魔王、本気を出す
ヤバスチャンに立ちはだかるのは、幼さすら感じさせる華奢な少女。対して自分の隣には頼りになる同僚が二人おり、背後には魔王様すらいる。普通ならば「舐められたものだ」と小馬鹿にするか「ふざけるな」と憤るところだが、たった今奪ったはずの魔神様をあっさり奪い返されたヤバスチャンに驕りや油断を抱く余裕はない。
「…………ッ!」
ゆらりと体を前方に倒し、頭の高さが相手の胸の位置に来たところで思いきり床を蹴る。真祖吸血鬼に相応しい身体能力を発揮して一瞬にして加速すると、その速度の全てを必殺の一撃に乗せる。
「ヤバスティンガー!」
境界の森ではギャルフリアを助けるために拳から血の槍を伸ばすという本来とは違う使い方をしたが、五本の指をまっすぐ伸ばした抜き手を黒い血で覆うことで槍の如く突き刺すこの状態こそ、この技の真の姿。
その一撃は鋼鉄すらも紙のように穿つことができるのだが……しかし目の前の少女は手にした大鎌の柄の部分で器用に受け止めた。
「何とヤバい反応速度! だが……っ!」
「食らえ! 『筋肉大爆炎』!」
「むっ!?」
エクスの横から、巨大な火球が飛んでくる。それは先程ボルボーンに向かったものとは比較にならない高熱と爆発力を以てエクスに襲いかかり、それを手のひらで受け止めたエクスの体が蹈鞴を踏む。
「ふんっ、このくらい……っ!?」
「こっそり『白波激蹴』!」
「あふんっ!」
密かに忍び寄っていたギャルフリアの足払いで、エクスがビタンと顔から倒れる。その冗談のような光景を前に、ヤバスチャンは指をさして笑うのではなく、命を奪う追撃を選択する。
「ヤバスラッシャー!」
倒れたエクスの首を狙い、ヤバスチャンの血の刃が放たれる。それは紛うことなくエクスの細い首に命中したが……
「まさか!? ヤバスラッシャーで切れないだと!?」
「いったー!? 乙女の柔肌に傷がついたらどうするつも……………………」
動揺するヤバスチャンの前で、エクスが首をさすりながら起き上がって抗議の声をあげる。その顔には見た目相応の少女らしい感情が見て取れたのだが、それも一瞬のこと。すぐに無表情に戻ったエクスが雑に大鎌をなぎ払い、ヤバスチャン達は大きく距離を取る。
「コツコツコツ。どうやらワガホネが思った以上に我が従者は強いようでアールな。いや、それともお前達が弱すぎるのでアールか?」
「言うに事欠いて俺様が弱いだと!? テメェ、ボルボーン! 覚悟はあんだろうな!」
「フンッ。ワガホネが簡単に倒したエクスすら制圧できない雑魚が粋がったところで、情けないだけでアール。では、ワガホネは先に行って準備を済ませるでアールから、全部片づいたらお前も戻ってくるのでアール」
「畏まりました、ロリボーン様」
「…………まあいいでアール。管理者権限によりゲートを起動。コマンドワード『骨沈下』」
「待ちやがれボルボーン! くそっ、おいヤバスチャン、どうすんだ!?」
「わかってるでヤバス! とにかくまずは――」
「『筋力強化』」
と、その時三人の背後で聞いたことのない魔法が発動した。術者の手から発せられた淡い光はマグマッチョの体を包み込み、その能力を倍にまで引き上げる。
「うぉぉ、何だ!? 突然凄ぇ力が……!?」
「『魔力強化』、『全能力強化』」
「うわ、何!? 魔力がチョー漲るんだけど!?」
「全ての力が体感五割増しくらいに……このヤバい魔法は、魔王様!?」
「余は歴代で最弱の魔王だと言われているが、その理由を知っているか?」
悠然と構える魔王オモテボスの言葉に、しかしギャルフリアは首を傾げる。
「え、そーなの? そんなのアタシ初めて聞いたんだけど」
「俺も初めて聞いたぜ。ヤバスチャンは知ってたのか?」
「ヤバスヤバス。偉大なる魔王様を弱者呼ばわりする馬鹿の戯言など、私は知らないでヤバス!」
「あー……まあ、うむ。とにかくそうなのだ。そしてその理由は余が魔法特化かつ補助型の魔王だからだ。勇者達とたった一人で対峙しなければならない身としては、悠長に補助魔法を使う暇もなければ、長々と詠唱する時間もないからな。
だが今、この時。余の前には頼りになる四天王達がいる。この意味がわかるか?」
「ボルボーンは抜けたんだから、もう四天王じゃなくない?」
「そう言えばそうだな! なら三天王か? なんか語呂が悪いな……」
「お前達、魔王様の決め台詞の最中でヤバス! ちゃんと話を聞くでヤバス! さ、魔王様! 続きをどうぞでヤバス!」
「……………………お前達がいれば、余は最強だと言うことだ! 余のために一分稼げ!」
「了解!」
「お任せー!」
「ヤバス!」
ちょっと泣きそうな気持ちを必死に抑え込み、オモテボスが命令を下す。それに従いヤバスチャン達がエクスに襲いかかるのを見て、オモテボスは瞬時に気持ちを切り替え、心を落ち着け詠唱を開始する。
「我は天と地の狭間にて世の理を管する走狗なり。懺悔と怨嗟の業を背負い、代価を払いて罪過と為す――
狭間・管理・者狗! 懺! 業! 代…………『避けろ!』 滅尽!」
瞬間、魔王オモテボスの両手からこの世の悲哀の全てが凝縮されたような闇の波動が放出される。それは触れる全てを黒く染め、魂さえもボロボロに朽ち果てさせる禁断の暗黒魔法。
頭に直接『避けろ』という命令を下されたヤバスチャン達は本人の意思とは無関係に回避行動をとり、それによって空いた隙間から滅びの魔法がエクスの小さな体に突き刺さる。
「アババババババババ!?!?」
その衝撃に、エクスが小さな体をビクビクと震わせてその場に倒れた。あまりにおぞましく凶悪な威力の魔法にマグマッチョとギャルフリアは呆気にとられ、そんなヤバすぎる力を解き放った魔王を心配し、ヤバスチャンはオモテボスの側に駆け寄る。
「魔王様!? 大丈夫でヤバス!?」
「ハァ……ハァ……どうだ? 今のは余の掛け値無しの全力の魔法だった。これならば……」
「クッ、フッフッフ……」
ガックリと膝をつき、肩で息をする魔王オボテボス。だがそれを嘲笑うかのように、小さな少女がまたもむくりと起き上がる。
「今の一撃で倒せんのか……」
「どうするヤバスチャン、てか魔王様!?」
「ここ全然水無いし、アタシはこのくらいが限界なんですけどー!?」
「魔王様……」
「問題ない。一度で倒せなかったのであれば、倒せるまで続ければいい。元より魔神様に捧げたつもりだったこの命、今ここで燃やし尽くしてでも必ず魔神様を助けてみせる!」
オモテボスの決意の籠もった言葉に、付き従う三人の四天王達も覚悟を決める。そしてそんな彼らを前に、従者エクスは不敵な笑みを浮かべる。
「ハァ、今のはかなり痛かったですわ……ちょっと、いえかなり予想を上回っているようですので…………」
言って、エクスの手から鎌が消える。代わりにその手に握られたのは、光り輝く黄金の鍵。
「少し早いですが、貴方達には『真実』というものを知ってもらうことに致します。できるだけ衝撃を受けないように優しくお教えしたかったところですが……どうぞごゆっくりご堪能下さい」
優雅に一礼したエクスが、手にした鍵をカチャリと回す。すると正面の空間に光の窓が開き――
「やはりこうなってしまいましたか」
エクスの前では、魔王を含めた全員が力なくその場に崩れ落ちている。あらかじめわかっていたことではあったが、それでも残念だという気持ちは消えない。
「とは言え、この結果は私の力が至らなかった故。お叱りはあとでしっかり受けるとして、まずはしっかりお仕事を終わらせないといけませんね。
では、私はお先に失礼させていただきます」
さっきと同じ優雅な一礼で終幕を告げたエクスの姿が、足下に空いた黒い穴に吸い込まれるようにして消えていく。
そうして「敵」の消えた謁見の間では、魔王達の呻くような声だけが小さく響き続ていた。





