父、正座する
「あのね父さん、アタシだってこんなこと何度も言いたくないのよ? でもほら、人として最低限守るべきものって、やっぱりあるでしょ?」
「そうよぉ! いい年をした大人がぁ! 人前で裸になっちゃいけないなんてぇ! いちいち言われるようなことじゃないでしょぉ!」
「むぅ……いや、本当に申し訳ない」
魔王城、謁見の間。いきり立つ娘と仲間を前に、ニックは正座をしてその巨体を小さく縮こまらせていた。なお、当たり前だが既に服は着ている。
『まったく貴様という奴は。だから常識を弁えるべきだと何度も言っているのだ』
「ぬぉっ!? お主だって儂が服を着ていなかったことに気づかなかったではないか!」
『……何を言っているのかわからんな。我は単なる魔導具であり、貴様に使われているだけの哀れな存在だからな』
「オーゼン!?」
「ほら、言い訳しない! えっと……オーゼンさん? だって、好きで父さんの股間に張り付いてたわけじゃないんでしょ?」
『そうだとも! わかってくれるかニックの娘よ!』
「え、ええ。わかるけど……」
予想の三倍くらいの勢いで返事をされて、思わずフレイがちょっとだけ後ずさる。そしてそんなオーゼンの対応に、ニックは正座したまま血の涙を流した。
「くぅぅ、まさかこのような手ひどい裏切りにあうとは……もう誰も信じられぬ。こうなったら山奥で一人静かに暮らすしか……」
「それ、今と何か違うのぉ? っていうか、結局それにもオーゼンは持って行く……ついていくんじゃなぁい?」
「うむん? まあそうだな」
『フッ、不本意だが仕方あるまい。我が見ていてやらねば、この男は非常識なことばかりしでかすからな』
「ハァ。本当に貴方達、いいコンビねぇ……」
「おーい、楽しそうなところわりーけど、そろそろいいかー?」
呆れた表情をするムーナに、ずっと死の螺旋と向き合ったままのアトミスが声をかける。生体ではないのにその目の下に隈が浮かんでいる辺りは、アトミスのそこはかとない拘りである。
「あ、ごめんなさいアトミスさん。それで、そっちの方はどうですか?」
「あー、正直よくはねーな」
謝罪と共に問い掛けるフレイに、しかしアトミスは渋い顔をする。
「とりあえず、今までやってた作業は全部パーだ。浄化すべき汚染魔力がいきなり無くなっちまったんだから、まあ当然だな。それとオッサンが無茶苦茶やったせいで暴走寸前まで負荷のかかった各システムに関しては、何とかリカバリーはした」
元々アトミスがやっていたのは、数千年かかる浄化作業の効率をひたすらに高め、可能な限り短時間で作業を終わらせるための改造だ。だがニックの活躍により膨大な量の汚染魔力が一度に浄化されてしまったためそれ自体は無用の長物となり、また瞬時に溢れた魔力のせいで死の螺旋のみならず他の三つにも多大な負荷がかかることになり、その応急処置が今どうにか終了したところだった。
「むぅ、すまぬ。もう少し時間をかけて少しずつやれればよかったのだろうが……」
『まったく。いつもいつも貴様はやり過ぎなのだ!』
「あー、いや、別に謝るようなことじゃねーよ。むしろ四つ全部使って並行処理するようにしても一〇〇年より短くはできなかったし。
にしても、愛か……愛でいけるなら浪漫でもいけねーかな? 後でもう一回構築してみよう……」
「お父様、考えるのは後ですわ!」
自分の思考に潜りそうになったアトミスを、側にいたピースがたしなめる。なまじ食事や睡眠が必須ではないだけに、考え始めると延々と考え込んでしまうためだ。
「おっと、そうだな。で、ひとまずこれで問題はないんだが、新たに溢れてる魔力の流れを整えたり、新しい浄化システムの構築なんかをしたいから、一ヶ月くらいは時間が欲しい」
急ぐ必要こそなくなったが、妹が暮らす世界だと思えば手抜きなどできるはずもない。如何にアトミスが天才であっても、今後数千年を見越した手直しとなればそのくらいの時間はどうしても必要だった。
「てことで、俺とピースはまだ当分ここに居残りだが……そっちはどうなんだ?」
「書簡の返事は、一通も来ないわねぇ」
ニックの体感時間はともかく、ニックが入って出てくるまでに通常世界では一週間ほどの時間が経過していた。そしてその間に、フレイ達は魔王オモテボスから受け取った和平交渉を求める書簡を、鍵の力を使って世界各地に届けてまわっていたのだ。
その結果、一応戦闘行為そのものは中断されたようだが、今のところ返信の書簡が魔王城に届けられたことは一度も無い。
「ま、一週間じゃ無理だろ。今頃どの国もお偉いさんが頭を付き合わせてどうすりゃいいか考えてるんじゃねーか?」
「でしょうねぇ。自国の方針が決まったとしても、他国の出方を見ないことには判断できないことだってあるでしょうしねぇ」
世界中の人々に再び声を届け、勇者の力を分け与えたフレイの名声は今や揺るがぬものとなっている。そのフレイが直接書簡を手渡したのだから、少なくともそれを悪戯の類いだと判断して一考すらされないということはあり得ないだろう。
だが、魔族との和平などという国家どころか種族、ひいては世界規模の事案となると、どれほどの大国であろうとも軽々に判断など下せるはずも無い。フレイやニックをよく知るエルフ王イキリタスですら即断はできなかったのだから、大して面識があるわけでもない国の王などは尚更だ。
「うーん、本当に政治って面倒臭いわよね。アタシ貴族とか絶対無理だわ」
「ですな。まあ即座に決めたとしても、拙僧達のように空間を移動する魔法道具でもなければ、そもそもここに返事を持ってくるのにも時間がかかるわけですし」
「ま、一月くらいは気長に様子を見るべきよねぇ」
「では、一ヶ月後に改めてここに集合する感じでしょうか?」
「そうねぇ。どんな返事が来るにしても、魔王との会談を設けるならその程度の猶予期間は必要でしょうし、いいんじゃないかしらぁ? フレイはどうなのぉ?」
「アタシ? アタシはそれでいいけど……でもここに勝手に集まってもいいの?」
今いるこの場所は魔王城の謁見の間であり、どう考えても気軽に集合場所として指定していい場所ではない。然りとて城の主に確認したくても、オモテボスはこの場にいない。ボルボーンがもたらした破壊の後始末や一部の強硬に戦いを望む魔族の説得などに各地を駆け回っているからだ。
「大丈夫ですわ! オモテボスさんには『自由に使っていい』と言われております!」
「ならいいけど……」
「はい! 『この城は元々魔神様のお造りになられたものなのですから、その一切を使用するのに余の許可などいりません。どうぞご自由にお使いください』とのことでした!」
「あー、うん、言いそうね……ならいっか。」
オモテボスが魔神様……アトミスを強く崇拝していることは、数日間の関わりだけでもよくわかった。ならばと納得したフレイに、ようやく正座をやめて立ち上がったニックが近寄っていく。
「なら、これから一ヶ月はつかの間の休暇というところか。フレイ達はどうするのだ?」
「うーん、どうしよっか? 目指していたことは保留か解決しちゃったから、さしあたってやることもないのよね」
「そうねぇ。もう魔族と戦う必要もないから……あ、なら魔導潜の回収はどぉ? あれ水に潜るための改造で飛行速度が落ちちゃったから、今のうちにここまで運んでおけば便利そうだけどぉ」
「それはいいですな。いつまでも海の底というのは忍びないですし」
「水に潜る……海の底…………な、なあ勇者の姉ちゃん。その魔導船って、ひょっとしてシズンドルに停泊とかしてた?」
フレイ達の話を聞いたアトミスが、微妙に引きつった笑みを浮かべつつ問うてくる。
「そうだけど?」
「そっか……一応照準は外して撃ったけど、壊れてたらごめんな」
「?」
「いや、こっちの話だ。ただまあ、壊れてたら直してやるから持ってきてくれ」
「よくわかんないけど、わかったわ。で、父さんはどうするの? アタシ達と一緒に来る?」
「儂か? そうだな、儂は……」
フレイの問い掛けに、ニックは少しだけ意外な答えを口にした。





