父、愛を叫ぶ
「なっ……!? 何だその反応はっ!? この女はお前にとって最愛の妻なのだろう!? それを自分のせいで殺しておいて、そんな……っ!」
思わず素に戻って話してしまう偽マインこと見境無き憤怒の罪だったが、それに対するニックの反応が変わることはない。
「何度も言っているが、それをマイン本人が言うならばともかく、ただそっくりなだけの他人が言う勝手な妄想に対しての感想など、それ以外に言いようがないではないか」
「ふざけるな! いや、まさかお前、この女を殺したことに何の罪の意識も感じていないのか? 貴様と出会いさえしなければ、魔王の居ない平和な世で未だに生きていたであろうこの女の人生を無残にも奪い去ったことに、何の苦悩も後悔も感じないというのか!?」
「感じておらんが?」
「なっ……あっ…………ぐっ…………!?」
あっさりとそう答えるニックに、見境無き憤怒の罪は思わず言葉を失う。だがそんな見境無き憤怒の罪に対し、ニックは逆に少しだけ優しい目を向けた。
「確かに儂と出会わねば、マインは今頃何処かで生きていたのかも知れん。だがそれがどうしたというのだ」
「お、おま、お前!? まさか妻を、この女を愛していなかったのか!?」
「愛している!」
ただ一片の迷いもない、心からの断言。その言葉と共にニックが一歩足を踏み出し、代わりに見境無き憤怒の罪が一歩後ずさる。
「儂はマインを心から愛し、誰よりも幸せにした! たとえ他の誰かが一〇〇年寄り添おうとも、儂と過ごす二〇年には到底及ばないほどにな!
ならば何を憂う必要がある? 星の数ほどの違う未来、可能性があったとしても、儂と結婚しフレイを産んだマインこそが最も幸せだったと、儂は微塵も疑いはせん!」
「何と言う傲慢! 何と言う非道! この女を殺しておいて、自分が一番幸せにしたなどと、どれほど思い上がればそんなことが言えるのだ!?」
「思い上がりなものか! マインは儂と居るとき、いつも楽しそうに笑っていたからな」
「だが、貴様にすがって『死にたくない』と泣いていただろう!?」
「そうだ。だがそれこそマインが幸せであった証拠ではないか!」
ニックの脳裏に、あの日のマインの顔が蘇る。涙すら流せないほどに衰弱したマインの最後の言葉を、ニックは未来永劫忘れない。
「いつも元気で強気だったマインが泣いた……失いたくないと泣いてしまうほどに儂との日々を幸せだと感じてくれていたのだ! その笑顔を、泣き顔を! どうして儂が否定できる!」
一歩、また一歩とニックは見境無き憤怒の罪へと近づいていく。堂々と胸を張り、まっすぐに自分を見つめて近づいてくるニックに、見境無き憤怒の罪は必死に非難の言葉を口にしつつも、怯え戸惑い後ずさる。
「違う違う違う! お前のせいで死んだのだ! お前が不幸にしたんだ! お前が存在しなければ、この女は幸せになれたんだ!
謝れ! 謝罪しろ! 都合のいい妄想に逃げるのではなく、地に伏せ泣いて許しを請い、己の罪を受け入れろ!」
「罪など、無いっ!」
ダンッと大きく一歩を踏み出すと、ニックの踏みしめた部分から黒い淀みが消えていった。代わりに生まれた青い光は波紋のように広がっていき、ニックの体を優しく照らし出す。
「もしもお主が本当に自分をマインだと言い張るのなら、しっかり考えてみればいい。今の儂の言葉を聞いて、マインは何と答えると思う?」
「ク、クヒッ! い、いいだろう。聞かせてやろう」
ニヤリと笑うニックの言葉に、見境無き憤怒の罪は深く己の内に潜る。寄り集まった憎悪達が手にできる限りの情報を精査し、最大限に悪意を込めてマインの思考を模倣して――
「……ねえ、ニック?」
「ん? 何だ?」
「アタシの幸せを勝手に否定なんてしたら、ぶん殴るからねっ! …………っ!?」
自分の口から出た言葉に、見境無き憤怒の罪が驚愕して戸惑う。そしてその姿を前に、ニックは腹を抱えて破顔した。
「クッ、ハッハッハ……ハーッハッハッハッハ! そうかそうか! うむうむ、確かに今のはマインが言いそうな台詞だったな。何だお主、やればできるではないか」
「ち、違う! こんな、こんなはずは……っ!? 何故だ、何故こんなことを考える!? こいつのせいで死んだんだぞ!? なのに何故恨まない!?」
「言ったであろう? それは――」
『そんなの決まってるじゃない。アタシは――』
言いながらニックが大きく拳を振りかぶる。するとそれに合わせるように、見境無き憤怒の罪の中に構築されたマインもまた笑顔を浮かべて拳を握る。
「違う、違う、違う、違う! こんなはずは、こんなことは……っ!?」
「マインを――」
『ニックを――』
「あり得ない、あり得ない! アリエナイィィィィ!!!」
「愛して!」
『いるからよ!』
「アァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!」
内と外から振り抜かれた拳が、見境無き憤怒の罪の体を吹き飛ばす。弾けたそれは青く輝く光の洪水を噴き出し、黒かった世界がまるで快晴の空のように青く蒼く染まっていく。
「……………………」
その青い光を、ニックは静かに見つめる。魔物や魔族に殺された者の魔力が集まるこの場所に、自分の腕の中で息を引き取ったマインの意思や魂が存在するはずがない。
だがそれでも、ニックの目にははにかんだような笑みを浮かべるマインの姿がぼんやりと浮かんでみえる。
「愛しているぞ、マイン」
『ええ、アタシも愛してるわ、ニック』
その青い虚像をそっと抱きしめると、それは微笑みを残して世界に消えていった。ニックの腕の中には、もう何も無い。だがニックの胸の中には、今も全てが宿っている。
『どうやら終わりのようだな』
「だな。随分と明るくなったものだ」
そんなニックに、オーゼンが語りかける。愛の籠もった拳の余波は数千年にも渡って溜め込まれていた汚染魔力の絶望を残さず殴り壊していき、黒い世界がボロボロと崩れ落ちていく。青い光が収まった向こう側から見えてくるのは、純白の空間だ。
『……で、どうするのだ? 外から呼び戻されるということであったから、我はここから出る手段を聞いておらんのだが』
「儂もだ。どうするかな……」
オーゼンの問いに、ニックは顎に手を当て考える。まさか数千年分の汚染魔力を一、二週間程度で浄化しきるなどとは想像すらしていなかったため、アトミスもニックが自発的に外に出る手段は用意していなかったのだ。
「……汚染魔力とやらが消えたのであれば、前の時のように殴って世界の壁を壊してしまえばいいのか?」
『馬鹿を言うな愚か者が! あの男が必死に手直ししている世界を殴り壊してどうするのだ!』
「ははは、冗談だ。まあ元々呼び戻されるまでここに居続ける予定だったのだから、とりあえずは気長に待つとするか」
そう言うと、ニックはその場でごろんと横になる。少し前にそうしたのとは違って、今回は暢気な昼寝という様相だ。白と青の入り交じる世界はまるで本物の空のようで、ニックは思わず小さなあくびをした。
「ふわぁ……こうなってみると、暑くも寒くもないというのはなかなかに快適だな」
『全く貴様という奴は……』
呆れるオーゼンをそのままに、ニックはしばし微睡みに沈む。なおアトミスから呼び戻された際、うっかり服を着忘れていたニックが女性陣から散々な非難を浴びせられることになるのは、それから三時間後の事である。





