父、語り継がれる
「「「ウワァァァァァァァ!!!」」」
帰る途中に通常の森の主の討伐後を通ったニック達だったが、流石にそこにはもう誰もいなかった。ならばと近いヌメル族の集落に戻ると、一行を出迎えたのは鼓膜が破れるのではないかというほどの大歓声。ニック達が最初に寄るのはこっちだろうと、連絡を受けたネヴァール族までヌメル族の集落に滞在していたからだ。
「英雄、帰ってきた!」
「森の主倒した英雄! クサルの大地から戻ってきた!」
「ネヴァールの英雄、ナットゥ万歳! ヌメルの英雄、メクァブ万歳! 金テカの英雄、ニック万歳!」
「ははは、これはまた熱烈な歓迎だな」
全ての住民にここまで激しく歓迎されるのはニックとしても初めてのことだったので、微妙な照れ笑いを浮かべつつ皆の声に手を振って応える。すると集団の中から歩み出てきたのは、ヌメル族の長老モズクだ。
「ばば様!」
「よく戻ったねぇ、メクァブ。それにナットゥとニックも。お前達の活躍、戦士達から聞いた。森の主倒した戦士、皆英雄。なかでもニック! ちょっとこっちに来る」
「なんですかな?」
モズクの呼びかけに応えるように、ニックは数歩前に出てモズクの前に跪く。するとモズクが枯れ木のような腕を伸ばし、ニックの頬をそっと挟んだ。
「ニック、約束守ってくれた。戦士達、誰も死んでない。あぁ、あぁ! こんなに嬉しいことはない! 金テカのニック、真の戦士!」
「ふふふ、ばば様。それだけ違う! 金テカのニック、もっと凄いことした!」
「ん? どういうことだい?」
「今からそれ話す! 皆聞け! 太陽の戦士の英雄譚!」
何故か得意げな顔をするメクァブが、クサルの大地で起こったことを全員に話していく。大地が割れて巨大な湖が出現し、その奥に眠る真なる森の主の存在を見つけ、それにたった一人で挑んだニックが打ち倒し、黄金の衣を纏って空高くへ舞い上がった……これまで騒いでいた者達が誰一人口を開くことなくその話に聞き入り、そしてメクァブが最後まで語り終えたところで、モズクがジッとニックの目を見る。
「今の話、本当かぃ? もう森の主、現れないのかぃ?」
「ええ、そうですな」
ここに来るまでに念のためかなり集中して気配を探ってみたが、あれに匹敵するような魔物の存在はニックには感じ取れなかった。とは言えあくまで気配を探っただけなのでニックの探知を逃れるような魔物がいれば話は別だが、そんなものがいるならばとっくにこの森はその魔物に制圧されていることだろう。
そして、あれほど巨大かつ強大なクサイムが誕生するには、奇跡のような偶然が長い年月と共に積み重ならなければならない。オーゼンの分析と見解も踏まえれば、あれの再来に怯えて暮らすのは空から星が降ってくるのを心配するのと変わらないとのことで……つまりは心配いらないということだ。
「流石に絶対とまでは言い切れませんが、少なくともあの場所……クサルの大地から同じように森の主が現れることはないでしょう。きっちり倒しておきましたからな」
笑顔でそう断言するニックに、モズクの顔を覆い尽くしていた皺が蕩けるように垂れ下がる。そうしてできた深い溝を止めどなく涙が伝い落ち、泣きながら笑うその顔には万感の思いが宿る。
「そうか、そうか……あぁぁぁぁ……っ! 終わった、終わった! これでもう戦士達死なない! ジュンサイお姉ちゃん! モロゥ! ヘイヤー! みんなの犠牲、無駄じゃなかった!」
ニックの頬に添えられた手に、老いたモズクの渾身の力が込められる。それに逆らうこと無くニックが顔を差し出すと、モズクは力一杯ニックの頭を抱きしめた。
「あぁ、ニック! 外から来た太陽の戦士! 私の命、お前に会うために長らえていた! お前のおかげで、向こうで皆に終わりを告げられる! ありがとう、ありがとう! 皆の死を見送った婆の一〇〇年に意味をくれて、本当にありがとう……っ!」
その抱擁を、ニックは黙って受け入れた。そうしてしばらく待つと思いの丈を吐き出し終えたモズクの腕から力が抜け、解放されたニックが頭をあげれば、そこにはネヴァール族の長老トロロゥの姿がある。
「金テカのニック、お前本当に凄い戦士。我が兄の無念も、これで晴れた」
「長老殿……」
「森の主、もう出ない。それわかって、ようやく兄と……過去と向き合うこと、できた。金テカのニック、お前こそ我らの太陽。外から昇って我らを照らし、全ての問題解決してくれた!
さあ、皆祝え! 歌え! 踊れ! 騒げ! 太陽の戦士に相応しい宴、開け! 我らネヴァール族の誇りで、太陽の戦士をネバネバにするのだ!」
「我が愛し子よ、ヌメル族の者達よ! 我らの未来に安寧をもたらした太陽の戦士に、心からの祝福を! 我らヌメル族の誇りで、太陽の戦士をヌメヌメにするんだよぉ!」
「「「オォォォォォォォォ!!!」」」
二人の長老の言葉と共に、再び湧き上がる天を裂くほどの大歓声。七日七晩続いたその宴はニックが立ち去った後も毎年祝われることとなり、この密林に一つの伝説が刻まれることになる。
とはいえ、それは未来の話。今のニックは皆に惜しまれ手を引かれ、あるいは胤をつけてくれと懇願されるのをスルリとかわして新たな旅路についていく。吹き抜ける秋の風は丸出しの尻を優しく撫で……ニックが再び文明人らしく服を着たのは、街道で出会った旅人に「えっと、その……何で裸なんですか?」と猛烈に顔をしかめられた時だったという。
長い間前人未踏とされていた、円環山脈トーレンワ。魔導船の普及により空の旅が許されるようになるまでずっと謎であったその内側には、深い密林が広がっていた。ソラカラコイヤ大森林と名付けられたそこには不思議な力を持つ原住民が住んでおり、皮膚から糸状に伸びて粘つく粘液を出すネヴァール族と、強烈なぬめりを帯びた汗を自在に分泌するヌメル族の二種族が確認されている。
彼らの生活は自身の能力を生かしたうえで素手で狩りをするという極めて原始的なもので、金属加工の技術は持ち合わせていない。また太陽信仰に近い独自の宗教を成立させていたようで、彼らが聖地として崇めた場所が、広大なソラカラコイヤ大森林の二割を占める巨大な黄金の湖である。
無論、本当に黄金が溶けて湖になっているわけではなく、豊かな水を湛える湖底に堆積した金色の結晶が空からの光を反射して湖面を黄金に輝かせるのだ。
そしてその湖の中央には、原住民達の手によって作られた巨大な戦士の像が立っている。太陽の象徴である黄金の獅子頭を股間につけた全裸の男性像は「キンテカの英雄」と呼ばれて信仰の対象とされているようだったが、原住民がこの地を訪れる度に糸を巻き付けてネバネバにしたりぬるぬるの粘液を塗りつけたりした結果、長い年月を経て摩耗した英雄像はすっかり精緻さを失っており、そこから「キンテカの英雄」の素顔をうかがい知るのは相当に難しい。
だというのに、外部からやってきた技術者の「この像を復元したい」という申し出を彼らは決して受け入れなかった。「この姿こそ英雄の望んだ形。戦いを終わらせ丸くなった英雄に再び刃を入れるなど、森の民全ての恥」と豪語し、一切取り合うことはなかったというのは歴史家の間では有名な話だ。「神聖なので触れるべからず」というのならよくある話だが、「この姿こそが理想」というのが実に興味深い。引き続きの調査結果が待たれるところだ。
なお、彼らはトーレンワ山脈の外に連れ出されることも強く拒否していたが、ある時ネヴァール族の戦士だという男が単独でのトーレンワ山脈踏破を成し遂げると人が変わったように積極的に外部との交流を試みるようになり、その後は世界の至る所でネヴァール族やヌメル族を見ることができるようになる。
その結果彼らの血は加速度的に薄れていき、今では手からほんの少しねばっとした糸を出したり、人より僅かに汗がぬめる程度の者が殆どになったようだが、自分達の力が失われていくことを「平和な証拠」だと喜ぶという変わった価値観を有しているようで、祖先から受け継いだ力が無くなる事に対する悲観的な思いは無いらしい。
平和を愛し、温厚な性格で世界に溶け込んだかつての原始民族。そんな彼らに唯一欠点があるとすれば、どういうわけか体中のムダ毛をこれでもかと剃り上げ、常にテカテカの状態を維持することに強い拘りを示すことくらいだろう……尻の毛くらいは剃り残しがあっても見逃して欲しいものである。
ドゥ・ジャック著 『未開地探訪 ~驚きに満ちる世界~』 より引用





