父、糾弾される
「世界には三人そっくりな者がいるという話だが、これは凄いな!」
「……いや、そういうことではない。これはお前の罪の形。お前の妻そのもの――」
「しかし、やはり微妙に違うな。マインはもっとこう目つきがきつかったぞ? あと胸ももう少し小さかったような……」
「…………こうか?」
顎に手を当てじっくりと見つめてくるニックに、見境無き憤怒の罪が微妙に顔や体を調整してみせる。胸はまだしも目の形がぐにゃりと変形していくのはなかなかに不気味な光景だったが、幸か不幸かニックはそれを気にしない。
「おお、大分近いな! いや、だがフレイを産んだ後であれば僅かだが胸も大きくなっていたような……目つきに関してもあれは体調が悪かったからであって、元気ならばまた違ったのかも……」
「な、ならこのぐらいか?」
「むーん……よく似た姉妹からひょっとしたら双子かも? くらいには近づいたと思うのだが……やはり別人は別人だな。まあ当然の話だが」
「ぐぅぅ……だ、だから違う! そっくりとかそういうことではないのだ! 我は貴様の妻そのものだと言っているだろう!」
「そんな事言われてもなぁ」
地団駄を踏む見境無き憤怒の罪に、ニックは困り顔で頭を掻いてみせる。ちょっとした知り合いくらいなら間違えることもあるだろうが、最愛の妻の姿をニックが見間違えるはずもない。どれほど近い外見をしていようとも、見境無き憤怒の罪の姿はニックの目には「妻によく似た別人」以外には見えない。
「何故お前は……はっ!? いや、そうか。そうやって罪から目を背けているつもりなのか。くくく、無駄な抵抗だ……お前の罪は永遠の罪。決して逃げることなどできはしない……」
『この男にそんなつもりはこれっぽっちも無いと思うぞ……』
「教えてやろう、お前の罪を。教えてやろう、お前の過ちを。知るがいい、そして絶望するがいい! 最愛の者をその手で殺した罪に、恐れ戦き地に伏せるのだ!」
オーゼンのツッコミを華麗に無視し、見境無き憤怒の罪がニックに向けて腕を振るう。するとその手がバシャリと弾け、ニックの全身に黒い汚染魔力が降り注ぎ……そしてニック達の意識は、空の上へと飛ばされた。
『む? 何だここは? 空……?』
「あれは……儂の家? だが形が……これは儂が子供の頃の光景、か?」
『そうだ。ここはお前が子供の頃の世界……見ているがいい、今歴史が動く』
空中に浮かぶニック達に、何処からともなく聞こえる見境無き憤怒の罪の声が聞こえてくる。そしてその言葉が終わるのとほぼ同時に、遙か上空から一筋の青い光が地上へと落ちてきた。
『何だあの光は!?』
「光? 儂には見えんが……?」
『ええい、貴様という奴は! とにかく空から光が落ちてきたのだ! 着弾点は……あの子供、か?』
「子供……? おお、あれはひょっとして、儂か!?」
ニックが視線を下げると、小さく見える村の中に、子供の頃の自分の姿を発見した。小さな体でボーッと座っているその姿は、今のニックとは大分かけ離れている。
『その通りだ。世界に魔王が生まれた時、勇者もまたほぼ同時に生まれる。そしてその選定基準は、心に大きな隙間を持つ子供であることだ。その隙間に勇者の力を受け入れることで、無力な子供が世界最強の勇者となる……魔物に両親を殺されたばかりのお前には、さぞ大きな心の隙間があったのだろうなぁ……』
「ふむーん? しかし儂の手は、フレイのように光ったりせんぞ?」
『そう、それこそがお前の最初の罪。お前は勇者の力を受け取りながら、その力に目覚めることがなかった。何故なら……』
「おっ!」
ニックの見下ろす村の道を、見覚えのある少女が元気に駆けていく。その娘は周囲の言葉を全て無視して落ち込む少年の前に近づくと、まるで気を遣う様子もなく少年に声をかけた。
「アンタがニック? ……ちょっと、せめて返事くらい――」
「ははは、懐かしいな。あれは儂とマインが初めて出会った時の光景か!」
幻とはいえ、幼き日の思い出を目にしてニックの顔がほころぶ。だが当然ながら、見境無き憤怒の罪はニックを喜ばせるためにこんな光景を見せているわけではない。
『そうだ。勇者の力を受け取りながら、お前の心の隙間はこの時あっさりと埋まってしまった。そのせいで受け取った力が育つ余地がなくなり、結果として勇者の力はお前の中で眠りにつくことになる。
これがお前の一つ目の罪にして悲劇。お前が満たされてしまったせいで世界から勇者が失われ、数え切れない程の命が失われることになった……』
「それは……何とも言いようがないな」
半ば以上言いがかりのようなことを言われ、ニックは割と本気で困り果てる。完全に自分の与り知らぬところで起きた事象になど後悔も反省もしようがないし、そもそも「お前が幸せになったせいで世界が闇に包まれ続けたんだ!」などと糾弾されたところで、四〇年近く前の出来事を今更どうにかできるはずもない。
それでも未だに魔王軍との戦争が続いているというのなら人々の先頭に立って戦うなどの選択肢もあるが、少なくとも魔王と勇者の戦いは娘の手により終結しており、そうなると本気でどうしようもない。
「これが真実だというのなら、多少申し訳ないという気持ちを感じないでもないが、それを罪と言われても……」
『フフフ、そうか。ならば今は己の罪から目をそらし、更なる罪に溺れるがいい……続きだ』
見境無き憤怒の罪の言葉に、世界の時が何百倍にも加速していく。季節が流れ年が過ぎ、ニックとマインが結婚した辺りでようやくにしてその時間が戻る。
『勇者の力を持ちながら何の責務も果たさなかったお前は、その後ものうのうと自分だけ幸福を満喫していた。だがそれも長くは続かない……お前の妻が妊娠したからだ。
お前が男であったが故に、お前の子供には勇者の器のみが受け継がれ、その力はお前の中に眠り続けることとなる。そしてそれが新たな罪の源となった』
「……どういうことだ?」
ニックの表情が、にわかに引き締まる。それを見た見境無き憤怒の罪は世界の向こうでニヤリと笑いつつ、その言葉を続けていく。
『生まれる前の赤子に自我などというものはない。受け継がれた勇者の器はただただ空虚なその魂一杯まで拡張し、一切受け継がれなかった力を少しでも補うべく貪欲に全てを喰らっていく。その存在が心身共に繋がっているが故に、本来ならば奪えるはずのない魂の力すらも奪い、器は力を満たしていく。
もっとも、その赤子が母の腹の中にいる間はそれでも問題はなかった。赤子と母体は一心同体。己の器に己の力が溜め込まれたとて不具合など出るはずも無い。だが生まれてしまえば別人だ。赤子と一緒に己の命すら体外に産み落としてしまった母体は、そのまま衰弱して間もなく死ぬ……お前が知っている通りにな』
「そうか。フレイを産むまであれほど元気であったマインが、突如として体調を崩したのは……」
『そう、お前のせいだ。お前が自分の責任を果たさなかったから、お前の妻は死んだのだ。お前の責任を娘に押しつけるための犠牲となってな』
その言葉と同時に、幻の世界が大きく揺らいで消えていく。再び現実に戻ったニックの目の前には、恨みがましい表情を浮かべたマインの姿がある。
「ねえ、どうしてなの? どうしてアタシは死ななきゃならなかったの? 何で、何でアンタが自分の責任から逃げるために、アタシは犠牲にならなきゃいけなかったの!?
返して……返してよ! アタシの命を! 娘の平凡な幸せを! アンタの犠牲になったアタシ達母娘の人生を、返してよぉ!」
『くっ、何と醜悪なやり方か!? おい貴様よ、こんなものに惑わされるでないぞ!』
唾棄すべき外道の所行に、オーゼンが必死にニックに語りかける。だが最愛の妻そっくりの存在から恨み節を投げかけられたニックは……
「いや、だから似ているだけの他人にそんな事を言われてもなぁ」
特に戸惑うこともなく、ごく普通にそう返事をした。
※はみ出しお父さん 勇者の仕組み
アトミスが構築したシステムをイデアが用いることで、魔王の誕生から遅くても一年以内には勇者が誕生するようになっています。が、勇者になる対象はイデアが選別しているわけではないので、イデア自身は誰が勇者になったのかを知りません。また積極的に外界の情報を得ていたわけでもないので、イデアはシステムが動いたという事実だけで安心してしまっていたため、その後のことは知りませんでした。
また、今回フレイにイデアの意識が繋がったのはこのような本来想定していない方法で誕生したことで、イデアの精神を受け入れる余地のある「巨大な器とからっぽの中身」をフレイが持っていたからです。なので歴代の勇者にはイデアが望んでも声が届くことはありませんでしたし、何より兄が危険にさらされていなければイデアが必死に声をあげることもなかったので、偶然という歯車が奇跡的に噛み合ったが故にフレイとイデアは邂逅できたわけです。





