娘、助けに行く
「うーん……?」
その日、フレイはいつものように魔王軍との戦闘に勝利し……そしていつもと違う感覚に戸惑いを覚えていた。
「どうしたのぉ?」
「ムーナ。どうしたって言われると困るんだけど、何かこう……何だろ? 何とも言えないおちつかなさを感じるというか……」
「あのねぇフレイぃ? それ、私に伝わってくる情報がひとつも増えてないわよぉ?」
「そんなこと言ったって、アタシだってわかんないのよ! 強いて言うなら聖剣の手触りが違うっていうか、そんな感じ?」
「聖剣ですか? 留め具が緩んでいるとか、そういうことではないですよね?」
「それは流石に……てか、聖剣の留め具って緩むの? 刀身と柄に分解できる聖剣とか聞いたことないんだけど」
「さあ? それこそフレイ殿の方が詳しいのでは? その剣を使えるのは実質的にフレイ殿だけなのですし」
「まあそうなんだけど……」
真面目な顔のロンに正論で返され、フレイはしょっぱい顔で聖剣に視線を落とす。いつもならば自分の体の一部、それこそ腕の延長くらいにまで感じられる聖剣が、今はごく普通の剣……つまりは自分とは別の存在に思える。
ただ、世間一般の常識で言えばむしろこの状態の方が普通なので、これを異常と捉えるかどうかは微妙なところだ。
「ひょっとして、身体強化の魔法を訓練してるせいで体の感覚が変わってるんじゃないのぉ?」
「ああ、そういうこともあるのか! なるほどなるほど、そうかもね」
が、ムーナのその指摘にあっさりと納得し、フレイは違和感の正体を「自分が成長したせいだ」と結論づけた。それどころか「何よ、アタシちゃんと強くなってるじゃない!」とちょっと得意げな気持ちになったりしつつ、その日は普通に終わって……そして夜。
気づいた時、フレイは何も無い白い空間に佇んでいた。
「……あれ?」
訳のわからない状況に、フレイは冷静に自分の行動を省みる。普通に夕食を済ませ、天幕で横になって……
「ああ、つまり夢ってこと? 何か前にも似たようなことを経験した記憶が……あ、でもあの時は周りが真っ暗だったかも? んー?」
夢の中で、かつて見た夢のことを考える。そんな不毛な状況のフレイだったが、その耳にかすかな声が聞こえてくる。
「……何? 泣いてる……?」
半ば無意識のうちに、フレイはその声の方へと歩き出す。何の変化もない真っ白な世界で、ただ地面を踏みしめる感触だけを頼りに前へ前へと進んでいき……そして辿り着いた先では、この空間でなお白い長髪を床に流し、同じく白いヒラヒラしたドレスのような服を着た少女が蹲ってすすり泣きをしていた。
「女の子? ねえ、アンタどうしたの?」
「お兄ちゃんが……お兄ちゃんが消えちゃうの……」
「お兄ちゃん?」
「そう。お兄ちゃん……あたしのためにずっとずっと頑張ってくれていたお兄ちゃんが、もうすぐ消えちゃう……」
俯いたまま泣き続ける少女に、フレイは背後からゆっくりと近づいてその正面にしゃがみ込む。
「あー、つまりその、お兄ちゃんが消えちゃうのが悲しくて泣いてるわけ?」
「そう。どうにかして助けたいけど、でもあたしにはどうすることもできなくて……」
「むーん……ねえ、それもうちょっと詳しく説明してくれない?」
「いいよ。教えてあげる……」
問うフレイに、やっと顔をあげた少女がそう答える。吸い込まれそうな蒼い瞳は、まるで空を宿した宝石のようだ。
「あのね……」
そうして少女が語った話は、フレイをして驚愕せざるを得ないものだった。
「えっと……つまりアンタが勇者を生みだしてるわけ?」
「そう。お兄ちゃんのせいで『魔王』が生まれちゃったから、それを何とかしたかったの。だから人の信じる心を力に変える『信仰の書』……貴方達が『ぼうけんのしょ』と呼んでいる物の力を流用して、魔王を倒せるように勇者を作ったの。お兄ちゃんが再生した世界が壊れないように……」
「ほえー。じゃ、アタシの力もアンタからもらってものってこと?」
「? お姉ちゃん、勇者なの?」
「そうよ。アタシは四代目勇者フレイ・ジュバンよ!」
「……お姉ちゃん、勇者なの?」
堂々と名乗るフレイに、しかし少女は首を傾げてもう一度問うてくる。
「え、なんでもう一回聞かれたの? あ、やっぱり勇者の肩書きを返上しちゃったから、もう勇者じゃないとか?」
「肩書き? それは知らないけど、お姉ちゃんからは勇者の力を少ししか感じないから……」
「うぇ!? それってどういう……まだ覚醒してない力が眠ってるとか、そういうこと?」
「ううん。勇者っていう力の器があるだけで、中身があんまり入ってないの」
「えぇぇ? それは……どうなの?」
言葉の印象からすると、もの凄く強くなれる才能があるのに努力していないという風に聞こえなくもない。が、フレイ自身はそこまで努力が足りないと言われるような日々を送っているつもりはない。幼少期から父の訓練を受けていたし、少し前まで知識を身につけることの方に重きを置いていたとはいえ、戦闘訓練を怠けていたわけではないのだから当然だ。
「いや、でも、そうか。父さんと旅してたってだけで、相当にぬるい状況だったのかも……? ぐぅぅ、これは目が覚めたら気合いを入れて鍛錬を頑張らないと」
「……? よくわからないけど、頑張ってね」
「あ、ありがと……まあいいや。すっかり話がそれちゃったけど、その魔王を生みだしているお兄ちゃんが、今消えそうなわけ?」
「そう。本来なら魔王なんて生まれないはずなのに、誰かがそうするようにしちゃったの。そしてそのせいで、お兄ちゃんの心が消えかかってるの。お兄ちゃんは誰より、この世界のために頑張ったのに……」
「ふーむ……」
再び俯いてしまう少女を前に、フレイは顎に手を当て考える。魔王を生み出す存在が消えるというのは、普通に考えれば朗報だ。だが魔王と直接対峙したことのあるフレイは『魔王』というのが単に邪悪な存在ではないことを知っているし、何よりそれは『お兄ちゃん』とやらが望んだ形ではないらしい。
(っていうか、多分その『お兄ちゃん』って、魔神よね……今まで調べた情報からすると、その正体は当時に生きてたごく普通の人間で、魔族を作ったりとか色々やらかしてるけど、結果として世界を再生したのは間違いないはず。となると……)
「よし、じゃあそのお兄ちゃんってのを助けましょうか!」
「……いいの?」
「もっちろん! だってアタシは勇者だもの! 困っている女の子を放っておいたりしないわよ!」
総合的に判断して、お兄ちゃん……魔神を助けることが悪い結果に繋がる可能性はかなり低い。それに魔王軍の戦う目的が魔神の復活であるのなら、上手く助けられれば魔族との戦争そのものを止められる公算も高い。
更に今聞いた話からするとどうやら問題なのは魔神に余計なちょっかいを出している誰か、あるいは何かということらしいのだから、これで泣いている少女を見捨てて目覚めるなどということをする必要が無くなるのなら是非もない。
「でも、それってどうすればいいの? いざとなったら父さんに頼めば何とかなりそうな気はするけど」
「それは……お姉ちゃんだったら……」
「えっ!? な、何!?」
不意に立ち上がった少女が、フレイの首に抱きついてくる。それと同時にフレイの中に温かな力が満ちていき、代わりに目の前の少女の姿がドンドン薄くなっていく。
「お願い。あたしと一緒にお兄ちゃんを助けて……」
「うっ、ぐぅぅ…………あぁぁぁぁ!?」
頭が砕けるような痛みと共に、フレイの中に少女の記憶が流れ込んでくる。その殆どは暗闇の中でたゆたうだけのものだったが、比率からすればほんの僅かな、だが黄金のように輝く思い出に、フレイは何処か既視感を覚える。
「いったー、何するのよ突然……とも言えないか。確かにこりゃ大変だわ」
そしてそんな記憶の中には、お兄ちゃん……魔神が「自分に何かあった時のために」と備えていた情報があった。初代魔王の出現時に自動的に開示されるようになっていたらしいそれには、想定しうる脅威とその対処法などが大量に記載されており、その一割すら理解できないフレイであっても現状が予断を許さないことくらいは把握できた。
「よし、急ぐわよ!」
「…………はっ!?」
カッと見開いたフレイの目には、静寂に包まれるいつもの天幕の内部が映し出される。だが目覚めた今も、夢で見た記憶はフレイの中に鮮明に残っている。
「こうしちゃいられないわね。急いで支度しないと!」
「んんぅ……フレイぃ? まだ起きるには早いわよぉ?」
ガチャガチャと装備を身につけ始めるフレイに、ムーナが眠そうな目を擦って言う。だがフレイの姿を見た瞬間、寝ぼけ眼だったムーナの目が大きく見開かれる。
「フレイ……? 貴方本当にフレイなのぉ?」
「アタシじゃなかったら誰だって言うのよ! あ、でも、ひょっとしたら今はあの妹ちゃんが混じってるのかも?」
「妹ぉ? フレイぃ、一体何の話を――」
「ごめん! 後で必ず説明するから!」
そう言って顔の前で手を合わせると、フレイは天幕を出て聖剣を抜き放ち、空に向かって掲げる。既に朝日は昇っており、天気は快晴。見慣れているはずの青い空に、何故か涙がこみ上げてくる。
「管理者権限によりゲートを起動! 目標地点は……え、それでいいの? 目標地点は『お兄ちゃん』よ!」
『原因不明のエラーにより、ゲートの構築に失敗しました。別の座標をセットするか、時間をおいてもう一度――』
「押し通る!」
目の前に出現した黒いひび割れに、フレイは強引に聖剣を突っ込む。するとバリンと音がして、壁にしか見えなかった場所に奥行きが発生した。
「ちょーっと待ったーっ!」
叫びながらその割れ目に突っ込むフレイだったが、事態は予想を遙かに超えて切迫している。自分の中にある自分ではない誰かの気持ちが目の前にいるヨレヨレの男を強く求め、同時にその側にいる謎の女を強烈に嫌悪する。
『思い出してお兄ちゃん! お兄ちゃんはデウスなんて名前じゃない! お兄ちゃんは、お兄ちゃんは……っ!』
「フフッ、私の勝ちよ」
『起きて、アトミスお兄ちゃん! あたしの名は……イデア!』
浪漫を語る現実論者に、理想を見つめる妹が叫ぶ。その魂の呼び声に……
「どっせぇぇぇぇぇい!」
兄は、目の前の女にバックドロップを決めることで答えた。





