父、締めの料理を作る
その後もニックは世界中を駆け回り、様々な食材を堪能していった。億を数える蜂の群れから蜂蜜をかすめ取ったり、虹の光を吸収して七色に輝く怪しいキノコをむしり取ったりと、その冒険譚の一つ一つが吟遊詩人が詩とするほどに密度の濃いものであったが……それでもやがて終わりは来る。
「ふぅー。随分と色々食ったな」
訪れたばかりだった秋が、気づけばもうすぐ終わりそうになっている。日向の草原で寝そべり空を見上げながら腹をさするニックに、オーゼンが今日も声をかける。
『そうだな。我の想像を遙かに超えて食ったな……で、次はどうするのだ?』
「いや、そろそろ終わりだ。もう美味いものも珍しいものも十分に堪能したからな」
『そうなのか? ふむ……』
ここしばらくのニックとの生活は、今までに比してなお刺激的なものであった。散々苦労もしたし酷い目にもあったが、終わってしまうとなると一抹の寂しさを感じざるを得ない。
「はは、そんな声を出すな。正確には最後に一つ、締めの料理を食って終わりだ」
『む、そうか。あれだけの食材の締めとなると、一体どれほど奇想天外な物を食うつもりだ?』
「それは見てみてのお楽しみだ。では行くか」
そう言ってひょいと立ち上がると、ニックはゆっくりと近くの町へと歩いて行く。そうして市場で軽い買い物を済ませると、貴族が泊まるような調理場つきの高級宿にその身を寄せた。
『貴様がこういう宿をとるのは珍しいな』
「まあな。だが今回はどうしても自由に使える調理場が必要だったのだ。時間がかかるから普通の宿で借りるのは気が引けるし、ならば自宅に帰るというのも考えたが……それはちょっと、な」
『ぬ……?』
ニックにしては珍しく、歯切れの悪い物言いをする。だからこそオーゼンはそれ以上追求せず、ただ静かにニックが為す事を見届けようとする。
「では、早速作るか」
誰にとも無くそう呟くと、ニックは買ってきた麦の殻を丁寧に剥いて器に溜めていく。別にそのままでも食べられるし普通ならばそうなのだが、ニックは一切手間を惜しまず太い指を器用に動かして丁寧な仕事を心がける。
そうして適量をむき終えると、同じく買ってきた山羊の乳と共に器に入れ、弱火でじっくりと煮始める。クツクツという小さな音が耳をくすぐり、若干の獣臭さがふわっと室内に漂うが、ニックはそれを愛おしそうに楽しみながら、焦がさないようにゆっくりと掻き混ぜ続ける。
「…………そろそろか」
煮え具合が丁度よくなったところで、ニックは最後に塩などで軽く味を調えてから出来上がった麦粥を浅い皿に取り分けた。そうしてその一品だけを手にテーブルに向かい、席に着く。
高級な木製のテーブルの上には、あまりにも簡素な……いっそ貧相とすら言える不釣り合いな料理が一皿。だがニックは湯気の立つそれを前に胸の前で両手を合わせ、目を閉じて祈りを捧げてから食事を始めた。
皿の中身をスプーンですくって口元にもってくれば、優しい匂いがニックに届く。それをそのまま口に入れれば、やや癖のある山羊乳の風味と決して高級というわけではない麦のプチプチした食感が感じられ、咀嚼の後飲み込めばほのかな熱が喉を伝って体全体にじんわりと広がっていく。
「……ああ、美味いな」
今まで食べてきた食事とは比較にならないようなそれに、しかしニックは静かに、そして満足げに微笑む。そうして雫の一滴すらも残さぬほどに綺麗に食べ終えたところで、ようやくにしてオーゼンがニックに話しかけた。
『なあ貴様よ。何故その料理が貴様にとっての締めだったのだ? 確かに胃には優しそうだが、まさか貴様が胃もたれをしたわけでもあるまい?』
「はは、当たり前だ。これはな、儂にとって特別な料理なのだ。この麦粥はマインが儂に初めて作ってくれた料理であり、最後に作ってくれた料理であり……そして儂がマインに最後に食べさせた料理だからな」
『……その話は、我が聞いてもいいものなのか?』
「無論だ。誰かに恥じるような……いや、照れくさくはあるのか? ま、どちらにせよお主ならば構わんとも。
以前に儂とマインのなれ初めの話をしたのを覚えているか?」
『ああ、覚えている』
王能百式が一つ、『王の鍵束』の能力を発現した直後、ニックは自宅に帰っていた。その時にオーゼンはニックとその妻との話を聞いており、友の語ったその内容を今でも一言一句違えず覚えている。
「ならばいい。儂がマインと出会ってからしばらく後のことだ。月に一度のマインが来る日に、儂は風邪を引いて寝込んでしまっていたことがあってな。ちょうど爺様も仕事で家におらず、一人で寝ている儂の所にやってきたマインが作ってくれたのが、この麦粥なのだ――」
「ニックー? いるー?」
そんな声と共に、部屋の扉が主の返事を待たずに勝手に開く。熱に浮かされ朦朧とするニック少年の目に映るのは、もう幾度も遊んだ一人の少女の顔だ。
「……マイン? どうしたんだ?」
「どうしたもこうしたもないでしょ! 風邪引いて寝てるって聞いたから、お見舞いに来たのよ!」
「そっか、ありがとう……でも風邪が移っちゃうから、あんまり近づかない方が……」
「うーん。顔色はそんなに悪くなさそうね。なら熱があるのかしら?」
「……マイン? 俺の話聞いてる?」
ゴホゴホと咳き込むニックに、しかしマインはお構いなしにベッドの側まで近づいてきてその額に手を当てる。
「あら、割と熱い感じ。確かにこれなら大人しくしてる方がよさそうね……ねえニック、アンタ食欲はあるの?」
「えぇ…………まあ、うん。ちょっとくらいなら食べられると思うけど」
「そう! ならアタシが何か作ってきてあげるわ!」
「え!? いや、祖父ちゃんがパンとスープを用意してくれてるはずだから……」
「ちょっと待ってなさい! 今最高に美味しいものを作ってきてあげるから!」
「あ、あれ? マイン?」
ニックが止める間もなく、マインがドタドタと部屋を出て行く。そして出て行ったきり、一向に戻ってこない。
「うぅ、マインの奴、何やってるんだ……? 料理するって、怪我とかしてないだろうな……?」
熱に浮かされ自分も辛いはずなのに、ニックの頭にはマインの心配ばかりが浮かんでくる。そんなやきもきした時間が一時間ほど経過すると、不意に部屋の扉が乱暴に開け放たれた。
「できたわよ! ほら見て! 美味しそうでしょ?」
得意満面な顔でマインが持ってきた皿には、湯気の立つ麦粥が入っている。お腹には優しそうだが、山羊の乳だと思われる匂いは弱った体には正直ちょっときつい。
「これ、マインが作ったのか?」
「そうよ! だから冷めないうちに食べて食べて!」
「ああ、わかった」
上半身を起こしたニックは、出された麦粥をそっとスプーンですくって食べる。微妙に生煮えの麦のザリザリとした食感と獣臭さの残る山羊乳の風味、何より妙に塩辛いところとそうじゃないところのある味のばらつきは、表現するならば「不味いとまでは言わない」という微妙なところだった。
「どう? 美味しい?」
「お、おぅ。美味しい……よ?」
キラキラと目を輝かせるマインに、ニックはかろうじて笑みを浮かべて答える。が、弱っていたニックの表情はどうやら素直に感想を伝えてしまったらしく、すぐにマインの頬が不機嫌そうに膨らんでいく。
「何よ、美味しくないって言うの!? せっかくアタシが作ったのに!?」
「そ、そんなこと言ってないだろ!?」
「お世辞なんかいらないわよ! フーンだ! そんなこと言うなら、ニックには食べさせてあげないんだから!」
「あっ!?」
そう言ってニックの手から皿とスプーンを奪い取ると、マインが麦粥を一口食べる。が、その瞬間マイン自身もしかめっ面になり、それが徐々に悲しそうに変わっていく。
「…………むぅ」
「マイン! 俺、お腹空いてるから! だからおかわりをくれ! って、マイン!?」
自分の為に料理を作ってくれたマインが、悲しい表情をしている。その事実が許せなくておかわりを要求したニックだったが、マインはそれに応えることなくそのまま一息に麦粥を掻き込み始めた。その勢いにニックが圧倒されていると、麦粥を食べ終わったマインがニックに向かって思いきり指を突きつける。
「見てなさい! 次こそ絶対美味しい料理を作って、ニックの事ビックリさせてやるんだから!」
そう言い放つと、マインは来た時と同じくドタドタと足音を立てながらニックの部屋を出て行った。そうして残されたニックは嵐のような来訪者に激しい戸惑いを覚えたものの、すぐに心を落ち着けてベッドの上で布団を被る。
「……うん、楽しみにしておくよ」
その時までには元気になって、今度こそお腹いっぱい食べさせてもらおう。そんな事を思いながら、ニックは静かに眠りについていった。





