父、驚愕する
「へっ! やってやったぜ……ざまあみやがれ……」
「このアタシがドジ踏んだもんだねぇ……でもまあ、いい頃合いか……」
「仇は討ったぞ……っ!」
ニックの中を、無数の死が駆け抜けていく。すると現実という厳しい壁に打ち負かされた者達の過去が、ほんの僅かに存在しない未来へと繋がっていく。そうして解放された汚染魔力は青い光の粒子となって、ニックの歩んだ道を青く染め上げていく。
オオオオォォォォォ……
そしてそんなニックに、黒い闇は更に勢いを増してまとわりついていく。まるで行く手を阻むように、あるいは救いを求めるように伸びてくるそれを、ニックは余すこと無く全身で受け止めていく。
「さあ、ドンドン来い! お主等の無念も絶望も、全部殴り壊してくれる!」
『ガオーン!』
勿論、なかには救いがたい者もいる。罪に手を染め悪を成し、欲の為に生き他を踏みにじるような者だ。だが、そんな者達すらニックは差別することなく「死の直前」を殴り壊していく。
「まだまだ殺し足りねぇが……チッ、仕方ねぇな」
「ふ、ふへへ。やってやったぞ……! 糞が、この糞がっ! ああ、死にたくない……っ!」
「全てを手に入れ、何もかも思い通りにしてきて……だがそれでも死は避けられぬか。お前が死神だというのなら、買収してやりたいところなのだがな……」
『なるほど、死ぬ前にその者が恨む全てを壊してしまえば、憎悪や怨念をそこで途切れさせることができるわけか』
「そういうことだ。儂とてこの拳で多くの者の命を奪ってきた以上、奪われた者達から見れば大罪人の虐殺者であろうからな。偉そうに道徳を説くつもりなど無いし、本当にどうしようもない輩の時は……まあ、あれだ。大雑把に全部殴ってしまえばいいしな」
『貴様という奴は……確かにそのくらいの扱いでいいのかも知れんが』
「ということで、まだまだ行くぞ!」
殴る、殴る。青い光をたなびかせ、闇の世界をニックが征く。一歩進めば千の死が、二歩進めば万の死が押し寄せてくるとしても、ニックの歩みは止まらない。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
ただ勇壮に雄叫びをあげ、闇の虚空を拳で殴る。その度に絶望が砕け、ニックの背から抜けていく。だがそんなニックの前に、遂に立ちはだかるモノが現れた。
『何だ……お前は何だ……!?』
「うむん?」
突如聞こえた声に、ニックはその場で足を止める。そうして目を凝らしてみれば、目の前の闇により一層濃い闇が揺らめいているのが何となく感じられた。
『何故、お前は染まらない? 何故我らを砕く? こんな場所に追いやられ、追いつめられてなお、我らは壊され奪われ続けるというのか……!?』
「……そうだな。弱肉強食は世の掟。弱いお主達から、儂が『絶望』を奪っておるのだ。そんな結末は嫌だという、儂の我が儘でな」
『嫌だ、嫌だ! もう何も渡さない……我は力、我は破壊。ならばそれをもたらす汝は我なり! 我と同化し、我となれ!』
「御免被る!」
伸びてきた黒い触手を、ニックの拳が殴り飛ばす。だがその闇は飛び散ってなおニックの体にまとわりつき……しかし何も起こらない。
『何故!? 我を浴びて何故我にならない!?』
「何故と言われても、さっきから散々同じものを受け入れているのだから、今更どうにかなるわけないではないか」
『何故だ!?』
「いや、だから……」
『何故だっ!?』
「……あー、これは参ったな」
ひたすら「何故」と繰り返すソレに、ニックは困り顔で頭を掻く。だがソレの方はそんなニックよりもずっと強く混乱を来している。
自分という存在を受け入れ、別のナニカに変えてしまう人間。周囲に漂っている汚染魔力など比較にならない濃度の自分達ですら染めることの出来ない存在。
そんなものは許せない。そんなものは認められない。そんなものは……怖くてとても一緒にはいられない。
(探せ、探せ! アレは何だ!? どうすればアレを排除できる!?)
己を構成する数千年分の知識と経験が総動員され、ソレはニックに対する対処法を考える。だが当然ながらこんなでたらめな存在に出会ったことのあるものなどおらず、どれだけ考えても何もわからない。
(もっとだ、もっと知識を! 情報を! アレの弱点を、罪を探し出せ!)
『オォォォォォォォォ……』
地鳴りのような唸り声を響かせ、ソレは己の知覚を広げていく。その手は『死の螺旋』の中のみならず、そこから繋がる他の三つにも繋がり、そして……
『オォォ……?』
「ん? どうした。何か結論が出たのか?」
突如として唸るのをやめたソレに、様子を見ていたニックが軽い調子で声をかける。すると目の前のソレがグネグネと蠢き、徐々に小さく濃くなっていく。
「見つけた……見つけた……お前の罪、お前の怒り、お前の嘆き、お前の過ち」
「儂の罪だと……まさか!?」
「そうだ。お前は――」
「ち、違うぞ!? 確かに儂は着いていったが、それは決して他意があったわけではない!」
「…………」
「…………うむ? フレイの『はじめてのおつかい』にこっそり着いていったことではないのか?」
一人で大丈夫だから、絶対についてこないでと七回念を押されたにも関わらず、ニックはフレイの後をこっそりとつけていた。その時はまだフレイが幼かったが故にばれることはなかったのだが、だからこそそれはニックにとって免れることのできない永遠の罪となってしまっている。
『なあ貴様よ。貴様が罪と言われて真っ先に思いつくのがそれなのか?』
眉をひそめるニックに、オーゼンが呆れた声で股間から問う。もっとも問われた方のニックはあくまでも真面目な顔だ。
「他にと言われてもな……単純に法を犯したことなら幾度もあるが、全部いい具合に誤魔化しておるから、今更罪に問われることもないだろう。となるとやはり娘関連の……いや、ひょっとしたら子供の頃にマインに仕掛けた悪戯の類いか!?」
『……まあ、うむ。実に貴様らしいと言えるが、多分違うと思うぞ?』
「ぐぅぅ、ならば本気で思い当たらぬ……」
頭を抱えて思い悩むニックの姿に、流石のソレも一瞬反応に困る。が、すぐに気を取り直したソレは再びグニグニと体を蠢かせながら続く言葉を投げかけた。
「違う。そんなものじゃない……だが全てが間違っているわけでもない。それは幼いお前が招いた罪。無知なお前が招いた罰。お前の存在そのものが、どうしようもない悲劇の元凶である証拠……」
「ふーむ。そんな持って回った言い方をされても、わからんものはわからんのだ。言いたいことがあるならさっさと言わんか!」
「いいだろう」
そう言うと、ソレの体の蠢きが止まり、一瞬パッと黒く輝く。そうしてそこに現れたのは、ニックにとって二度と会うことが叶わないと思っていた最愛の女性の姿。
「なっ!?」
「どうだ? これがお前の罪。お前が犠牲にした相手の姿。お前が人生を狂わせ、お前が殺した女。お前の犠牲になった最初の人間……」
「そ、そんな馬鹿な……」
『おい、貴様よ、しっかりしろ!』
思わずよろめくニックに、オーゼンが必死に声をかける。そしてそんなニックの姿に、その女性はニィッと唇の端を釣り上げて笑う。
「さあ、己の罪と向き合え。我は罪なり。汝の罪なり! 内なる憤怒で己を焼き殺す、『見境無き憤怒の罪』なり!」
「あり得ぬ。こんなことが……っ」
『気をしっかり持て! 一体あの女が何だと言うのだ!?』
「まさか……マインのそっくりさんだと!?」
「…………ん?」
『…………おや?』
突如現れた妻そっくりの存在に、ニックは普通に驚いていた。





