皇帝、公開する
「ついたぞ。ここだ……が…………」
皇族のみが知る、秘密の避難通路。その奥に隠された転移陣の前までやってきたマルデ達だったが、目の前にある転移陣からバチバチと火花のようなものが飛び散っているのを見れば、思わずその足も止まってしまう。
「え、ここに入るの!? ねえ、これ本当に平気なわけ!?」
「距離も近いし、このくらいなら何とか……っていうか、今更穴掘ったってもう間に合わねーんだから、これで跳ぶしかないだろ! じゃ、先行くぜ!」
「あっ!?」
そう言うなり、アトミスが躊躇うことなく転移陣に足を踏み入れる。すると明らかにヤバそうな音を立てつつもアトミスの姿が掻き消え、後にはかすかに白い煙が立ち上るのみ。
「ぐぅぅ、ここで見捨てたらイデアちゃんに顔向けできないし……えーい、女は度胸! ていっ!」
次いでフレイが足を踏み入れ、同じような反応を残してその場から消える。そして最後に残ったマルデは、これ以上無いほどに苦い表情で転移陣を見つめる。
「ええい、ままよ!」
危険そうだからとここで引き返すくらいなら、最初から避難している。意を決して転移陣に足を踏み込むと、いつもとは違って肌にピリピリとした刺激を感じる。
(ぬおっ!? これは大丈夫なのか……!?)
恐れたところで今更どうしようもない。そのまますぐに意識が暗転し、次の瞬間には見慣れた室内の光景がその目に映り込んだ。
「どうやら助かった……と言うには、まだ早すぎるようだな」
「ドーーーーーーーーーッ!」
「叫んでねーで、さっさとそっち調整しろ!」
ため息をつくマルデの前で、二人の男が『信仰の書』を前に右往左往している。細い白衣の方は先程自分が連れてきたアトミスであり、煌びやかな貴族服と道化師の化粧をしている男は当然ながらドーナルドだ。
「まったく、何でこんな馬鹿なことしやがった!」
「ドッドッド! ワガハイはただアンチ・エナジーの研究を――」
「何がアンチ・エナジーだ! 炎と氷にしろ光と闇にしろ、同一エネルギーのプラス値とマイナス値の違いでしかねーじゃねーか! 対消滅舐めんな!」
「ドドッ!? で、でもそういう常識では考えられない結果だって、今まで何度も得てきたんだド!?」
「馬鹿かオメーは! そりゃお前が観測できてないところで別の概念が加わったせいだろーが! 技術者ってのは非常識を常識に変えるもんだろ! 最低一万回は同じ実験を繰り返して、その全部を記録しろ! で、誤差の範囲で収まらない結果が出た場合は、その条件を探すためにもう一〇〇万回実験しろ!」
「ドドドォ!? しかし、そんな予算と時間は――」
「ひねり出すんだよコンチキショーが! ほら、そっちの数値読み上げろ!」
「ドー!」
「……………………何だこれは?」
「あ、陛下。アタシにもよくわかんないですけど、多分何か大変なんだろうなーって」
「あー、そうか。うむ……」
たった一言の会話で、マルデは隣に立つ勇者がこの場に置いてこれっぽっちも役に立たないことを見極めた。ならば他の者に事情を聞きたいところだが、忙しなく動く二人に話しかけていいものかという迷いは拭えない。
もっとも、その逡巡はアトミスから話しかけてきたことで徒労に終わることになる。
「お、来たかアンタ! てか聞けよ! この馬鹿『信仰の書』を暴走させて、そっちの姉ちゃんに注がれなくなった力を全部集めてやがったんだ!」
「そ、そうなのか……? おい、ドーナルド……」
「実験に使えるエネルギーは、多い方がいいに決まってるド!」
「限度を考えろって言ってんだ糞馬鹿が! うーわー、これどうすっかな」
「ね、ねえアトミスさん? アタシにも何か手伝えることある?」
渋い顔で成り行きを見守るマルデの隣で、完全に手持ち無沙汰になっていたフレイがこれを機にと声をかける。するとアトミスは一瞬だけフレイの方に顔を向け、厳しい表情で唇を噛みしめる。
「ある。多分姉ちゃんにしか頼めない、が…………」
「何? アタシにできることなら、大抵のことはするわよ?」
「…………ここに溢れてるのは、かつて姉ちゃんの体に溢れていた勇者の力そのものだ。こいつは人の心の力だから、むき出しの力のままだとこっちからの干渉を受け入れない。つまりこれをどうにかするには、一旦器に力を収めないといけないんだが……」
「アタシが力の器になれってこと? いいわよ。前と同じ状態になるくらい、全然平気だし」
「同じじゃねぇ! こんだけの力を無理矢理突っ込んだら、よくても全身の神経がズタズタに引き裂かれる。しかも普通の怪我じゃねーから、回復魔法で治らない可能性が高い。
最悪なら死ぬ。助かっても一生寝たきり。何事もなく今の健康体に戻れる可能性は……大負けに負けて万に一つってところだな。だから――」
「……やるわよ」
アトミスの言葉を最後まで聞くことなく、フレイが覚悟の決まった声でそう告げる。だがそれを聞いたアトミスに浮かぶのは、困惑の表情だ。
「いや待て。そういう自己犠牲みたいなのは違うだろ? だから――」
「自己犠牲なんかじゃないわよ! だって、アタシは死なないもの!」
またもアトミスの言葉を遮り、そう言ってフレイが笑う。
「そう、アタシは死なない。だってもしアタシがここで死ぬ運命なんだったら、絶対に父さんがここに来て、世界なんかどうでもいいって感じでソイツを殴り壊してるはずだもの!
そして、生き残れさえすれば後はやっぱり父さんがどうにかしてくれるわ。何かこう……凄い何かで!」
自分を愛し、自分が信じる父は、たとえ世界を隔てようとも絶対に自分の危機を見逃したりしない。どんな困難な状況にあろうとも必ず自分を救ってくれる。その確信があるからこそ、フレイは震える拳を押さえ込んで笑うことができる。
そしてそんなフレイの態度に、アトミスは思わず苦笑いを浮かべた。
「あのオッサンに丸投げすぎるだろ……まあ確かにあのオッサンならそんなことが出来そうな気はするけどさ」
「でしょ? だからアタシが――」
「だから話を最後まで聞けって! 俺に――」
「力の器とやらがあればいいのだな?」
そんな二人のやりとりに、不意にマルデが口を挟んだ。訝しげな顔でアトミスが振り向くと、そこには何処か達観したような表情を浮かべるマルデの姿がある。
「ああ、そうだけど。言っとくがアンタじゃ無理だぜ?」
「そんなことはわかっている。余が勇者でないことなど、十分すぎるほどにな。だが……」
そこで言葉を切ると、マルデは部屋の隅にあった金属製の箱に手を掛け、その正面の扉を開く。その中に入っていたのは、目の覚めるような赤に金の縁取りのなされた、大型の魔導鎧。
「これならばどうだ?」
「おいおい、何だそりゃ!? 見るからに浪漫の塊じゃねーか!」
「これこそが余の切り札。勇者の力を集め、装着した余を人造の勇者と変えるための究極の魔導鎧。その名も――」
「よし、コイツの名前はアツメル・マギメイルだ! これなら少し手を入れりゃ、十分器になるはずだ! おい、お前もこっち来て手伝え!」
「むぅ、さっきから人使いが粗いド!」
「うるせー、テメーのせいなんだから働け!」
「ドー!」
「そんな名前ではないのだが…………フッ、そうか。ではこの魔導鎧を、お前に託すとしよう」
早速魔導鎧に近寄って何やらし始めたアトミス達に、マルデは寂しげな苦笑を浮かべてそう呟いた。





