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最強無敵のお父さん 最強過ぎて勇者(娘)パーティから追放される  作者: 日之浦 拓
本編(完結済み)

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父、死ぬ

 まず最初にニックが感じたのは、何とも言えない不快な生ぬるさだった。水中のような抵抗感ともまた違う、ぬめってまとわりつくような空気がニックの体をゆっくりと包み込んでいき、不意にニックの意識がここではない何処かへと飛ぶ。





「く、来るな! やめろ!」


(……む?)


 周囲には木々が乱立し、目の前には巨大な猪の魔物がいる。そしてそれに対峙する自分(・・)は、猪の鼻先に必死に剣を振り回しながらズリズリと地面を後ずさっている。


(ぐぅっ!? 足をやられているのか? しかしこれは……っ)


 左足の太ももに激痛を感じ、ニックは思わず顔をしかめる。久しく忘れていたその感覚は耐えがたいほどに鋭敏であり、長年の鍛錬によって身につけた痛みから意識をそらすような技法も、どういうわけかまるで使えない。


「来るな! 来るなぁ!」


「ブルルルル……」


 情けなく泣きわめきながら逃げる自分に、猪の魔物がゆっくりと近寄ってくる。そのまま二、三度足をかいて地面を蹴ると、その巨体が猛然と自分に向かって突っ込んできた。


「ぐっ!? はっ……………………」


 あくびが出そうな程に遅い突進を、しかし自分はかわせない。そしてドラゴンですら貫けないはずの自分の腹を、猪の牙が深々と貫く。


 傷口に感じる、燃えるような熱。しかしそれもすぐに冷えて、代わりに溢れだす血潮の熱さがやけにはっきりと伝わってくる。


「いやだ……死にたく……ない……………………」


 最後の力を振り絞って、自分は手を伸ばす。だがその手が何かを掴むことはなく……頭を振った猪に吹き飛ばされ、飛び散った己の腸を咥えた猪に頭を踏み砕かれたことで、自分の命はあっさりと潰えてしまった――





「……っ」


『ん? どうかしたのか?』


 それは僅かに瞬きの間。意識を取り戻したニックは、オーゼンの問い掛けに答えるより先に己の体をまさぐってみる。当然ながらその足にも腹にも穴など空いていないし、あの時感じていた苦痛など何処にも残っていない。


 だが、感情は別だ。敵に対する恐怖や憎しみ、死にたくないという渇望。そして何より命が終わった瞬間に感じた、あの例えようのない感情。その全てがまるで我が事のようにニックの胸の内にありありと残っており、一瞬遅れて全身から滝のように冷や汗が滴ってくる。


『お、おい貴様、本当にどうしたのだ!?』


「……いや、大丈夫だ。そうか、これはそういう……………………」


『な、何だ? 何故そこで言葉を切るのだ? おい貴様よ? 貴様……ニック!』


「……ああ、大丈夫だ。本当に大丈夫だ」


 言葉の途切れた、ほんの数秒。たったそれだけの間に数百回の死を迎えたニックは、こぼれ落ちる汗を乱雑に手で拭い、改めて大きく深呼吸をする。


「すぅ……はぁ…………うーむ、確かにこれは常人が耐えられるものではないな」


『一体何があったというのだ!? 我にもわかるように説明せよ!』


「ははは、そうだな。言ってしまえば誰かの死を、そっくりそのまま体験しているというところだ」


『死……だと!? そんな……本当に大丈夫なのか……?』


「まあな。本当に死ぬのは初めての経験だった故に多少戸惑ったが、もう大丈夫だ」


『……本当にか?』


 笑うニックに、オーゼンが気遣わしげに声をかける。魔導具である自身が死の恐怖をどれほど理解できるかはわからずとも、自分が……そして何より目の前にいる相棒が消えてしまうことを想像すると、オーゼンは己の存在が砕け散りそうなほどの切なさを覚える。


 もしそんなものをニックが味わっているのだとしたら……果たして自分に耐えられるかを、オーゼンは試してみたいとすら思わなかった。


「ああ、本当に大丈夫だ。とは言えそう余裕があるとも言えん。もう少し慣れるまで、ちょいとここで大人しくしていることにしよう」


 そう言って、ニックはその場にごろんと寝転がった。何も知らぬ者からすれば気楽に昼寝をしているような様子だったが、その実ニックは必死に心を奮い立たせ、襲い来る死の奔流に抵抗を試みている。


(ぬぅ、厄介な……)


 当たり前の話だが、人が死ねるのは生涯で一度きりだ。ニックとて死にかけたことなら何度もあっても、本当に死んだことがあるはずもない。


 故に、人の心は自分が死ぬことに慣れることはない。ましてやニックの場合自分ではなく、誰かの死を強制的に体験させられているのだから、慣れる要素が存在しない。


「……………………」


 鼓動が一つ打つ間に、何百回もの死が訪れる。毎回見知らぬ誰かとなり、毎回違う死に方をする。そしてそれは他人であるが故に、ニックが鍛えた心や体が意味をなさない。死んだ……つまりは弱い(・・)相手の心と体に無理矢理同調させられ、その恐怖や絶望だけを延々と自分の心に、魂に刻まれていく。


 死んだ。死んだ。また死んだ。奪われ、貶され、穢され、犯され、考え得るありとあらゆる手段で避けようのない死がニックに襲いかかり、通り過ぎていく。男、女、老人、子供。魔族、基人族、精人族に獣人族。性別も年齢も種族も関係なく、死は全ての者に平等に襲いかかり、決して逃げることなどできない。


『………………貴様よ。なあ、貴様よ』


 三〇分経ち、一時間経ち……あらゆる感覚を失わせる暗い世界で果てしないと感じてしまうほどの時が過ぎた頃。幾千幾万、幾億の死の果てに、何も言わず、ピクリとも動かず、正しく死んだように眠り続ける友の姿に、オーゼンは耐えきれなくなって声をかけた。それにニックは応えなかったが、オーゼンは構わず話しかけ続ける。


『今の貴様がどれほど辛く厳しい戦いに挑んでいるのか、我には想像もつかぬ。命無きこの身が貴様を助けられぬことを、これほどもどかしく思ったことはない。


 なあ貴様よ。それでも我は、ずっと貴様と共に在る。もしも貴様がここで朽ち果てるというのであれば、我もまた共に眠ろう。


 だが、なあ貴様よ。貴様はこんなところで終わる男ではないだろう? 貴様の帰りを待つ者を残して、こんな暗い場所で眠りにつくような情けない男ではないはずだ。


 なあ貴様よ。我が友ニックよ。いつまでも寝ぼけていないで、さっさと起きんか。我との約束、忘れたとは言わせぬぞ?』


 自分とニック、そして星の数ほどの死の概念だけが詰め込まれたこの世界で、オーゼンの呟きは何の力も持たない。


 だが、それは声が届かないという意味ではない。相棒からの静かな想いに、遂にニックの目がゆっくりと開いていく。


「…………………………………………ふむ」


『お、起きたか!? おい貴様よ、体調はどうだ!?』


「ははは、大げさだな。大丈夫だと言ったではないか」


『それはそうだが……くっ、まったく貴様という奴は……』


「フフッ、すまんな」


 むくりと上半身を起こしたニックが、そう言って腰の鞄に手を突っ込み、オーゼンを直接撫でる。その後はそのまま立ち上がると、両手を突き上げ伸びをしてからコキコキと首を左右に動かす。


「よし、これならいけそうだな」


『ん? 何だ、何かするつもりなのか?』


「そうだ。どうも儂はこういう待ち受けは性に合わんのでな。やっとコツも掴めてきたし、そろそろ儂のやり方ができそうだ」


 腕や足を伸ばしながらニヤリと笑うニックの姿に、オーゼンのなかで言い知れぬ不安が湧き上がってくる。


『……何であろうか。途端に嫌な予感がひしひしとしてきたのだが』


「そう言うな。別に無茶な事をする気は無いぞ? ただいつまでも黙って見ているのは飽き……いや、もっといい方法があるのではと思ってな」


『待て。今貴様、飽きたと言いかけなかったか?』


「気のせいではないか?」


『いやいやいや、気のせいではないぞ!? というか、なあ貴様よ。今更かも知れんが、もう一度ゆっくりと横になってみるのはどうだ? 我がうるさかったというのであれば、今度は大人しくしているぞ?』


「その必要はないぞオーゼン。これからはお主にも活躍してもらうからな!」


『我も!? 我に何をしろと……いや、させようとしているのだ!?』


「フフフ、それはな……」


 満面の笑みを浮かべたニックが、視線の高さでギュッと拳を握りしめる。


「死を、殴り壊すのだ!」


『……そうか。うむ、わかった。何もわからないということがよくわかったぞ』


 理解を放り投げたオーゼンの声は相変わらずの呆れ声で……だが少しだけ楽しそうに聞こえた。

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― 新着の感想 ―
[一言] タイトルに驚きどうなるかと思いましたが、お父さんはお父さんでした オーゼンさんの台詞には少しうるっと来ました
[良い点] 不可解理不尽拳殴れ 良いよね
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