密林の戦士達、立ち向かう
「クサイム? ニック、森の主知ってるか?」
ニックの口から漏れた小さな呟きに、すぐ側にいたナットゥが反応する。だがその反応こそがニックからすればあまりにも意外だ。
「知ってるもなにも、クサイムなど何処にでも……あー、いや、ひょっとしたら呼び方は違うのかも知れんが、とにかくアレの小さい奴なら、その辺に幾らでもいるであろう?」
「……? 俺、あんな魔物見たことない。おい、皆は主の小さいの、見たことあるか?」
ニックの問い掛けに不思議そうに首を傾げたナットゥが周囲の戦士達に小声で話しかけたが、その全員が首を横に振る。その返答に眉間に皺を寄せたニックが思い返してみると、確かにこの密林に入ってから、一度としてクサイムの姿を見たことがないことに思い至った。
(今まで気にしていなかったから気づかなかったが、これほど豊かな森にクサイムが存在しないなどあり得ん。だが誰も見た者がいないということは……それが集合変異したのが、つまりはアレということか?)
かつて関わった染色職人の兄弟の一件で、ニックはクサイムが分裂するだけではなく融合、あるいは合体するということを知っている。ならば森中に散らばって生息するはずのクサイムが何らかの理由で一カ所に集まり、その全てが一つになればあのくらいの大きさになるのではないか? そんな発想をニックが抱くなか、事態はドンドン動いていく。
「森の主、確認した! 皆、話した通りにする!」
ゆっくりと、だが確実に近づいてくる主の姿に、メクァブが振り返ってヌメル族の女戦士達に声をかける。それに全員が頷くのを確認すると、メクァブが勢いよく立ち上がり、声を張り上げた。
「よし! 戦士の半分、私に続け! 残りは待機だ! ヌメェェェェェェル!!!」
「「「ヌメェェェェェェル!!!」」」
雄叫びと共に、一〇人のヌメル族の戦士達が主の前へと躍り出る。立ちこめる刺激臭は呼吸するだけで内腑を焼かれそうだが、彼女達の体から分泌する「ヌメルの膜」がそれをしっかりと防いでくれる。
「食らえ!」
メクァブの拳が、森の主の体に直撃する。すると主の体にぷるんと波紋が広がり、それと同時にジュッという嫌な音が小さく響く。如何にヌメルの膜があるとはいえ、主の体から常時出続けている溶解液を完全に防ぐことは敵わない。
「うぉぉぉぉぉぉぉぉ!!! こっちだ! こっちを見ろ!」
だがそれに構うこと無く、メクァブは拳を乱打する。なお刃物を一切使わないのは、下手に主の体に切れ込みを入れてしまうとそこから噴き出す体液に対処ができず、大惨事を巻き起こした過去があったからだ。
「ヌメルの戦士、負けない! 森の主、引きつける!」
「ほらほら! こっち向け! やられっぱなし、悔しくないか!?」
そんなメクァブに後れを取るまいと、他のヌメルの戦士達も次々に主の体を殴りつける。それは主にとって何の痛手でもなかったが、それでも鬱陶しいと感じさせる程度には影響があった。
ぶるるーん!
「主、動いた! こっちに来る!」
「よし! ネヴァールの戦士達、準備はいいか!?」
「「「オーッ!!!」」」
ゆっくりと直進していた主の進路が、メクァブの方へと変わる。それを見てナットゥが声をあげれば、控えていたネヴァールの戦士達が体をヌメヌメにして気勢を上げる。残っていたヌメルの戦士達が、自身の体から出る「ヌメルの膜」をネヴァールの戦士達の体に塗りつけたのだ。
「気をつけろ。ヌメルの膜、主の力防ぐ。でも、少しだけ。ずっとは続かない」
「問題ない。あっという間に森の主、ネバネバにする! 戦士達よ、ネヴァールの網だ!」
「「「オーッ!!!」」」
ナットゥの号令を受け、ネヴァールの戦士達が二人一組となって互いの手を組み合わせ、よく揉み込んでから離れる。すると二人の掌を繋ぐように太くて長いネバネバの糸が伸び、その状態で戦士達が森の主を挟むように走り出す。
「ヌメルの戦士、しゃがめ!」
警告の声に従い、ヌメルの戦士達がその場でしゃがんで姿勢を低くする。その頭上をネヴァールの戦士が伸ばした糸が過ぎ去っていき、すぐに主の体に付着するとそのまま糸を巻き付けていく。
「ぐぅぅ、森の主、重い……っ!」
「負けるな! ネヴァールの戦士、心も体もネバネバ!!!」
できるだけきつく巻き付けられるよう、全力で糸を締め上げながら主の周りを二人の戦士が一周する。そうしてぐるりと回って元のところに戻ったところで、その手からプツリと糸が切り離された。
「ふぅぅ……やったぞ!」
「よし! 次、行け!」
「オーッ!」
そうしてヌメルの戦士が注意を引き、ネヴァールの戦士が糸を巻き付けるという作業が幾度となく繰り返される。やることとしては単純ではあるが、実際にそれを行うのは決して容易ではない。
「ぐあっ!?」
「リョメーン!?」
ギチギチと締め上げられていく主の体から、不意にピュッと体液が噴き出した。運悪くそれを浴びてしまったネヴァールの戦士の足が、ジュウジュウという音と共にあっという間に真っ赤に焼けただれていく。
「セローハン! 俺はいい! お前、行け!」
「くっ……待ってろ!」
動けなくなった相棒に、セローハンは歯を食いしばって全力を越えて走る。相棒が動けないならば、自分が倍走ればいい。その思いと覚悟を胸に、少しでも距離が縮まるように主のすぐ側を走り抜けていく。
「二人とも無理するな! すぐ助ける!」
「駄目だ! 来るな! これ、戦士の仕事!」
「そうだ! 俺達ネヴァールの戦士! 戦士の心はいつもネバネバ! 粘って粘って諦めない!」
主の体すれすれを走っているせいで、セローハンの体に塗られた「ヌメルの膜」はあっという間に効果を失い、ジワジワと体に焼けるような痛みが広がっていく。だがその間にも近くで動けないリョメーンの方へと主は進み続けている。
「アアアアァァァァァ!!!」
走る、走る、走り抜く。生涯でもっとも速く走ったセローハンは、一メートルの距離まで近づかれたリョメーンの元に辿り着く。そうして手の糸を切ると、リョメーンの腕を掴んで主から離れる方向にもう一度走り出す。
「逃げるぞ!」
「駄目だ、俺、置いてけ!」
「一緒だ!」
動けないリョメーンを引きずって、セローハンが走る。その間にもヌメルの戦士達によって主への攻撃が行われているが、理由があるのか気まぐれか、主の攻撃対象がリョメーン達から離れない。そして次の瞬間。
ぶるぶる……ぷにょーん!
「跳んだ!?」
直径五メートルという巨大な主の体が、あろうことか宙を舞った。這いずるのとは一線を画すその移動速度は、着地地点にリョメーン達を捕らえている。
「行けーっ!」
「リョメーン!? リョメーン!!!」
絶叫したリョメーンが、セローハンの体を力一杯突き飛ばす。何故か笑顔を浮かべている相棒の顔に頭上から黒い影が迫り、セローハンが心の底から戦友の名を叫んだ、まさにその時。
「ぬぅぅぅぅぅぅぅん!」
ズシンという衝撃と、ジュワァァという音。それらの発生源となったのは哀れな犠牲者ではなく、倒れ伏すリョメーンの前で主の巨体を受け止める筋肉親父。
「邪魔をして悪いが……お主の相手はこの儂だ!」
全てを溶かす森の主と抱き合いながら、ニックは不敵な笑みを浮かべてそう言い放った。





