ってやるド!」
「……………………」
「……じゃ、じゃあその、アタシもこれで失礼します、ね?」
「……………………」
「あ! 途中で誰かにあったら、もう避難しなくても平気だって伝えておきますね!」
「……………………」
「うぅぅ……それでは!」
いたたまれない場の空気に、フレイもまた一方的にそう言って転移陣から外に出て行く。だがそれすらも意に介さず、マルデはジッと手のひらを見つめるのみ。
「そうか、余は生かされたのか……」
その小さな呟きは『信仰の書』の動作音にかき消され、だがマルデの胸の内にだけは確かに刻み込まれていた。
「本日の公務は以上となります」
「そうか、ご苦労。もう下がっていいぞ」
「ハッ!」
城に勤務する全人員を退避させるという、前例が無いほどに大規模な避難訓練を行ってから、一月後。いつも通りに仕事を終えたマルデが一息つくと、宰相であるウラカラがそっと紅茶を入れて執務机の上に乗せる。
「いつもすまんな。仮面を脱ぎ捨てて久しいのだから、もう使用人にやらせてもいいのだろうが」
「お気になさらず。私もこれが日課となってしまいましたので」
苦笑して言うマルデに、ウラカラもまた微笑んで答える。流石に本職には及ばないが、何処か足りないと感じさせるその味わいが、マルデは不思議と気に入っていた。
「…………今思えば」
そんな落ち着く一時に、マルデはふとあの日のことを思い出す。身の丈に合わぬ大望を求め、その罪を背負って死ぬと覚悟し、死ねなかったあの日。
「幼き日にアレを見つけた時、余の胸に生まれた願い。そのために暗愚を演じ、邁進する日々だったわけだが……それは余が小物と切って捨てた、お前の父と同じだったのではないだろうか?」
「そんな! 陛下はあの愚父とは違います。己の願いといいながらも、それは常にこの国の、そして民のためだったではありませんか!」
「そうか……そうだな」
夢にしろ野望にしろ、結局の所それは自分自身のものに他ならない。だが同じものを求め、同じ方向を目指す者が自分以外にもいるならば、それは流れとなり人を集めることになる。
そうしてできあがるのが国であり、己の願いが人々の願いの総算であるが故に、マルデは真にザッコス帝国の皇帝であったのだ。
「おっと、陛下。お茶の時間ですかい?」
『土産を持ってきたぜぇ!』
と、そこに今日もまた隠し通路からゲコックが姿を現す。単なる一兵卒となったゲコックにはもう気軽に皇帝と謁見することなどできないのだが、その立ち位置の特殊性故に今もこうして非公式に会うことが許されているのだ。
「土産? 何だ?」
「へっへっへ、こいつです」
そう言ってゲコックが執務机の上に置いたのは、紙製の箱に入った幾つもの薄い焼き菓子だった。
「紙の箱? 一兵卒の給料ではなかなかの高級品ではないのか?」
「自分で買えばそうなんですけどね。ちょっと知り合いに会って貰ったんです。何でもサブレとかいう新しい焼き菓子らしいですよ」
「ほう? では一つもらうか」
お互いの関係で、今更毒殺を警戒する必要も無い。箱の中から焼き菓子を一枚取り出し囓ると、さくりとした歯触りとバターの風味が口いっぱいに広がり、なかなかの美味だ。
「美味いな」
「でしょう? 最近は卵やらバターやらが随分と安価になったってことで、帝都でも嗜好品の幅がドンドン広がってるみたいですよ」
「そう、か。報告としては知っていたが……実際に味わうとまた違うな。おいウラカラ、お前も食べろ」
「はっ。では一つ……ふむ」
多くを語らないウラカラではあるが、その表情は確実に緩んでいる。それは味だけの問題ではなく、焼き菓子の形にも原因があるはずだ。
「で、ゲコックよ。これを仕掛けた知り合いとやらは、魔族なのだな?」
「……やっぱりわかりますかい? コイツで一旗揚げたいってことで、ちょいと陛下にも協力してもらえないかと」
「魔族との融和を後押しする意味でも、投資する価値はあるかと」
「なるほど、ウラカラも噛んでいるわけか。そういうことなら認めるのも吝かでは無いが……条件が一つある」
「何でしょう?」
軽く緊張を示すゲコックに、マルデはニヤリと笑って答える。
「この菓子……サブレだったか? こいつを定期的に納品しろ。来客に出す他に、余の分もな」
「そりゃあもう、喜んで!」
『流石は皇帝! 太っ腹だぜぇ!』
嬉しそうに笑うゲコックと、その腰で触手をくねらせるコシギン。そんな魔族の部下達を見ながら、マルデはもう一口焼き菓子を囓る。
人間でも獣人でもない異形の顔を、可愛らしく象った新しい焼き菓子。魔族を模した菓子が帝都に出回るほどに、世界は一つになろうとしている。
「あんな力など無かったとしても、余の大望は身近に存在していたのかも知れんな……」
さくりさくりと頬張る焼き菓子は、甘く優しい平和の味がした。
ということで、外伝その1はここまでとなります。明日からは引き続き外伝その2をお送り致します。





