娘、受け入れる
「ふざけるな! ふざけるなっ! ふざけるなぁぁぁぁ!!!」
大声で叫び地団駄を踏むマキナの姿に、全員が視線を集中させた。妖艶な美女という面影はもはや無く、屈辱と狂気にまみれた表情でただひたすらに金切り声をあげ続けている。
「何故!? 何でそうなるの!? 綿密な計画の下に私の計画を打ち破ったんじゃないのか!? そんな、本人すら何だかわからない理由で助かっただと!? そんなことがあってたまるか!」
マキナにとって、アトミスは自分が唯一格上と認める本物の天才だった。だからこそ自分の企ての全てをその英知で打ち破り、上回られたというのであれば悔しくはあっても納得はできた。
だが、アトミス自身すらわからない不確定要素によって何千年もの時間をかけた計画が破綻したなどと言われてしまえば、到底納得などできるはずもない。ゴブリンの涎がたまたま世界最高の難問の答えを示す文字になったような結末を、認められるはずがないのだ。
「……………………」
そして、その事実を知っているフレイ達がそっとニックの方に視線を向ける。だがニックはあくまでも素知らぬ顔でヒューヒューと尖らせた口から息を吹いていた。目立たないようにあえて口笛にしない辺り、ニックにもやらかした自覚があった。
「というか、どういうことなのよボルボーン! 何でアトミス……いや、機人デウスが外に出ていたのに私を蘇らせた!? 今の話からすると、お前がデウスを確認したのはそう昔ではないのでしょう? なのに何故!?」
「何故と言われても、ワガホネは計測用の魔導具の数値を確認し、それが目標値を上回っていたから計画を実行しただけでアール」
「……チッ、こっちの指示を逆手に取られたのか!」
これほど長期間に渡る作戦となると、その中核を担う存在を単純なゴーレムに任せる訳にはいかない。そのためマキナはボルボーンに人と変わらない判断能力を備えさせていたが、それは同時に人のような判断の揺らぎ、曖昧さを与えているということでもある。
それをそのままにしては、最重要である計画の実行や自分の復活まで「ボルボーンの判断」に委ねることになってしまう。それは流石に許容できなかったため、マキナは魔神デウスの精神汚染度を数値化できる機能を死の螺旋に被せるように設置し、それが一定値……自身が計算した理論上耐えられる限界値の、更に三割増し……を越えた場合、他の全てに優先して計画を実行せよと指示をあたえていたのだ。
「……ちなみに、デウスを捕まえて『死の螺旋』に戻したのはいつ?」
「あー、確か二ヶ月ちょっとくらい前でアール」
「早いわよ!? 今まで何千年もかけて正気を失わせようとしていたのに、外を歩けるほどの自我が残ってる状態から二ヶ月なんて、どんなに濃度の濃い汚染に浸したってどうにかなるわけないじゃない! それでどうして計測値が……まさか!?」
「へっへっへ。そりゃせっかく外に出て、敵地に戻ってくるんだ。その程度の細工くらいしてるに決まってるだろ?」
「――っ!」
数値の計測は、一連のシステムから切り離され独立した魔導具が、死の螺旋の濁り具合をチェックしてボルボーンにだけ見えるように投影する方法をとっていた。物理的に繋がっていない以上死の螺旋の中にいる魔神にはどうすることもできないはずだったが、直接触れられるのであれば単純な魔導具に細工をするなどアトミスには造作も無い。
ちなみに、そちらに対する改ざん対策をとっていなかったのは、そもそもそこに手を加えられる状況……つまり魔神が復活し、魔導具をいじれるほどの自意識を維持した状態で外にいる状況になっていたら、その段階で既に計画が破綻しているからで、その読みは奇しくも正しいと証明されてしまった。
「一応言っとくけど、あの時俺が外に弾き飛ばされなくても、どうにかする方法はあったからな? まああんまりとりたい手段じゃなかったのは否定しないが、それでも黙ってやられっぱなしになってるつもりなんてないしな。
つーことで、あれだ。お前の負けだ。諦めろマキナ……いや、回帰派筆頭技術者、オワリンデ・マクヒキルナ」
「……………………っ」
かつて、まだ人の体をしていた頃の名を呼ばれ、オワリンデが悔しげに表情を歪める。そしてそんな二人のやりとりを前に……フレイは何とも言えない顔で仲間達に小声で話しかけていた。
「ね、ねえムーナ? これ結局何なわけ? ひょっとして、これで魔族と人間の戦争の歴史が終わるとか、そういう感じなのかな?」
「さあ? まあでも魔族が人間に戦いを挑む理由が魔神の復活で、あの人がその魔神だって言うなら、とりあえず戦う理由は無くなるんじゃないのぉ?」
「そっか……何か、うん。それが悪いわけじゃないというか、いいことなんだっていうのはわかるんだけど……何だろうこのモヤモヤした気持ち」
自分がずっと取り組んできた問題が、今日初めて会った見ず知らずの相手同士のやりとりによって解決しようとしている。その是非とは無関係に、フレイの中ではやり場の無い感情が体の中にこびりついているかのような気持ちをもたらしている。
そんな消化不良の想いをため込むフレイに、振り返ったニックが気楽な口調で話しかける。
「ははは、別にいいではないか。なあフレイ。たとえ肩書きを捨てたとは言え、お前は勇者に生まれ、勇者として生きてきた。故に自然とこの世界を救うのは自分だと思っていたのだろう。
ならばこそ自分の知らないところで世界が救われるのが気に入らない、要はそういうことなのではないか?」
「そんなこと! ……なくもない、の? そんなに傲慢になったつもりはないけど、でもなぁ……」
「ふふ、お前が努力をしてきたことは、儂が誰よりも知っている。故にそういう気持ちになることを否定などせんし、むしろ褒められたい、認められたいと思うのは当然だ。
だが、少し思い返してみろ。お前が頑張ってきたのは、世界などという漠然としたもののためか? お前が剣を振るってきたのは何のためだ? お前が本当に認められたいと思うのは、誰にだ?」
「アタシが頑張ってきた理由……」
ニックの言葉に、フレイは静かに目を閉じ己の心に潜り込む。周囲の喧噪から隔絶された精神世界で浮かんでくるのは、これまでの自分の生き様だ。
(アタシが戦ってきたのは、勇者だから? ううん、違う。きっかけはそうだろうけど、実際には目の前で困ってる人や、泣いている人を見過ごすのが嫌だったからだ。じゃなかったら勇者の肩書きを返上してまで戦い続けるなんてしなかった。
じゃあ、アタシが魔族との和平を望んだのは? 訳もわからず単に殺し合うよりも、わかり合えたならその方が幸せになれる人がずっと多いと思ったから……だけど、もっと具体的に言うなら、人間とか魔族とか関係なく、アタシが出会った「いい人達」に幸せになって欲しいから。
魔族にも人間にもいい人がいれば悪い人もいるって知ってるから……もっとぶっちゃけて言えば、アタシが知り合った「いい人達」が全部まとめて平和に暮らすには、それが一番都合がいいからだ。
褒められたい? 認められたい? そういう気持ちが無いとは言わない。でも顔も知らない王様から偉そうにお褒めの言葉をもらったりしたいわけじゃないし、活躍を認められて貴族に取り立てられるとかも全然興味が湧かない。
アタシが認められたいのは、アタシを直接知ってる人、アタシが直接知ってる人。そしてそういう人達は、最初からアタシを認めてくれている。ならこれ以上は……本当に欲しい?
それに、アタシが一番褒められたいのは……………………)
ゆっくりとフレイが目を開く。するとそこにいるのは、優しい笑顔を浮かべた父だ。誰よりも自分を愛し、誰よりも自分を認め、そしてきっと誰よりも自分を褒めてくれる相手。
あの日、自分が旅立ったその瞬間に誰かの手によって世界が救われ、世界中の誰一人として自分を勇者と認識せず、ただ辛い修行を耐え抜いただけの少女として旅が終わったとしても、きっと「よく頑張ったな」と心から褒めてくれる人。
「……そうね。欲しい物は全部揃ってるみたい」
父の顔を見て、フレイはニッコリと笑った。胸につかえていた澱はもはや影も形もなく、フレイはそっと手にした聖剣に目を向ける。
「多分アタシが最後の勇者なんだろうけど、その割には随分と締まらない終わりになっちゃったみたいね。でもまあ、この先も魔王軍と血みどろの戦いを繰り広げて、あの魔王を殺して……その死体に聖剣を突き立てて『我ら人間の勝利だ!』とかするよりは、ずっといい結末だろうけど」
「まあ、フレイらしいと言えばフレイらしいわよねぇ」
「ですな。旅の終わりというのは、こういうものなのかも知れません」
「あっ!? そう言えば、二人にはすっごい貧乏くじ引かせちゃったのか! ごめんね? アタシに出来ることがあれば、何とか……何かある?」
魔王を倒した勇者とその仲間。自分には必要無い名声だとしても、二人には違うかも知れない。そう思って謝罪するフレイの頭を、ムーナの長杖がコツンと叩く。
「イタッ!?」
「お馬鹿ねぇ! 地位や名声が欲しいなら、そもそも貴方の我が儘に付き合ったりしてないわよぉ!」
「そうですぞ。フレイ殿との旅で得られた経験は、天上の地位や金貨の山などとは比較にさえならぬ、我が生涯の宝ですからな」
「そ、そう? ふふ、ありがとう。二人とも」
「うむうむ。いい仲間を持ったな、フレイ」
「何よ、父さんだってアタシ達勇者パーティの一員でしょ!?」
「いや、儂はずっと前に追い出されておるからなぁ」
「うぐっ!? で、でもそれは父さんが……」
「そうよぉ! 元はと言えばニックが何でもかんでもやり過ぎるのが問題だったのよぉ!」
「まあでも、それが偶然とは言え世界を救うきっかけになったようですからな。世の中とは本当にわからないものです」
「そうだそうだ! 儂の拳が世界を救ったのだぞ? ならばもっと褒めてくれてもいいではないか!」
「まったく、調子がいいわねぇ……」
ふざけた調子で言うニックに、ムーナが呆れた声をかける。そんな二人のやりとりに皆が口元に笑顔を浮かべ、フレイがニックに手を差し出す。
「お帰りなさい、父さん。また宜しくね」
「ただいまフレイ。こちらこそ宜しくな」
その手をニックがガッシリと握り、そうして世界は平和に――
「こんな終わり、認められるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
オワリンデの絶叫が、その甘い幻想を粉々に打ち砕いた。





