父、先を見据える
つい最近訪ねたばかりということもあり、一行は特に問題も無くヌメル族の集落へと到着した。住民全員がピリピリとした緊張感を漂わせる余所の集落という落ち着かない環境に慣れる間もなく、今回もニックとナットゥが長老モズクの元へと通される。
「おお、よく来てくれたねぇ」
「当然。ネヴァール族、約束守る」
「金テカのニックも来てくれたんだねぇ。ありがとう」
「儂も約束しておりますからな。なに、森の主とやらがどれほど強敵であろうとも、見事退治してみせましょうぞ」
「ふふふ、金テカのニック、頼りになるねぇ。まずはそこ、座るといい」
連絡を送ってすぐに駆けつけてくれたことに、モズクはしわくちゃの顔を更にしわくちゃにして嬉しそうに笑う。そんなモズクの前にニック達が腰を下ろすと、最初に口を開いたのはナットゥだ。
「森の主、集落の近くに出た、聞いた。長老様、情報欲しい」
「いいよぉ。ヌメルの戦士、毎日森を駆け回って主の居場所、調べた。その結果ここから北に五日進んだところで、森の主見つけた。
主、ゆっくりとだけどこっちに移動してる。一月もすれば、ここまで来るはず」
「なら、急いだ方がいい。主の居る場所、森が死ぬ聞いた。早くしないと主倒しても、ヌメル族が生活できなくなる」
「そうだねぇ。でも、焦っては駄目。焦って死んだら、それこそ取り返しつかない。きちんと準備して、皆で行く。出発は……三日後」
「三日後……」
その言葉を、ナットゥは何とももどかしく感じる。自分達ならば今すぐにでも森の主討伐に出かけられると思っているからだ。
だが、そんなナットゥの内心を、深い皺の奥にあるモズクの瞳は見逃さない。
「戦士ナットゥ。私の言葉、覚えてるか?」
「……誇りと驕り、違う」
「そうだ。戦士ナットゥの勇敢さ、素晴らしい。私達のこと思ってくれる優しさ、素晴らしい。でも、自分達だけで主と戦えると思う、酷い驕り。先祖の失敗、無駄にしてはいけない。学ばねば死、無駄になる」
「……わかった。三日後だ」
ジッとモズクに見つめられ、ナットゥは拳を握りしめてそう答えると、天幕を出て連れてきた戦士達に指示を出す。そんななかニックだけは特に仕事を与えられることもなく、少し離れた場所で他の者達が忙しく準備をしている様子を見つめていた。
『何だ、随分と大人しいな。貴様ならば一人で出向いて森の主を倒してしまうかと思ったが』
「はは、そうもいくまい。確かにそうすれば一切の被害を出さずに事態を解決できる自信はあるが……それはこの者達から誇りと経験を奪うことになってしまうからな」
今この時、ニックが森の主を倒すのはおそらく容易い。だがそうなれば彼らは何の知識も経験も得ることなく、四〇年の安寧を迎えることになってしまう。そうなると次に主が現れた時、空白の八〇年は彼らが森の主と対峙する力を著しく低下させてしまうことだろう。
「五年か一〇年に一度というのであれば構わず倒してしまったかも知れんが、四〇年となると今経験させておかねば、もはや森の主とやらと対峙した者が誰一人生き残っていない可能性が出てしまう。そしてその時には儂はここにいないのだ。
ならば今ここで儂がでしゃばっては、今の彼らを救えてもその後に続く者達を救う結果にはなるまい」
『助けることが結果として被害を増やすということか。ままならぬものだな』
「まったくだ。復活する条件がわかり、かつそれを儂が何とかできるのであれば何も気にせずどうにかしてしまうのだが、それを調べるにしてもまずは倒してからだろう。
というわけだから、今回は儂は前に出過ぎず、基本的にはナットゥ達の補助に回るつもりだ。無論モズク殿と約束しておるから、怪我人はともかく死者は出ないように全力を尽くすがな」
流石に怪我一つさせないほど過保護に守ってしまうと、自分一人で戦うのと同じになってしまう。なのでその辺がニックの考える最大の妥協点であった。
『そうか。まあ、貴様の思うとおりにやればいい。我はただ、ここで貴様の行いを見守るだけだ』
「ふふふ、すっかり『金テカ』に慣れたようだな」
『流石にこれほど長期間この場所にいてはな。もはや笑う気にもならんわ』
ニヤリと笑って言うニックに、その股間からオーゼンの渋い声が答える。実際ネヴァール族の集落で服を脱いで以来オーゼンはずっとニックの股間におり、最初こそ感じていた違和感も今となってはまったくなく、相棒がほぼ裸であることも自分がその股間で光り輝いていることも、そろそろ日常として受け入れ始めている。
『不思議なものだ。あれほど嫌だと思っていたのに、今はもうこれが当たり前に感じられる。むしろ今後貴様が服を着ていたりしたら、そっちの方に違和感を感じそうだ』
「……実は儂もちょっとそんな気がしているのだが、流石にそれはな」
『まあ、うむ。とりあえず、犯罪者にならぬようには気をつけるべきだな』
ここでは裸が基本だが、この密林を出たあとで同じ格好をしていたら、普通に悲鳴をあげられることだろう。大事な部分はギリギリ隠しているのでそれだけで捕まったりはしないだろうが、少なくともまともな人間としては扱われなそうだ。
「さてと、では儂は適当に森で狩りでもしてくるか」
『む? 最初から思っていたのだが、準備は手伝わんのか?』
「こういうのは勝手のわかっておらぬ者が手伝おうとすると、その者に手順やら何やらを教える手間がかかって逆に邪魔になってしまうのだ。
それをわかったうえで圧倒的に手が足らんということなら向こうから頼んでくるであろうから、今は下手に気を遣うより、黙って食料調達でもしておいた方が無難だろう」
そう言って、ニックは近くにいたネヴァール族の戦士に一声かけると、軽く森に入って適当な獣や魔物を狩っていく。そうして手に入れた肉を振る舞えば、張り詰めた空気の中忙しく動く戦士達の一服の清涼剤となり、食事時には皆の笑顔が戻る。
そんな風に時を過ごせば、三日などあっという間だ。それぞれの部族から二〇人ずつ選ばれた戦士達にニックが加わり、総勢四一人という大集団が万全の準備を整え森の中に入っていく。これほどの人数が動いているというのに、その移動音は驚くほどに小さい。
「この人数で森を進んでこれだけ音を消せるとは、流石は森の民だな」
「金テカニックも凄い。目の前にいるのに、いない思える。ネガクレネズミでももうちょっとわかる」
ニックの漏らした呟きに、隣で進むオックラーが小声で反応する。ネヴァール族やヌメル族が「音を出さない動き方」をしているのに対し、ニックは音どころかその気配すら消しているからだ。
しっかり見えているのに首を傾げたくなるその存在感の薄さは、狩猟民族である彼らからしても驚愕の技能だった。
「止まれ。そろそろだ」
と、そこで先頭を進んでいたヌメル族の戦士が小さいが鋭い声でそう告げ、それを聞いた全員がピタリとその場で足を止める。そこからは更に慎重に進んでいけば、辺りに強烈な刺激臭が漂い始めた。
「んがっ!?」
「馬鹿、声出すな!」
「ふごっ!?」
思わず鼻を押さえて声を出してしまったオックラーの口を、側にいたナメココが素早く塞ぐ。そうしてオックラーの鼻のところを手から出た粘液でヌメヌメにすると、口で呼吸するように仕草でみせてからその手を離した。
「これで臭いは平気。でもずっとは保たない。あと忘れて鼻で息するとツーンとする。気をつけろ」
「あ、ああ。ありがとうナメココ……」
「ふふ、どういたしまして。私のヌメルの膜、オックラーのこときっちり守る」
「見えたぞ」
自分のすぐ側のそんなやりとりに思わず笑顔になるニックだったが、聞こえた声にすぐに意識を前方に向ける。木々の隙間から見える先からはシュウシュウという音と共に白い煙が僅かに立ち上っており、そこに生じた不自然な広場に鎮座しているのは直径五メートルはあろうかという巨大な水玉。
「これが森の主か……」
「でかい! それに臭い!」
その威容に初めて森の主を目にしたネヴァールの戦士達が口々に感想を漏らすなか、ニックだけは他とは違う感想を抱く。
「これは……クサイムか?」
ニックの目に映ったのは、どう見ても異常に巨大化したクサイムであった。





