父、水を汲む
本日の更新で、遂に連載開始から三年目に突入となりました! これからも日々のちょっとした楽しみとなれるよう頑張って書いていきますので、引き続き応援宜しくお願い致します。
「ふーむ、無いな……」
人里から遠く離れた深い森。そんな場所を幾つも巡ったニックが、周囲をキョロキョロと見回しながら小さな呟きを漏らす。
『なあ貴様よ。さっきから何を探しているのだ? 精霊と言っていたが、貴様に精霊が見えるのか?』
「ははは、確かに普通の精霊は見えぬが、絶対に見えんというわけではないぞ? 何事にも例外はあるからな」
オーゼンのもっともな指摘に、ニックは笑ってそう答える。魔力視のできないニックには確かに精霊を見ることはできないが、精霊の方が姿を見せようとしているならば話は別だ。
「誰でも見ることのできる精霊としてもっとも有名なのは、ネーヨ族だな。役立たずの精霊などと呼ばれているが、あれが誰にでも見えるからこそこの世界に精霊の存在を疑う者がいないとも言えるからな」
『ネーヨ族? そんなもの我は……いや、一度だけ見た、か?』
オーゼンがか細い記憶の糸を辿ると、筋肉の町でそんなものを見たような気がしなくもない。ただその記憶は乱舞する筋肉の嵐に埋もれており、正直なところあまり思い出したくない。
「まあ会おうと思って会えるものでもないからな。とはいえ普通に暮らしていれば数年に一度くらいは見る機会のある相手だ。焦らずともそのうちまた会う機会もあるであろう」
『そうか、ではその機会を楽しみにしておこう……っと、それはそれとして、もう一度問うが貴様は一体何を探しているのだ? 今の文脈からすると、そのネーヨ族とやらを探しているわけではないのだろう?』
「それはそうだ。儂が今探しているのは……む!?」
と、そこで突如言葉を切ったニックが、真剣な顔をしてクンクンと鼻を効かせる。そこから慎重に歩を進めていくと、やがて辿り着いたのは乱立する木々の隙間に存在する、直径一メートルほどの小さな泉……というか水たまりであった。
『何だこれは? 我には単なる水たまり……いや、違う?』
ぱっと見はただの水たまりであったが、魔力を飛ばして調べてみるとその底が随分と深い。見えている表面積こそ小さいのに水深はニックの巨体が頭まで沈んでもなお足りぬほどであり、おまけに自ら妙な魔力が発せられているのがわかる。
『これは……転移陣に近いか? だが生きている者を跳ばせる程の魔力は無さそうだな』
何かを転移させようとするとき、跳ばすものの質量や跳ばす距離も消費魔力を決める重要な要素ではあるが、何よりも大きいのは「その対象が生体であるか否か」である。石ころのような安定した無機物なら少量の魔力でも跳ばせるが、血の滴る生肉となれば同質量でも消費魔力は数倍となり、それが「生きている鼠」のようなものになると更に数十倍となる。
その観点からみると、目の前の水たまりはおおよそ二〇キロくらいまでの無機物ならば転移させられそうだが、生きているものとなると小さな虫でギリギリ……という感じであった。
「お主が違和感を感じるのであれば、間違いないな。では……」
財布から金貨を一枚取り出し、ニックの太い指が弾く。それがポチャンと水たまりの中に沈むと、同時に水面に金色の波が立ち、そこから全身が水で構成された美しい少女が姿を現した。
『偉大なる英雄よ、よくぞこの清き泉を見つけ出しました。今こそ貴方にこの剣を授けましょう』
水の少女がそう言うと、足下の水面から黄金に輝く剣がゆっくりと浮かび上がってくる。だがニックはそれを完全に無視して、少女の足下の水を革袋の中に汲み始める。
『あ、あの?』
『おい貴様よ、一体何をしているのだ?』
「何と言われても、見ての通り水を汲んでいるのだが?」
『それはわかるが、何故水を汲んでいるのだと聞いているのだ! というか、あの水の娘と剣は何だ!? 何故完全に無視しているのだ!?』
『そ、そうです偉大なる英雄よ! 私の元に辿り着いた貴方に、私の祝福と英雄の剣を――』
流石に精霊だけあって、オーゼンの言葉が聞こえるらしい泉の精霊が改めてそう言葉を紡ぐ。だがニックの態度も行動も何ら変わるものではない。
「ああ、これはあれだ。悪戯だ。泉の精霊に剣を授けられた英雄が活躍するという有名な話があるのだが、おそらくはそれを真似ているのだろう。あれを手にしようとすると泉のなかに引きずり込まれるのだ」
『む、そうなのか? そんなに凶悪な存在には見えぬが』
『そうです! そんなことしません! 私は清らかな泉の精で、清き心の持ち主に聖なる剣を授けるために生み出されたのです!』
オーゼンの疑問に同調するように、自称泉の精霊がプンスコと頬を膨らませ怒りを露わにする。それはなかなかに愛らしい姿だが、ニックは苦笑しながら話を続けていく。
「ははは、確かに基本的にはずぶ濡れになる程度で終わる他愛もない悪戯だが、こういう森の奥に来るような者は大抵武装しているからな。単独行動している新人冒険者が鎧を着たまま頭から突っ込んだりすると、最悪の場合溺れて死ぬこともある。
まあそこまでいくのはよほど気が抜けている者だけだし、精霊となると倒そうと思っても倒せるわけではないから、この精霊が出現しそうな場所の周囲にある冒険者ギルドでだけ、少々注意喚起があるくらいだな……っと、こんなものか」
十分な量の水を汲み終えたニックが、革袋に栓をしてからその場で立ち上がる。すると九〇センチほどの身長しか無い泉の精霊がニックの顔にすがるような視線を投げかける。
『うぅ、酷いです。私の事を呼び出しておいて、剣を受け取ってももらえず……』
「ふむん? そこまで言うなら受け取ってもいいが……」
『本当ですか!? なら――』
「っと、このように剣が黄金のように輝いて見えるのは、精霊の力らしい。実際の剣はこんな感じだ」
『……え? えええ!?』
パッと表情を輝かせた泉の精霊だったが、次の瞬間ニックの手の中にみすぼらしい剣があることに気づき、驚愕の声をあげる。
『な、なんで!? どうして!? 返して! それ返してよぉ!』
「わかったわかった。返してやるが、あまり悪さをしてはいかんぞ?」
子供のような大きさの精霊に涙目になって訴えられては、ニックとしても応えざるを得ない。ボロボロの剣を差し出すと、泉の精霊はそれを素早く奪い取り、ギュッと両手で抱え込むとニックの顔を思いきり睨み付けた。
『意地悪な人間、嫌い! べーっだ! 禿げろ!』
舌を出して捨て台詞を残すと、泉の精霊が剣と一緒に姿を消す。それと同時に水面の輝きが消え、残ったのはただの深い水たまりであった。
『……何だったのだ今のは?』
「だから精霊であろう? あの精霊が現れている状態の水は特別らしくてな。これを使うと最高に美味い野菜が育つのだ!」
『ああ、そうなのか……』
今から野菜を育てるのか? という疑問を、オーゼンはもう突っ込まない。ここ数日の出来事はオーゼンにとって衝撃の連続であり、もはや何でもありな気がしてしまっているのだ。
『では、次こそ畑に行くのか?』
「何を言うか! 水だけあっても種が無ければ野菜が収穫できるわけないであろう!」
『……そうだな。何もかも貴様の言う通りだ。では種を取りに行くのか……何処で手に入れるのだ? 地の底か? それとも天の頂か?』
「何故そんなところに野菜の種があるのだ? 普通に知り合いの農夫に分けてもらうつもりだが」
『…………もう貴様の考えている事が一切理解できん! 好きにしろ! 何もかも好きにすればいいのだ!』
「お、おぅ!? どうしたのだオーゼン?」
『知らん! 我は何も知らんぞ!』
何故か突然機嫌を損ねたオーゼンに、ニックはどうしていいかわからず困惑の表情を浮かべつつも、とりあえず次なる目的に向け移動を開始するのであった。





