父、干渉する
「では、早速準備を始めよう」
そう言って、ニックが徐に服を脱ぎ出した。目の前で筋肉親父の脱衣を見せつけられたオーゼンの心が急速に死んでいく。
『…………言いたいことは幾らでもあるが、それでも唯一、貴様に問おう。何故脱ぐ?』
「うむ。これから儂がやろうとしていることは、相手の魂に深く干渉することだ。であれば儂もまた直接体で……心でぶつからねばならぬ。薄布一枚にどれほどの差違があるかはわからぬが、それでも全力でぶつかりたいのだ」
『お、おぅ。そうか……』
予想以上に真面目な顔で返されて、オーゼンは言葉を失ってしまう。その間にもニックは下着一枚すら残さぬ完全な全裸となり、その手に握られたオーゼンは諦めたようにため息をつく。
『ハァ。この展開ももう慣れたぞ。さっさとやるがよい』
「流石はオーゼン、わかっておるな。ではいくぞ! 『王能百式 王の尊厳』!」
ニックが高らかにそう叫べば、その股間に黄金の獅子頭が出現する。もはや定位置とすら言えるその収まり具合に、オーゼンは微妙な感慨深さを覚えてしまう。
『考えてみれば、我と貴様の関係はここから始まったとも言えるのか……あまりにも不本意すぎて未来永劫忘れられる気がせん』
「ハッハッハ、そう言われればそうだな。ならばこの姿で一区切りとするのも悪くはあるまい」
『一区切り?』
「そうだ。娘とも合流したことだし、これが儂とお主の二人旅の一区切りになるのではないかと思ってな。
まあ、旅自体が終わるわけではないだろうが……フフフ、新たな旅も楽しみだな」
ニヤリと笑うニックの顔に、オーゼンは数瞬我を失う。流れゆく記憶は圧倒的に濃く、今に至ってプツリと途切れるそれは終わりではなく、続きの始まりでしかない。
『……そうだな。ならばさっさと汚染魔力などというものは片付けて、外に出なければな』
「そういうことだ! では、行くぞ!」
覚悟と気合いの言葉と共に、ニックの意識がまたも途切れる……ただし、今度は一人ではない――
「くそっ、あっちいけ!」
「グギャギャギャギャ……」
やや太いだけの節くれ立った木の棒を振り回す自分の前では、醜悪な笑みを浮かべるゴブリンの姿がある。そして自分の背後では、足を怪我して座り込む妹が大泣きをしている。
「うぇぇぇぇん! おにいちゃーん!」
「だいじょうぶだ! こんなまもの、おれがやっつけてやる!」
目の前にいるゴブリンは、そう強い存在ではない。単純に力比べをするだけなら、自分でも勝てる可能性は十分にある。
「グギャァァァ……」
だが、「獲物を殺して食う」ことを日常としたゴブリンの目には、自分は餌としか映っておらず、手にした鉈は血錆びでボロボロだったが、木の棒よりはずっと強い。
対して自分は、魔物と戦ったことなど一度も無い。もし背後に妹がいなければ、今すぐにでも走って逃げ出したいと心から思っている。
「やってやる……やっつけてやる! てやーっ!」
「グギャウ!」
「うわっ!?」
震える足を押さえつけて思いきり棒で殴りかかるも、ゴブリンはそれを容易く切り払う。その勢いで尻餅をついてしまった自分に、ゴブリンは血走った目で見てニヤリと笑った。
「くるな!くるなっ!」
「ギュオッ!」
「――――ああああぁぁぁぁぁ!?」
闇雲に振り回した腕を、ゴブリンの振り下ろした鉈が強かに打ち付ける。切れ味などとっくに失った鉄塊に打ち付けられて、自分の腕が激痛を覚える。
「いだい、いだいよぉ……!」
「うわぁぁぁん! おにいぢゃーん!」
痛みで頭がグラグラし、泣き叫ぶ妹の声で耳がギンギンする。そんな自分にゴブリンは無慈悲に鉈を振り下ろし――
『ガオーン!』
「ギャォォォォッ!?」
「…………な、なに?」
不意に自分の体から、大きな咆哮が放たれた。怯えて後ずさるゴブリンをそのままに自分の体を見回してみると、怖くてちょっとだけ漏らしてしまった股の間に光り輝く獅子頭が浮かび上がっている。
「な、なにこれ!? おしっこがひかってる!?」
「ギュォォォォォォォ……ッ!」
「ひぃぃ!? また――」
『大丈夫だ』
混乱する自分の方に、恐ろしい唸り声をあげるゴブリンが警戒しながら自分に近づいてくる。それが怖くて思わず顔を隠しそうになったところで、今度はとても強くて優しい声が自分の中から聞こえてきた。
『前を向け。敵の目を見るのだ』
「ま、まえ……?」
言われたとおりに、ゴブリンの目を見つめる。血走った目はとても怖くて、すぐにでも顔を背けたくなる。
『そうしたら、ゆっくりと立ち上がり、拳を握れ。ほれ、こうだ』
「こぶしを……にぎる……」
言われるままに、立ち上がる。大きな手に包まれるようにして震える手をギュッと握りしめると、体の奥底から力が湧いてくるような気がする。
「ギュォォォォッ!」
『ガオーン!』
「ギャウン!?」
向かって来たゴブリンが、またも聞こえた咆哮にビックリして後ずさる。そんなゴブリンに、今度は自分から近づいていく。
「おにいちゃん……?」
「だいじょうぶ……」
『大丈夫』
「おれがきっと……」
『そうだ、お主ならきっと』
「おまえをまもってやる!」
『守り通せる! その為の力は……ここにある!』
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
「ギャォォォン!」
まるで伝説の勇者のように力強く踏み込み、握りしめた拳を思いきり振りかぶる。すると殴り飛ばされたゴブリンは冗談みたいに弾け飛び……だが同時に自分の体も地面に倒れ込んでしまう。
「おにいちゃん!?」
「うう……」
泣きながら妹が走り寄ってきたけれど、怪我なんてしてないはずの頭がもの凄く痛くて体が動かない。
理由はわからない。でも何となくわかる。多分自分は、もうすぐ死ぬ。それはとても怖くて辛いことだけど、でも……
「たすけられて、よかった……」
最後の力で妹の頬を撫でると、その意識は急速に暗く沈んでいった――
「ふぅ。どうやら上手くいったようだな」
刹那の時を経て意識を戻したニックは、そう言って小さく息を吐いた。そんなニックの背中から、キラキラと輝く青い粒子がほんの僅かに流れ出ていく。
『何だ今のは? まさか貴様が運命を変えたとでも言うのか?』
「それこそまさかだ。既に起きてしまった過去を変えることなど、ただの人間である儂にできるはずもない。儂はただ、死の定めにある者にほんの少し力を貸してやっただけだ」
既に死んでいる者達の、死の運命を変えることなどできない。だがその者達のなかにある最後の記憶に干渉することで、死に対する恐怖や絶望を少しだけでも和らげることができれば……それがニックの考えたことであり、今成したことの全てだ。
「所詮は幻、誤魔化しと言ってしまえばそうなのだろう。だがいいではないか。死してなお後悔や屈辱に苦しみ続けるより、最後くらいは心安らかに死を迎え入れられる方が救われるはずだと思ったのだ」
死という結果は殴り壊せない。だが死ぬ時に感じた無念を殴り壊すことはできる。それはニックにしかできない、ニックが考えた汚染魔力の……魂の浄化方法。
「ま、そんなわけだから、これから儂の所にやってくる者達の結末を、ガンガン殴り壊していくぞ! 手伝ってくれるか、オーゼン?」
『フッ、何を今更。我が嫌だと言ったところで、貴様の股間に装着されている以上拒否することなどできぬではないか』
「むぅ。何だ、本当は嫌なのか?」
『ぬぅ!? そ、そんなことは言っておらんだろう!? これはあくまで言葉の綾というか……』
「ふふふ、冗談だ。さあオーゼン、これからは忙しくなるぞ!」
『ぐぬっ、貴様という奴は……!? いいだろう、たまには我の力を存分にその目に焼き付けるがいい! ガオーン!』
笑顔のニックと、その股間に輝くオーゼン。そんな二人をより一層濃くなった汚染魔力が包み込んでいく。
死が、死が、死が。襲い来る数多の死をその身に受け入れ、しかしニックの魂は猛然と拳を振るい続けるのだった。





