父、辿り着く
『……なあ貴様よ。一ついいか?』
何処へ向かうともわからない道すがら、オーゼンはニックに問い掛ける。
「ん? 何だ?」
『次は果物ということだったが、果物ならばあの畑で一緒に育てればよかったのではないか?』
それは素朴な疑問。果物と野菜の線引きは何処かという永遠の課題はあれど、植物を育ててその実を得るという仮定と結果に変わりは無い。ならばあの畑で一緒にやってしまえばいいのではと思ったのだが、そんなオーゼンにニックは何とも残念そうな笑みを浮かべる。
「わかっておらんなオーゼン」
『む? 何がだ!?』
「今儂が食いたいのは、暑い場所に生える甘い果物なのだ!」
『……そうか。それならば何も言うまい』
寒い場所に実る果物とて、甘くて美味しいものは沢山ある。今の季節が秋であることも鑑みれば、むしろそっちの方が旬であるのではないかとオーゼンは考えたが、食べる本人であるニックがそういうのであれば是非もない。ここまで我が儘を通したのだから、今更手間の一つや二つ増えたところでどうということもないだろう。
『しかし、暑い場所とは何処だ? まさかまた火山にでも戻るのか?』
「確かに火山地帯は暑いだろうが、それとは違うカラッとした暑さが理想だな。というか、行き先の目星は既につけているぞ」
『そうなのか? 確かに移動しているのだから当然と言えば当然だが、何処に?』
「フフフ、それは勿論……海だ!」
『…………は?』
今回も思わず変な声を出してしまたオーゼンをそのままに、ニックはひたすら世界の外、海に向かって走って行く。そうして波打ち際に辿り着けば、そこはさっきまでいた山の上ほどではないにしても、冷たい風と白波の押し寄せる寒々しい場所であった。
「むぅ、涼しいな」
『当たり前であろう。夏の海ならば確かに貴様の言う通りの環境だったと思うが、海から吹き付ける風はただそれだけで冷やされているのだから、下手な内地よりもよほど寒いはずだ……まさか知らなかったなどとは言わんだろうな?』
「馬鹿を言え。儂とて娘と共に世界を巡っていたのだ、そのくらいわかっているに決まっているではないか」
『ならばこれからどうするつもりだ? まさかまた訳のわからん方法で気象を変化させるなどとは言わぬだろうな?』
たとえ局地的とはいえ、夏と見まごうほどに気温を上昇させたりすれば周囲にどれだけの影響が出るかわからない。何かやむを得ない事情があるならばともかく、単に美味い果物が食べたいというだけでそこまでするのは、幾らニックの望みとはいえ容認できるものではない。
もしそんなことを望むのならば全力で止めようと思うオーゼンだったが、その言葉に対してニックは軽い調子で笑って答える。
「ははは、そんなことができるのかどうかもわからんし、やるつもりもない。お主に海の果ての話をしたことがあったであろう?」
『海の果て? 外洋へと漕ぎ出しても何処にも辿り着けないというあれか?』
海には果てがない。ある一定の距離までは進めるが、そこから先は進んでいるように見えても実際には進めていないらしく、陸地への帰還を試みると前進した距離に関わらずその「一定の距離」の場所から陸地までの時間しかかからない。
これはオーゼンが活躍していた当時のアトラガルドでも解明できなかった謎であり、何らかの理由で空間が歪んでいる、あるいは精神干渉と強制転移を組み合わせているなどの幾つもの仮説が立ち上がったが、最終的にどのような結論に至ったのかは、歴史の影に埋もれて忘れられてしまったオーゼンには与り知らぬことである。
「それもそうだが、もう一つの方だ。海を外に向かえば向かうほど巨大な魔物が出現するというのを覚えているか?」
『……ああ、そう言えばそうだったな』
オーゼンのなかに蘇ったのは、漢祭りに参加したニックが水底で出会った正体不明の巨大なナニカ。だがその存在と果物というのがオーゼンの中では全く繋がらない。
『外洋に出れば巨大な魔物がいるというのは思い出した。だがそれが何だと言うのだ?』
「フフフ、実はな。外洋でしか出会えぬ魔物のなかに、アイランドタートルというのがいるようでな。そいつの甲羅に生えている木になっている果物は、殊の外美味いという話なのだ!」
『……一応聞くのだが、それは貴様の体験談ではなく、貴様以外の誰かがそれを取ってきたことがあるということか?』
「そうだ。ずっと昔にとある国の調査船団が『海の果てに新たな大地を見つけた』と報告して大騒ぎになったことがあってな。各国がこぞってその場所に船を送ったのだが、大地どころか小さな島一つすら何処にもない。
で、これはおかしいと調べに調べた結果がアイランドタートルという魔物の存在だ。当然生きた魔物の背を新たな大地と認めることなどできぬと世界中の者達がガッカリしたのだが、その時もたらされた唯一の朗報が、勇敢にして無謀な船乗りがアイランドタートルの背に上陸してみると、そこは常夏の如き熱気に包まれており、実っている果物がこれまた大変な美味だという情報であった……というのがこの話の顛末だ」
『なんともはや……で、貴様はそこに行って果物を取ってくると、そう言うわけだな?』
「そうだ! 一〇〇〇年以上昔にほんの数人が食べたことがあるだけという、伝説の果物! どうだ、味わってみる価値があると思わんか?」
『確かに希少性としては恐ろしいものがあるな。ただ吟遊詩人の語る唄のような話となると、その真偽には疑問が残るところだが……』
「まあ、いなければいないで仕方ないがな。三日も探して駄目であったら、適当な場所に……そうだな、獣人領域にでも行って名物の果物を食べることにでもしよう。あちらは普通に美味いことが保証されているからな」
『なら最初からそこで食べた方がいい気もするが……ここまで来てしまったのだ。貴様が気の済むようにすればいい』
「うむ、そうさせてもらおう! ということで、行くぞ!」
かけ声と共にニックが地を蹴り、その巨体が海の上へと躍り出る。そのまま海面を走り続けるニックに、オーゼンは何も言わない。以前も走っていたし、そもそも中空を蹴って跳べるのだから、水上を走るくらいはできて当然だと言える。
(一体我はいつ何処に常識を置き忘れてしまったのであろうか……)
そんな風に黄昏れるオーゼンを余所に、ニックはひたすら海を走り回った。流石に一日では見つけることができず、一旦陸地に戻って夜を明かしてから再度海へと飛び出し、更に走り回ること数時間。
「おおぉ? おい見ろオーゼン! あれではないか!?」
『ん? ああ、確かに何かいるな』
水平線の向こうにこんもりと盛り上がる何かを見つけ、ニックはそちらに向かって一直線に駆けて行く。徐々に近づく盛り上がりははっきりと魔物の甲羅だと視認できるようになってくるが……
「これは……」
『何と言うか……小さいな』
近づけば近づくほど、その大きさが実感できるようになる。無論魔物としては相当に巨大ではあるが、ニックが辿り着いたのは全長一〇〇メートルほどの甲羅を背負う亀の魔物であり、どう贔屓目に見ても小島と見間違うのが精々であった。
「……まあ、せっかく来たのだ。とりあえず乗ってみるか」
ひょいと海面から跳び上がり、ニックは甲羅の上に乗る。そこはふかふかとした緑の苔に覆われており、甲羅の中央付近にはひょろりと一本だけ木が立っている。近くに寄って見てみれば、どうやら甲羅の内側に根が食い込んでいるようだ。
「ふむ、実は付いておるな。これは……確かバナナであったか?」
木には三日月の如き黄色い実が大量になっており、周囲に甘い香りを放っている。それを一つもぎ取ると、かつてコサーンと共に食べたことを思い出して丁寧に皮を剥いていく。厚い皮から解き放たれた白い実はより一層甘い匂いを放っており、ニックがたまらず齧り付くと、もっちりとした食感と砂糖などとは違う強烈な甘さが口の中を満たしていく。
「ふぉぉぉぉ!? これは!」
あっという間に一本を食べきってしまい、ニックは次々とバナナをもいでは食べていく。美化されているであろう思い出と比較してなお圧倒的に美味いバナナをこれでもかと堪能すると、ニックはお土産用に残りを全部魔法の鞄にしまい込んだ。
『随分と気に入ったようだな』
「ああ。獣人領域で食べた物も十分に美味かったはずなのだが、これは突出して美味い。一体何が原因なのであろうか?」
『ふむ。魔物の背という特異な環境が味に影響するのかも知れんな。あるいは甲羅に根が食い込んでいるということは、この魔物の体液を吸って成長しているのが原因という可能性も……』
「ふふふ、興味はあるが、まずは新たな美味に出会えたことに感謝しよう! 後でコサーンやフレイ達にも食べさせてやらねばな」
甘い香りに全身を包まれながら、ニックはしばしアイランドタートルの背で日光浴と昼寝を同時に楽しむのであった。





