父、見破る
「何も無いな……」
『うむ。見事なまでに何も無いな』
鳥の気まぐれに導かれ、道など気にせず直進してみたニックだったが、今彼の目の前には何も無い砂漠が広がっていた。
『にしても、ここは本当に何なのだ? 自然にできた場所とは思えないが……』
「うん? そうなのか?」
ゆったりと歩を進めながら、オーゼンの言葉にニックが問う。
『当たり前であろう。これほど開けた土地なのに、砂の大地が平面なのだぞ? 誰か、あるいは何かが定期的に地面をならしているか、あるいは風が全く吹かないかのどちらかだろうが……おそらくは風の方だな。若干だが空気が淀んでいる』
「ほぅ? 儂は何も感じぬが……」
『まあ、それも無理はあるまい。淀んでいるといっても精々狭い土地に人が密集している程度のものだ。異常と呼ぶほどのものではないからな……いや、こんな開けた土地で空気が淀むことそのものは明らかに異常であるが』
「なるほどなぁ。そう言われれば、確かに体にまったく風を感じぬな」
オーゼンの説明に頷きながら、ニックは改めて周囲を見回してみた。すると確かに砂埃ひとつたっていないし、空を見上げれば雲ひとつ存在しない。
『おまけに、命を全く感じない。確かに砂漠は生き物にとって過酷な地ではあるが、それでもそこに生きる動植物は存在する。だがこれまで通ってきた道のりで、我が感じうる範囲には如何なる命も存在しなかった。これは流石に異常が過ぎる』
「ふーむ。つまり普通の砂漠ではないということだな?」
『然り。間違いなく何らかの原因があって存在している場所のはずだ』
オーゼンの言葉は、ある種の警告だ。如何なる命も生息できない砂漠など、普通の人間なら全力で脱出を試みるところだろう。だがニックはその話を聞き、ニヤリと笑う。
「それは何というか、面白そうだな。少し探索してみるか」
『フッ。貴様ならそう言うと思ったわ。普通なら砂漠の探索など入念な準備が必要なところだろうが……』
「儂ならば問題無い。もっと酷い砂漠を歩いたことがあるからな」
『そうなのか? それは一体どんな場所だったのだ?』
ニックの言葉に興味を示したオーゼンに対し、ニックは腕組みをして空を仰ぐ。
「あれはなかなかに酷い場所であった。こう、砂の上を歩くとな、足下の砂が鳴くのだ」
『ほう、鳴き砂か。珍しくはあるが、それの何が酷いのだ?』
「酷いに決まっておるではないか! 真っ赤に染まった砂が一歩足を踏み出す毎に『痛い』『苦しい』『助けてくれ』などと悲鳴をあげるのだぞ? 娘は勇者だけあって元凶を打ち倒す決意を強めていったが、当時一緒にいた仲間には泣きながらうずくまってしまった者も――」
『やめよ。大体わかった。そこは砂漠ではなく地獄だ』
脳裏に……脳は無いが……広がる阿鼻叫喚の地獄絵図に、オーゼンは思わずニックの言葉を遮った。
「何だオーゼン。お主うまいこと言うな!」
『そんなことを言われても嬉しくもなんともないが……まあいい。探索するといっても、これほど何も無い場所をどうやって探すのだ?』
「そうだな。とりあえず跳んでみるか」
『跳ぶ? うぉぉぉぉ!?』
言ったニックが、力強く大地を蹴る。足場は柔らかく踏ん張りの利きづらい砂ではあるが、人が立って歩ける以上、砂の抵抗力が空気より弱いなどありえない。そのまま幾度も空を蹴り、やがて大地と雲の中間辺りまで跳び上がったところでニックは視線を下に向ける。
「おー、こう見ると見事に丸いな」
『きさ、貴様は! やるならやると言ってからやれ! ビックリするではないか!』
「ちゃんと跳ぶと言ったではないか」
『貴様は! 全く貴様という奴は! まあいい。とにかくこれで人の手が入っているのはほぼ確定だな。いくらなんでも真円状の砂漠など自然ではあり得ぬ』
「だな。では着地するぞ? いいなオーゼン?」
『う、うむ。大丈夫どぅぁぁぁぁ!?』
力を抜いたニックの体が、重力が許す最高速度で落ちていく。そうして轟音を立てて大地に着地すると、ニックの周囲のみが大きくすり鉢状にへこんだ。
「おっと、この砂漠に初めての高低差を作ってしまったな」
『貴様は! 本当に貴様は全く! 何故途中で減速しない!? 貴様ならゆっくり降りることもできたであろうが!?』
「? 上に跳ぶときはいくらでも速くなるが、落ちるときはあれより速くはならぬのだから問題あるまい?」
『大ありだ! 人体にかかる衝撃を…………いや、やっぱりいい』
少しずつ減速しながら降りることで落下の衝撃を分散して体の負荷を軽くする……そんな当たり前のことを言おうとして、そもそも足首ひとつくじいたわけではないニックにオーゼンは説明をやめた。
「そうか? ではまずはこのまま直進してみることにするか。丸いということなら真っ直ぐ進みさえすれば中央を通るわけだしな」
『うむ、そうだな……』
疲れた声を出すオーゼンに軽く首を傾げつつも、ニックはそのまま真っ直ぐに歩き続ける。探索ということで今までよりも周囲に注意を払っていたが、それでもニックの目に入るのはただ平坦な砂の大地のみだった。
『む? 何故曲がったのだ?』
「ぬ?」
だが不意に。唐突にオーゼンにそう言われ、ニックは思わず足を止める。
「曲がった? 儂がか?」
『うむ。今間違いなく曲がったぞ? 足下を見てみるがいい』
「むーん?」
言われてニックが視線を落とすと、確かに足跡が曲がっているように見える。これは「人払い」と称される魔法に良くある効果に酷似しており、ニックもまたムーナが野営の時に張っていた簡易的なものを見たことがあるためその存在は知っていた。
「……そういうことか。これはなかなか上手い手だ」
だが、ニックは小さくほくそ笑むと、そのまま真っ直ぐに進み続ける。
『おい貴様、どういうつもりだ? これは認識阻害の魔法で――』
「いやいや、わかっているから問題無い。しばし黙ってみておれ」
『むぅ。まあ我に移動手段はないのだから、そうするしかないのだが……』
納得いかないという声を出すオーゼンをそのままに、ニックはひたすら真っ直ぐ歩き続ける。するとしばらく進んだところで、急に目の前に屹立する金属の柱を見つけた。
『これは……どういうことだ?』
「なに、簡単なことよ。あれは人よけの魔法ではなく、足跡の幻影を見せる魔術だったのだ」
『なっ!? くっ、そういうことか。我としたことが……』
得意そうなニックの顔に、オーゼンが悔しげな声をあげる。
『だが、何故貴様はそれに気づいたのだ? 我ですら騙されたというのに』
「なに、簡単なことだ。儂にはあの手の魔法は効かぬが、幻影を見せるようなものは普通に効果がある。それを自覚していただけのことよ」
この手の幻惑系の魔法は魅了と同じく同士討ちの危険性が高いため、ニックは必死になってその耐性を身につけていた。今ではニック本人が受け入れようとしない限り回復魔法すら弾くほどにその抵抗力は強い。
だが、幻影を見せるような魔法は別だ。これは発生した現象を見ているだけなので、見破るには魔力感知が必要になり、薬草すら見分けられないニックではまるきり判別がつかない。では何故そっちは鍛えなかったのかと言えば、才能の無さも勿論あるが、「自分が娘を見誤るはずがない」という絶対の確信があったからだ。
『何だそのでたらめな能力は……』
「ハッハッハ。努力したからな。というかむしろ何故にオーゼンがあれに気づかなかったのかがわからんのだが……まさかお主が魔力感知を怠ったわけではないのだろう?」
『無論だ。つまり我ですら見破れぬほどの高度な偽装が施されていたというわけだが……』
「これは俄然面白くなってきたな」
オーゼンにすら見破れない偽装魔法。その大本があるかも知れない明らかな人工物に、ニックは期待のまなざしを向けた。





