父、美食に目覚める
「…………美味いものが食いたいな」
それは、本当にある日突然のことだった。いつも通り野営をしていたニックが魔法の肉焼き器で焼いたこんがり肉を食べている最中、いきなりそんなことを口走ったのだ。
『何だ唐突に。美味いものなどいつでも食っているであろう?』
訳のわからないことを口走ったニックに、オーゼンが怪訝そうに声をかける。だがそれに答えるニックの顔に浮かぶのは、自分でもよくわからない困惑だ。
「いや、そうなのだがそうではないというか……とにかく最高に美味いものが食いたくなったのだ!」
『なったのだ! と言われてもなぁ。ならば明日にでも町に行って、適当な高級店にでも入ればいいのではないか?』
普通の冒険者であれば町への移動に時間もかかるだろうし、食べれば終わってしまう飲食物に大金をかけるのは難しい。だがニックの足なら世界の端だろうとあっという間に辿り着けるし、金など店の食材を全て食い尽くしても問題ないほど有り余っている。
故に好きにすればいいと思うオーゼンだったが、ニックの顔から困惑が消えることは無い。
「うーむ。どうも今回はそういうのではないのだ。もっとこう、大自然の味というか……最高の素材を堪能したいというか、そういうのなのだ!」
『そうなのか? その違いからして我には理解できんのだが、急ぐ用事があるわけでもなし、貴様の好きにすればいいだろう』
「お、そうか? ではすまんが少し付き合ってくれ」
オーゼンの同意を得られて、ニックはやっと嬉しそうに微笑む。その顔を見ればオーゼンもまた少しくらいの寄り道もいいかと考えたのだが、事はそれほど単純には運ばない。
「よし、ではまず……うむ、まずはやはり肉だな。最高の肉が欲しい」
『肉か……最高の肉というと、以前貴様が肉の町で振る舞っていた、ルベライトオックスの肉か?』
「うむ。あれは実によい肉だが……今はもうちょっと野性味のある肉が食いたいな。調理法にしても、自然に拘ったものが理想だ。ということで、行くぞオーゼン!」
『むぅ? 何処へだ?』
「決まっておろう! 食材の調達にだ!」
言うが早いか、ニックが素早く準備を終えていた野営道具を片付け、夜の闇へと飛びだして行く。その足取りに迷いはなく、だからこそオーゼンは戸惑う。
『待て待て待て! 今からか!? 明日の朝になったら行けばよいではないか!』
「ははは、すまんが我慢できぬのだ! それにアレを狩るならば、夜の方が都合がいいしな」
『アレ? 一体何を狩るつもりだ?』
「それはまあ、見てのお楽しみだ!」
オーゼンの問いにニヤリと笑い、月明かりに照らされた筋肉親父が地を駆ける。そうして辿り着いたのは、見渡す限りに何も無い荒野。妙にでこぼこした大地にはまばらに草が生えているだけで、近くには魔物どころか虫の気配すら殆ど無い。
『こんな所に何があるというのだ?』
「フフフ、見ておれ……そら、来るぞ!」
楽しげに笑うニックの足下から、不意にゴゴゴという地鳴りのような音と振動が伝わってくる。それは徐々に激しくなり、突如として地面が爆発するように噴き上がる。それと同時に土煙を纏って姿を現したのは、見上げるほどに巨大なナニカ。
『何だアレは!?』
「あれが儂が目をつけた獲物、プライムワームだ! そぉれ!」
地面からにょろりと体を突き出した。五メートル近い胴回りの巨大なミミズ。そんなプライムワームをむんずと掴むと、ニックが力任せにその体を大地から引き抜いた。
そんな暴挙に、プライムワームは全身をのたうち回らせ抵抗する。並の人間ならばその質量に押し潰されて終わりだが、ニックの巨体を押し潰すにはまったくもって力が足りない。
「こら、暴れるな! フンッ!」
単なる虫であるミミズとは違い、プライムワームは歴とした魔物だ。それ故にその胎内には魔石があり、ニックはプライムワームの体を外から締め上げ、分厚い筋肉に守られた魔石を外から砕いた。その瞬間プライムワームはぐったりと倒れ伏し、大地を食らい尽くす凶悪な魔物はあっさりとその生涯を終えることとなった。
「ハッハー! よしよし、上手くいったぞ!」
『うむ、相変わらず見事な手並みだが……これが最高の肉なのか?』
「ん? プライムワームも不味くはないが、こいつは餌だ。これを使って更に別の魔物を釣り上げるのだ!」
『そ、そうか。ということは……』
「ああ、次に行くぞ!」
『なっ!? 待て、また高速移動を……あっ』
プライムワームを魔法の鞄にしまい込むと、オーゼンが抗議の言葉を上げる間もなく再びニックが走り出す。そうして次は海に出たニックはワームを餌に巨大な魚を釣り上げ、更にはその魚の切り身を餌にして魔境の奥地にてこれまた大きな熊を狩り、最後にその手のひらを使っておびき出したのが、意外にも小さな……正確には一般的な大きさの……猪であった。
「ふぅ、ようやくだな」
『まったく、その猪一匹を狩るのにどれだけの手間をかけたのだ!? というか、それは一体何なのだ?』
「うむ。こいつはこのガッチャの森にだけ生息する猪でな。今の手段で呼び出さない場合は、一万匹を狩り尽くしてもまだ出会えぬかも知れぬという幻の猪なのだ」
『一万!? それは……凄いな』
「ああ、凄いぞ。この森はどういうわけかどれだけ狩っても獲物が尽きない代わりに供物を捧げねば絶対に獲物が出てこないという不思議な場所でな。普通の肉などを捧げても一応出てくることはあるらしいのだが、ここで延々と獲物を狩ってはその肉を捧げ、こいつが出るまでやり直し続けるというのはあまり不毛であろう?」
『……うむ、そうか。それがつまりその一万匹に一匹ということか?』
「一応そうだと言われているが、少なくとも儂は試したことがないし、実際にこの猪を引き当てられた者を見たこともない。確か前に猪を引き当てられたのは、二〇〇年か三〇〇年くらい前だったはずだ」
『そうなのか……ん? ところで夜に拘った理由はなんだ?』
「ああ、この森は昼間になると混むのだ。今言ったとおり、普通の肉を捧げても獲物は出るし、この猪……スーパーシークレットボアほどではなくても、高額で売れる獲物は稀にだが出る。故にそれを狙った狩人が朝からずっとここに来ては肉を捧げて獲物を呼び出すというのがこのガッチャの森の日常なのだ」
『なんとも不毛な地だな。一度や二度ならともかく、通い詰めるくらいならその時間で得た獲物を普通に売りさばけば、よほど安定した生活を送れるであろうに』
「ははは。考え方は人それぞれだからな。では肉も手に入ったことだし、次は火山に行くぞ! 以前に聞いた話で、どうもマグマの熱で肉を焼くと美味くなるらしいからな!」
『今度は火山か……ここまで来たら付き合おう』
楽しげに語るニックに対し、オーゼンは苦笑するように答える。そうして二人が辿り着いた火山にて、ニックがスーパーシークレットボアを捌いて最高の肉を切り出し、いざ焼いて食べようとしたところに襲ってきたのが件の竜であり……その出会いはどちらにとっても最悪だったと言えることだろう。
「ん? どうしたオーゼン?」
『いや、ちょっとこれまでのことを思い出していただけだ。で? 次は野菜と言うことだったが、何処かの畑にでも行くのか? それとも森か?』
ニックに名を呼ばれ、回想に耽っていたオーゼンの意識が現実へと戻ってくる。そうして問うたオーゼンに、ニックはまたもニヤリと笑う。
「わかっておらんなオーゼン。最高の野菜と言えば、最初に目指すのは精霊の泉であろう!」
『……うむ。確かに我にはサッパリわからんな』
自分を知の探求者であると思っていたオーゼンだったが、この時ばかりは「理解する」という意識を秒で捨て去るのだった。





