父、使う
「よし、では慎重に近づくぞ?」
小声でそう呟いてから、ニックがこっそりと金属の柱の方へと近づいていく。
『初心者講習の時にも思ったが、貴様の巨体がこれだけ静かに移動するのは何というか……若干気持ち悪いな』
オーゼンのあんまりな感想に突っ込みたい気持ちを必死で抑え、ニックは無言のまま滑るように砂地の上を移動する。そのまま何事もなく柱のところまでたどり着いたが、問題はここからだ。
(ふむ、とりあえず観察か? ……お?)
まずは外周を確認しようと柱の周囲をゆっくりと回ってみると、丁度ニック達がやってきた反対側のところで柱の外壁がぽっかりと口を開け、内部に空洞が見えた。
(むーん? 何だこれは? いかにも中に入ってくれと言わんばかりだが……)
外からでも見えるその内部は、高さ二メートル、幅一メートルほどの円柱の空間だ。ちょうど人が一人立って入るのに適した大きさに見える。
『これは……自動昇降機か?』
「えれ……何だ?」
一周回って特に人や魔物がいるわけでもなさそうだと判断し、ニックが普通にオーゼンに問いかける。
『高低差のある建物内を移動する魔法道具だな。あの床の部分が浮力制御の魔法によって上下するようにできているのだ。短距離であれば転移陣よりずっと魔力効率がよいので民間施設ではよく見かけたが……何故こんなところに?』
「それはわからんが、つまりこれは古代遺跡……いや、アトラガルドの遺跡と見ていいわけか?」
『我の知っている様式とは違う故断定はできんが、可能性としては高いな』
「それは是が非でも探索してみたいが……ん?」
不意に背後に気配を感じ、ニックが素早く振り返る。するとそこには赤茶けた体を持つ異形の存在が立っていた。
「ギギギ……」
『魔物か?』
「わからん」
その異形……ニックの腰まで程度の身長をもつ、直立する蟻としか表現できないような存在は、特に襲いかかってくることもなくニックのことをじっと見ている。
「ギギギ、ギッギギギ……」
「何だ? 何がしたい? ぬおっ!?」
不意に、立ち蟻とでも言うべき者がニックに向かって飛びかかってきた。その動きに反射的に拳を打ち出そうとしてしまい、ニックは必死にその動きをとめる。
「ギッギギ! ギッギギ!」
『……何だこれは?』
「わからん。わからんが……どうやら敵意はないようだな」
巨大な蟻が、ニックの体に抱きついて顔をすり寄せる。かと思えばニックから離れ、今度は嬉しそうに周囲を走り出した。
「ギッギギ! ギギ、ギギギ!」
「今度は何だ? そこに入れというのか?」
そうかと思うと、今度は立ち蟻がニックの腕を抱くようにして掴み、先ほどの金属の円柱の中に入るように促してくる。
「ギッギギ! ギギギーギ!」
「わかったわかった! 入ってやるから少し待て! その細い腕……足? ではちぎれてしまうぞ?」
『いいのか? 案外貴様を巣に呼び込んで餌にするつもりかも知れんぞ?』
脅すように言うオーゼンに、しかしニックは笑って答える。
「なに、その時は正体不明の魔物として殲滅してしまえばよいではないか。流石に人を襲うようであれば放置はできんしな」
『そうか。ならば我は何も言うまい。貴様ならこの程度の相手など、万を数えようと脅威ではないだろうからな』
「そういうことだ。ではいくとするか」
「ギッギギギー!」
ご機嫌な立ち蟻と共に、ニックは円筒の中へと入る。ただしニックの巨体にはその空間は明らかに狭く、背を縮こめたうえに体の前で立ち蟻を抱きしめるようにしなければならなかったが。
「ギギ!」
「おお!?」
二人が中に入ったところで、立ち蟻の手が円筒の中のボタンを押す。するとシュンッという音と共に開いていた正面の壁が閉まり、ニックの体をフワッと浮くような感覚が襲った。
『下に降りている……つまりこの蟻には最低限この遺跡を利用できるだけの知能があるということか。全く以て意味がわからん……』
あまりの不可解さに、オーゼンは無いはずの頭を抱えた。ニックが体の前で抱きかかえているのは明らかに蟻であり、通常の蟻との違いといえば大きさの他には直立に耐えるために三対の足のうち後ろ足だけが通常の蟻より太く強靱になっていることと、直立姿勢で視界を確保するために頭の角度が変わっていることくらいだ。
つまり、手はあくまで蟻の手で、これでは物を掴むことすらできないだろう。文明の発達には道具の活用が必要不可欠であり、この手で知恵を身につけるほどの存在になり得た理由がオーゼンには全く理解出来なかった。
「まあ、とりあえずこのままどこぞへ着けば何かわかるかも知れんのではないか?」
『そうだな。それに期待しておこう』
「ギギ?」
独り言を言っているようにしか見えないニックを不思議に思ったのか、立ち蟻が首を傾げる。
「ん? ああ、こっちの話だ。気にするな」
「ギー」
『むぅ。此奴やはり貴様の言葉を理解しているのではないか?』
「かも知れんな。だがまあ、人の言葉を話せなくとも人の意思を理解する生き物はそれ程珍しくないだろう?」
『……言われてみればそうだな』
ニックの言葉に、オーゼンは思わず納得する。言葉を直接理解するわけではなくても、躾けたり反復することで音と意味を結びつけて理解する動物は特別珍しくはない。また人の言葉とは違っても、遠吠えや羽音、あるいはフェロモンなどで同族同士での意思疎通を可能とする動物も多数いる。
『いや、しかしそれでも初対面の貴様と意思疎通できるとは……』
「お、着いたようだぞ」
一瞬の納得とそこから湧き上がる更なる疑問に懊悩するオーゼンだったが、そんな時間も目的地への到着を告げる澄んだ鈴のような音共に終了する。ニックの前のドアが再びシュンッという音と共に開くと、そこにはほのかな緑色の光によって照らし出された空間が広がっていた。
「これは……まさか『百練の迷宮』か?」
『いや、違うな。百練の迷宮は、全て共通の素材を使って作られておるが、ここの壁や床に使われているのは全く別の金属だ。だが何だ? 元になった金属は推測できるが、我が知るより高度な加工技術が用いられている……?』
「ギギー!」
その光景に圧倒されるニックと、目先が切り替わってなお推測モードから切り替わらないオーゼン。そんな二人を差し置いて、立ち蟻が部屋の奥へと歩いていく。
「ギギー! ギギー!」
『何だ? 呼んでいるのか?』
「だろうなぁ。ま、行ってみればわかるであろう」
少し進んだところで立ち止まり、振り返って鳴き声をあげる立ち蟻に近づくニック。そのまま立ち蟻の背後をついていくと、大きな扉の向こう側の部屋にたどり着いた。
「ギギー! ギギー!」
「これは……!?」
『何だこれは……!?』
「ギ、ギギ……」
そこにはニックよりも更に大きな蟻が、壁にもたれかかるようにして存在していた。その巨体に頬をすり寄せる立ち蟻に対し、巨大な蟻がニックに向けてその顔を動かす。
「ギギ、ギギギ、ギーギギギ……」
「おいオーゼン。明らかに何か話しかけられている感じなのだが、お主わからぬか?」
『無茶を言うな。わかっていたらとっくに通訳しておるわ!』
「だろうなぁ。だがこれを捨て置くのはあまりに気がかりすぎる……よし、ここは使うか」
ほとんど迷うことのなかったニックのその決断に、オーゼンは驚きの声をあげる。
『いいのか? 今の時代に果たしてどれだけ百練の迷宮が生きているのかもわからぬ。今手にしているそれが最後の力となるかも知れんのだぞ?』
「構わぬ。大枚をはたいて買った回復薬を大事にし過ぎて死ぬ冒険者というのは、よくある教訓だからな」
言ってニックは苦笑する。切り札とはみだりに使うべきではないが、必要な時に温存するのは単なる愚か者だ。
『貴様がそう言うなら、我に否やはない。最初の時のようなことはないだろうしな……では、いくぞ?
意思を描いて言霊を呼べ、されば望む力が与えられん! 唱えよ、「王能百式 王の万言」!』
「わかった! 『王能百式 王の万言』!」
ニックが言霊を唱えると、ニックの全身を光が包む。二回目以降は別に光ったりはしないのだが、初回だけは必ず光るらしい。
「……どうだ?」
『なるほど、こうなるのか』
そうして光が収まった時、ニックの耳に白磁の如き柔らかな光沢を放つ金属製の板のようなものが装着されていた。





