父、立ち上がる
「何だこれ……!? クサルの大地、消えた!?」
「金テカのニック、地面殴った。そしたら金色の湖、生まれた。金テカのニック、やっぱり神か!?」
「ははは、神ではないと言ったではないか。これは儂が作ったわけではない。元々この地面の下にあったのだ。そしてこれこそが、おそらくは森の主の発生源であろう」
「これが……? うっ!?」
ニックの言葉に湖に近づこうとしたナットゥが、そこから噴き上がってくる強烈な臭気に口を押さえて地面に転がる。
「ぐがっ!? これ、無理! 近づく、絶対無理!」
「この水、主の体液と同じ……? まさかこれが固まって、森の主生まれるか?」
「いや、流石にそれはないだろう。そうではなくて、その奥……湖の中だ」
「中……?」
ナットゥと違いヌメルの膜で守られているメクァブが、それでも顔をしかめながら濁った湖の中を目を細めて必死に見つめる。するとその中央に、何やら巨大ななにかが蠢いているように感じられた。
「何か、ある……?」
「うむ。あれこそが真なる森の主。その本体であろう」
直径一キロほどの丸い湖の中、その中央……と言うにはあまりにも広大すぎる範囲に浮かぶ丸い影。汚濁する黄金の湖に沈んでいたのは、その半分ほどの大きさを持つであろうあまりにも大きな『森の主』。
「てっきりクサイム達が長い年月をかけて寄り集まったのがあの特殊個体なのだと思っていたが、どうやら違ったようだ。あのデカブツが分裂した小さな欠片……その一部が地上にあがってきたのが、おそらくは『森の主』だったのであろうな」
「そんな……っ!?」
「あれが、本物の森の主…………」
ニックの言葉にメクァブと、メクァブに顔をヌメらされてようやく立ち直ったナットゥが愕然とした表情で呟く。今まで自分達が死力を尽くして倒してきた敵が真の敵のほんの一部でしかないと言われれば、その衝撃はどれほどのものか。
「なら……あれ倒せば、もう森の主現れないか……?」
「ナットゥ?」
そしてその衝撃のなか、ナットゥがまっすぐに巨大な主を見つめて、小さくそう呟く。
「ナットゥ、お前何言ってる? あれ倒す無理。さっきまでと空気、違う。私のヌメルの膜でも、もうここから進めない」
「わかってる。でも、あれ倒せば全部終わる。俺の子供、子供の子供、みんなみんな、もう森の主に怯えることなく暮らせる」
「馬鹿! ナットゥ、ばば様の言葉忘れたか!? 誇りと驕り違う! 絶対勝てない敵に挑む、ただの驕り!」
ジッと前を見たまま言うナットゥに、メクァブがそう食ってかかる。だがナットゥは決意の籠もった表情で小さく首を横に振る。
「確かにそうかも知れない。俺、あの主倒せると思ってない。戦えば間違いなく死ぬ……いや、そもそも近づくことすら、きっとできない」
「なら、何でそんなこと言う!?」
メクァブの言葉に、ナットゥは手にした槍に視線を落とす。ネヴァール族最強の戦士の証であり、大戦士トリモチが残した、一族の粘りの結晶。
「俺今日、この槍で森の主倒した。でもそうなるまで、きっと凄く長い時間かかった。敵わないとわかっていても、祖先の戦士達森の主に立ち向かった。そうして沢山の犠牲の果てに、大戦士トリモチが森の主倒した。
だから、今度は俺の番。俺が最初の一人になる。お前達が見届けてくれたなら、俺の死、無駄じゃない。そこから方法考えて、いつかきっとあの巨大な主、倒す者現れる!」
「ナットゥ。お前……っ!」
覚悟を決めた戦士に対し、メクァブはそれ以上言葉を持たない。ただ無言でナットゥの全身を擦りまくり、自分にできる最高にヌメヌメな状態へと仕上げていく。そうしてメクァブが一歩下がると、ナットゥは笑顔で頷いてから槍を掲げて高らかに叫ぶ。
「見届けてくれ! 伝えてくれ! 俺はネヴァール族最強の戦士、ナットゥ! 真なる主に挑む最初の戦士! 征くぞ!」
気合いを込めて、ナットゥが大地を蹴る。大きく一歩踏み込めば、塗られていたヌメルの膜があっという間に消えていく。
「まだだ!」
二歩。ヌメルの膜は力を失い、全身が焼けるように痛い。
「まだ……だ……!」
三歩。体からフッと痛みが消え、同時に全身の力が抜けていく。
(ま……だ……だ……っ!)
四歩。意識が遠くなる。風の音が聞こえなくなり、代わりに自分の鼓動がやけにはっきりと耳を震わせる。
(あ……と……いっ…………ぽ…………っ!!!)
五歩。もう自分が立っているのかどうかすらわからない。気づけば目の前は暗くなっており、もう何も見えない。何も聞こえない。
(…………すまん、ヒキワリィ)
心だけは、前のめりに。五歩が限界だったという事実が、後に続く戦士の役に立つことを願い、ナットゥの命はそこで――――終わらない。
「……………………あれ?」
「ふむ、気づいたなようだな」
ふと目を覚ましたナットゥの顔の前には、ニッコリと笑うニックの顔があった。どうやら地面に横たえられているようだが、まるで夢を見ていたかのように体には何の痛みもない。
「……何で?」
「ニック、また神の薬使った。ナットゥ生きてる、奇跡の中の奇跡」
「そう、か……というか、ニック、俺を助けて戻ったのか!?」
「そうだ。何と言うか……迷っていたのだ」
自分が死を覚悟した場所から自分を連れて戻ることができる。そんなニックの強靱さに改めて驚くナットゥだったが、対するニックの顔はどうにも渋い。
「迷った? 俺助けに来ることにか? だったら当然。あんなところ、来ない方が普通」
「いや、そうではない。お主の戦士としての覚悟は、森の主と戦った時に既にしっかり見せてもらっておったのだ。だから今回はさっさと儂が出てしまってもよかったのだが……」
「……ニック?」
「眩しかったのだ。己の弱さを自覚し、それでも続く者のために死地へと飛び込む戦士の姿が、たまらないほどにな。故に見蕩れて助けるのが遅れてしまった。許せ」
「ニック……」
そっとその場で立ち上がると、ニックはナットゥ達に背を向ける。魔鋼の如く引き締まった丸出しの尻は、戦士の憧れを体現するかのようにカチカチだ。
「なので、一つ謝罪しておこう。お主のその決死の覚悟は、誰にも引き継がれることなく、ここで終わる!」
「ど、どういうことだ?」
「金テカのニック、まさか……!?」
「そうだ。今この場で、儂があの主を倒す! 後顧の憂いなど一欠片すら残さぬように、完膚なきまでに叩き潰してくれる!」
あくまで客人としての立場を守っていたニックが、今この時遂に一人の戦士として立ち上がった。全身から漲る闘志はただそれだけで周囲に漂うよどんだ空気を吹き飛ばし、見慣れたはずの背中が何倍にも大きく見える。
「ということで、悪いなナットゥよ。あの獲物は儂がもらうぞ」
「ははは……強い者に従う、戦士の掟。金テカのニック、俺より強い。だから謝る必要、ない」
苦笑しながらそう言うと、ナットゥは手にした槍をニックに向かって放り投げる。
「これは?」
「持ってけ。ネヴァールの槍、主を倒すのにきっと必要。それに何より、その槍、ネヴァール族最強の戦士の証! 俺が認める! 金テカのニック、俺よりもネバネバ!
でも、忘れるな! 最初の戦士、この俺! そしてお前が……最後の戦士、なれ!」
振り返ること無く槍を受け取ったニックに、ナットゥが檄を飛ばす。それに槍を掲げて答えると、ニックは戦士達の想いを背に、黄金の湖へと一歩を踏み出した。





