父、入り込む
「……………………本当にいいのか?」
魔王城、謁見の間。玉座の後ろに浮かぶ『死の螺旋』の前にて、アトミスがニックに改めてそう問い掛ける。
「ハハハ、もう何度も話したではないか。大丈夫だ、やってくれ」
その真剣な声に対して、ニックの方は気軽な口調でそう答える。そんなニックのすぐ側では当然ながらフレイやムーナ、ロンが見守っており、少し離れたところには魔王オモテボスと三人になった四天王の姿もある。
「本来ならば、余こそがその浄化核とやらに身を捧げるべきだというのに……」
「魔王様……魔神様に無理だと言われてしまっては、ヤバいくらいにどうしようもないでヤバス」
項垂れるオモテボスに、ヤバスチャンが気遣った言葉をかける。そもそも魔神復活のために使うはずだった命を拾ったのだから、オモテボスにはそれを魔神のために使うことに何の躊躇いもない。
だが、魔王の力の源泉がそもそも汚染魔力であるため、アトミスから浄化核として活動することはできないと言われてしまったのだ。
「まあ、あのオヤジなら大丈夫だろ。何せ俺様を殴り消した男だからな!」
「ふーん。アタシには普通のおっちゃんにしか見えないけどなぁ」
「ほらほら、今はヤバい位に静かに見守るでヤバス!」
「はーい」
「オゥ!」
ヤバスチャンに諭されて、ギャルフリア達が静かになる。そうして魔王達に見守られるなか、ニックとフレイ達もまた軽い挨拶を交わしていく。
「まあ、程ほどに頑張ってきなさいなぁ」
「ニック殿、ご武運を」
「ははは、ありがとう二人とも」
「中がどうなってるのか知らないけど、あんまり暴れちゃ駄目よ?」
「何だフレイ、そういう心配しかしてくれんのか?」
「何よ今更! やり過ぎる以外の心配なんて、アタシが父さんにするわけないでしょ?」
「むぅ……」
「おーい、そろそろいいか?」
「おっと、時間か。では皆、行ってくるぞ」
少しだけ寂しそうな顔をしたニックに、アトミスが呼びかけてくる。そうして歩き出したニックだったが……その背にフレイが声をかける。
「父さん!」
「ん?」
「行ってらっしゃい!」
「……ああ、行ってくるぞ」
無事の帰還を疑わない娘の言葉に、ニックは背を向けたまま手を上げて答える。そうしてやってきたニックに、アトミスは改めて声をかけた。
「何だよ、顔くらい見なくていいのか?」
「フッ。どうせすぐに戻ってくるのだ。ならば儂が次に見るのはその顔でいい。それに……」
そこで一旦言葉を切ると、ニックは自分の腰に視線を落とす。身につける品がどうなるかまではわからないと言われて魔法の鞄やメーショウ作の武具などは全て外し、まるで村人のような地味な布の服に身を包んだニックだったが、その腰にだけはいつもの鞄が装着されており、当然その中身もいつもと変わることは無い。
「儂は一人では無いからな」
『フンッ、当然だ! 貴様のような男を自由にさせては、何があるかわかったものではないからな!』
「……まったく、物好きな魔導具だぜ。オッサン共々どうなるかわかんねーって何度も説明したのに、結局着いていくとはな」
『仕方なかろう? 我の在る場所はこの男の隣なのだ。この男が行くというのなら、我に着いていかぬという選択はない』
「素晴らしいですわオーゼンさん! お父様、私達もこの方達のように、常に一緒にいるべきですわ! ベッドからお花摘みまで、ピースはお父様と一緒です!」
「百歩譲ってベッドはまだしも、トイレは勘弁していただけないですかね……よし、準備完了だ。ゲート展開」
アトミスの操作によって、死の螺旋の上に黒い渦が開いた。既にあり得ない濃度の汚染魔力が満ちているためか、心なしか渦がべったりと粘ついているように見える。
「よし、征くぞオーゼン!」
『うむ!』
そこにニックが飛び込み、渦が閉じる。それを確認したアトミスは更に死の螺旋の操作を続け、そのまま真剣な表情で隣に移設したオワリンデ謹製の浄化核の汚染率を表す計器を見つめ続ける。
五秒……一〇秒……未だその数値に変化はない。
三〇秒……一分……常人ならば激しく乱高下するはずの数値は安定している。
三分……五分……心が壊れきり、計器の数値が振り切れる頃……それでも平常であったことで、アトミスはようやく少しだけ肩の力を抜いた。
「……ふぅ、とりあえず平気みたいだな」
「でっしょー? 父さんなら大丈夫に決まってるじゃない!」
額を流れる汗を拭うアトミスに、フレイが気楽な口調でそう告げる。だがそんなフレイの手を、そっとムーナが握りしめた。
「……何よ?」
「別に。何でもないわぁ」
「むぅ」
小さく震えるフレイの手を、ムーナは微笑みながら優しく握り続ける。そんなムーナから唇を尖らせたフレイが顔を背け、魔王達もまたひとまず胸を撫で下ろす。
そんな周囲の様子を少しだけ羨ましげに見つめてから、アトミスはキュッと口を結び真剣な表情で集中力を高めていく。
「さあ、ここからが俺の勝負だ。一秒でも早く、一瞬でも短く浄化作業が終わるように死の螺旋を改造する。助手は任せるぞ、ピース」
「お任せ下さいお父様。人の心を癒やす事こそピース・ゴールディの本懐ですもの。全力を尽くさせていただきますわ」
ピースの言葉に、もうアトミスは何も答えない。開いた光る窓で嵐のように流れゆく文字列の全てを読み取り、風のような速さでその指先を踊らせる。
(俺は幸せ者だ。一万年前も今も、俺を助けてくれる奴らがこんなにいやがる……ならこれに応えないのは、浪漫が足りねーよなぁ!?)
その口元には我知らず笑みがこぼれ、その胸には無限の活力が湧き上がり、その頭脳には英知が溢れ、その魂には浪漫が満ちる。
世界を襲う最後の脅威と、それに立ち向かう二人の戦士。その表側たるアトミスの戦いが、今ここに幕を開けた――
「むーん……」
一方その頃、黒い渦をくぐったニックは、その向こうに広がる黒い空間にて唸り声をあげつつ辺りを見回していた。
「前もそうだったが、相変わらず何も見えんな……いや、そもそも何も無いのか?」
『世界の外側とも違う感じだな。あちらは何も隔てるものがない広がりだったが、こちらはギュウギュウに押し込められているようだ』
虚無の海では、魔力波は何処までも際限なく広がっていくが故に何もわからなかった。だがこちらではまるで見えない壁があるかのように、ニックの体から一ミリほど離れると魔力波が消失してしまう。
得られる結果は同じでも、この違いはオーゼンからするとかなり大きい。人で言うならば極めて息苦しいという感覚をオーゼンは覚えていた。
「確かに、やや体が動かしづらい気はするが……しかしそれだけだぞ? これはこのままここに立っていればいいだけなのか?」
『中に入ってからのことは、我も特に聞いていないからな。何も言われていないということは、とりあえずは成り行きに身を任せればいいのではないか?
一応聞くが、苦しいとか辛いとか、そういうことはないのか?』
「無いな。空気が重いというか、粘ってまとわりついてくるような感じがするから、さっき言ったことに加えて強いて言うならば僅かに呼吸がしづらいと言えなくもないだろうが、苦しいという程でもないしなぁ」
『そうか……いや、貴様ですらそう感じるというのであれば、やはりあの男の言う通り、並の人間なら即座に意識を削り取られるのであろう』
自分の認識のずれを、オーゼンは素早く修正する。ほんの僅かとはいえニックが息苦しいと感じる場所など、普通の人間が生存していられる場所ではないと思い至ったのだ。
「ま、とにかくこの程度であれば普段とほぼ変わらんから、退屈であることを除けば二週間程度過ごすのは問題なかろう。内部では腹も減らぬし眠くもならぬという話だったしな……何か暇つぶしの道具を持ってくるべきだっただろうか?」
『本当に貴様という奴は……』
致死の空間で暇つぶしを考えるニックに、オーゼンは思わず呆れた声を返す。が……
ォォォォォォォォォ…………
「む?」
『何だ? 何かがこっちに向かってきている……?』
「だな。どうやら暇つぶしを悩む必要は無さそうだ」
何も見えず感じない空間で、しかし何かが迫ってくる。そんな不可思議な現象に、ニックはそう言ってニヤリと笑った。





