皇帝、荒ぶる
およそ一ヶ月のご無沙汰を経て、今日よりしばらく外伝の連載を開始します! ゆっくり楽しんでいっていただければ幸いです。
「くそっ、くそっ、クソッタレがぁ!」
それは魔族との和平交渉が進むとある日の、ザッコス帝国、帝城の執務室。感情を露わに怒鳴り散らす皇帝マルデに、横に控える宰相のウラカラが表情を動かすこと無く声をかける。
「気分をお鎮めください、陛下」
「ああ、わかっている。わかっているぞ。こんな状態で人前に出ることなどできるはずもない……だが、だからだ。だからこそ今この場で、こうして感情を発散させておかねばならんのだ! くそっ、くそっ!」
忠臣の言葉を聞いてなお、マルデの気持ちは収まらない。そしてそれは今だけではなく、ここしばらくの日課になってすらいる。それというのも全て、今や「真の勇者」と呼び声高いフレイの為した偉業の一つ、「全人類勇者化」が原因であった。
「何だったのだあれは!? あんなことができるなどと、一体どうして予測できる!? あれのせいで余の計画は台無しだ! 畜生め!」
ドーナルドの手を借り、魔導鎧に仕込んだとある機能。それは勇者が全人類から勇気を集めるかの如く、魔導鎧を着た人物の魔導鎧に対する信頼感などをより集め、人造の勇者を作り出すというものだった。
「魔族との戦争が激化することで、魔導鎧はドンドン世界中に浸透していった。後は最後の詰めとして、余が特製の魔導鎧を身につけ、全ての魔導鎧装着者の力を集めさせすれば計画は完成だった……完成だったというのに……っ!」
だが、その目論見はもはや敵わない。フレイが自身の力を拡散した際、その影響を受けて魔導鎧に埋め込んでいた魔力の送信機構が全て焼き切れてしまったのだ。
無論これから新しく製造される分に関しては正常に稼働するだろうが、魔族との戦争が終結してしまった今、これまでのような勢いで金のかかる魔導鎧が量産されることはないだろうし、何より問題なのは魔力を送信する機能のある魔導鎧と、無い魔導鎧の二種類が同時に存在してしまうことだ。
この状態で力を集めたりすれば、魔導鎧に仕込みがあることが明白にばれてしまう。それでも暗愚を演じている頃なら「自分は何も知らない。魔導鎧の開発指揮を執っていたカゲカラが何か仕込んでいたのではないか?」ととぼけることもできただろうが、今となってはそれも不可能。
「……まさか、この全てが計算の上だとでも言うつもりか? だとしたらあの小娘、とんでもない食わせ物だ」
ボルボーンの生み出した、大量のスケルトン達。それから国を、民を守る為には暗愚のふりをして遠回しな指示を出すのではとても間に合わず、マルデは遂に仮面を脱ぎ捨てることを余儀なくされた。
その結果国内のみならず国外でもマルデの名誉は大きく挽回され、一部では「眠っていた獅子が危機に瀕して覚醒した」などと持て囃されていたりもする。そうして有能さの片鱗を見せつけてしまった以上、まともな為政者や権力者ならかつてのようにマルデを「ただの暗愚」と侮る扱いはしないだろう。
「ふぅ…………まさか何もしないうちに、余の大望が潰えることになるとはな…………」
「心中お察し致します、陛下」
ようやく憤りを吐き出し終えたマルデに、ウラカラが恭しく頭を下げる。そんな部下の態度を見てしまえば、これ以上騒ぎ立てる気にもならない。
「……すまんな、いつも下らぬ八つ当たりに付き合わせてしまって」
「お気になさらないでください。それで陛下のお心が休まるのなら、幾らでも愚痴にお付き合いいたしますよ」
「フッ、そうか」
あくまでも冷静なウラカラと対比し、マルデは子供のような癇癪を抑えられなかった自分に苦笑する。
(そうだ。得られるはずの力が失われただけで、今在る何かが無くなったわけではない。ならばこの後はもっと地に足の着いた政策で帝国を発展させていけばいい)
大望は幻と消えても、足下の地面が崩れたわけではない。そう気を取り直し改めてマルデが仕事に取りかかろうとすると、不意に室内の扉ではない場所がカチャリと開き、そこから見覚えのある男が姿を現した。
「ふーっ、やっと着いたぜ」
『ここまで長かったぜぇ!』
「お前は、ゲコック!?」
城の内部に無数に張り巡らされた隠し通路。その一つを通ってやってきた蛙男に、マルデは驚きと共に声をあげる。
「どーも陛下。お久しぶりです」
「……ああ、久しいな」
親しげに声をかけてくるゲコックに、マルデはそう言いながらチラリとウラカラに視線を向ける。するとその意図を正確に理解したウラカラはそっと壁際へと後退して、ごく軽くコツコツと拳で壁を叩いた。
その瞬間、壁の向こうで幾つもの気配が動いていく。その剣呑な気配はゲコックにも伝わっていたが、それでもゲコックは緊張すること無くべろんと長い舌を出して苦笑しながら会話を続けていく。
「やだなぁ、そんなに警戒しないでくださいよ。別に陛下に何かしようなんて思ってませんってば」
「まあ、そうだろうな。だが何もしないわけにはいかないというのもわかるだろう?」
「ま、そりゃあね。一応聞くんですけど、俺の魔導鎧はちゃんと回収してもらえましたか?」
「無論だ。お前の失敗の尻拭いも、きっちりと終えている」
「そいつぁどうも」
ゲコックの正体を知っているマルデからすれば、普通の人間の死体がゲコックの魔導鎧を身につけていた時点で、何らかの理由でゲコックが生きてその場を去ったことを推測するのは容易だ。つまりゲコックの意思は正確にマルデに伝わっていたことになる。
ならばこそその証拠を以て、マルデは「魔族が人間になりすまして潜入していた」というゲコックの部下達の訴えを封殺した。最初は抗議してきた騎士達も、「極限状態の戦場で幻を見たのではないか?」と上から強く問い詰められれば、自分の将来を犠牲にしてまで問い詰めたいとは思わない。
そして当事者が口をつぐめば、噂などあっという間に消えてしまう。晴れてゲコックは人間の騎士として死んだわけだが……その死者がここに舞い戻ってくる理由が、マルデには思いつかなかった。
「それで、お前は一体何をしにここに来たんだ? まさか余の顔を見に来ただけではあるまい?」
「それなんですけどね……実はここに再就職させてもらえないかと」
「何? 再就職?」
「はい。俺の方もあれから色々ありましてね。同じ里出身の奴と話をしたりもしてみたんですけど、どうも今の魔王軍は採用が渋いらしいんですよ」
肩をすくめてみせるゲコックに、マルデは軽く眉根をよせる。
「それはそうだろう。今の段階で魔王軍を解体などしたら、人間の領域よりもずっと広い魔族領域に統率を失った力をバラバラに解き放つことになる。ならば軍の体裁を保ったまま軍縮を求めるのが妥当な落とし所だ。
だが、それと我が帝国への再就職の繋がりはなんだ?」
「それは――」
「それは私から説明致します」
ゲコックの言葉を、意外な人物が遮ってくる。
「ウラカラ? どういうことだ?」
「はい。魔族と人間との和平交渉は始まりましたが、現状ではまだやっと話し合いのテーブルについたというくらいでしかありません。であればここで魔族を兵士として採用すれば、他の国に一歩先んじて和平への道を踏み出したと主張でき、帝国の立ち位置をより一層高められるのではないかと判断致しました」
「……つまり、この絵はお前が描いたと?」
「私はいつでも帝国の発展を第一に考えておりますので」
ジッと見つめるマルデに、ウラカラは表情を動かすこと無くそう答える。
「……なるほど、そうか」
そんなウラカラを見て、マルデは内心で笑みをこぼした。ウラカラの忠義を疑うつもりは微塵も無いし、確かに帝国の利益にも繋がる提案だが、ただそれだけということでもないのはマルデにもわかる。
「確かに、ゲコックならば魔族を雇い入れるという不安要素を大幅に軽減できる。だがいいのか? 今度は一兵卒だぞ?」
「ええ、構いません。むしろそこから成り上がってこそ『下剋上』ってもんでしょ?」
『兄貴なら楽勝だぜぇ!』
「そこまで落ちても、まだ夢を語るか……いいだろう、採用しよう。ウラカラ、手続きをしてやれ」
「ハッ」
「やったぜ! 流石陛下!」
『感謝しちゃうぜぇ!』
あからさまに喜びを露わにするゲコックと、その腰でウネウネと触手をうねらせるコシギン。そんな二人の姿を見つめるウラカラの顔も、心なしか微笑んでいるように見える。
そしてそんな部下達の姿を目の当たりにし、マルデの胸にも消えかけていたやる気の炎が燃え上がっていく。
(そうだ。余の天運はまだ尽きてなどいない。ここからだ。ここからまた登っていけば……)
ガンガンガンッ!
と、その時。不意に執務室の扉が乱暴にノックされる。すぐにゲコックがその身を隠し、それを確認したマルデが頷くと、ウラカラが扉を開いて伝令の兵に声をかける。
「何だ?」
「も、申し上げます! 皇帝陛下に謁見の許可を求める方がいらっしゃいました!」
「約束も先触れも無しで、陛下に謁見? こんなところまでわざわざ報告に来たと言うことは、何処かの国の王族の方でも来られたのか? 」
「いえ、その……」
「何だ、はっきり報告せよ」
「は、はい! 陛下に謁見を求められているのは……フレイ様です! 何でも城の地下にある遺跡? についての話があるとかで……」
「何、だと……っ!?」
額に汗を浮かべながら告げる兵士の言葉に、マルデは思わず顔をしかめる。心機一転、新たに頑張ろうとしていたマルデの道は、その最初の一歩にて早くも崖に辿り着きそうであった。





