骨男、暗躍する
それはとある日の深夜。誰も居ない魔王城謁見の間にて、不意に玉座の後ろの床が動き、ゴゴゴという重い音と共にずれた床板の下から階段が姿を現す。そうして開いた隙間から頭を出して周囲を見回すのは、一見すると基人族にしか見えない一二歳くらいの少女だ。
「……確認よし! 誰も居ませんわ、お父様」
「おぅ、ありがとなピース」
人の気配が無いことを確認してぴょこんと跳びだした少女が小さな手を差し出せば、それを掴んで階段を上がってきたのはヨレヨレの白衣に身を包んだ同じく基人族らしき青年。そうして無事に謁見の間に降り立つと、うーんと唸りながら思いきり背筋を伸ばす。
「ふぅ、やっと出られたぜ! まさか緊急脱出用の通路がこんなボロボロになってるとはな……メンテしろよメンテ! これじゃいざって時に使えないだろうが!」
「あの、お父様? あれだけ通路が荒れていたところからすると、ひょっとしてこの緊急脱出口そのものが忘れられているのでは?」
「む? 確かにそれはあるかも……ったく、何でこんな浪漫溢れる仕様を忘れるかなぁ?」
「えぇぇ……」
憤懣やるかたないといった青年の態度に、少女は微妙に引き気味な顔になる。確かに城の脱出口を失伝しているのは問題だと思うが、たかだか数百年前のことであっても知識は歴史と成り果てて劣化する。ならば建造されてからその何十倍もの時が流れたこの城の仕掛けに関する知識が失われていることはむしろ必然だと思えたからだ。
「まあいいや。誰か来る前に、まずはやることをパパッと片付けとこう」
「灯りをつけますか?」
「いや、大丈夫」
問う少女に、青年はそう言って謁見の間の奥にある宝玉の方へと足を運んでいく。魔王城の内部は夜であってもほのかに明るいようになっており、夜目の利く二人ならばあえて灯りをつけずとも移動に不自由することはない。
「あったあった。うわぁ、何か見るからに状態が悪そうなんだが……」
表面から見える光がどす黒く変色した宝玉……死の螺旋に手をかざしつつ、青年は嫌そうに顔をしかめる。何故こうなっているのかはこれまでの情報収集で見当が付いているが、誰がそうさせたのかはまだ不明だ。
「制作者権限でシステムにログイン。全機能を強制シャットダウンの後、待機状態で再起動せよ。コマンドワード『俺の浪漫が有頂天』!」
『最上位権利者からのアクセスを確認。死の螺旋の強制シャットダウンを実行します』
青年の言葉に応えるように、魔族の至宝たる宝玉から抑揚に乏しい女性の声が響く。それと同時に魔王城全体が僅かな揺れに包まれ、おおよそ一分ほどで収まる。
「……よし、とりあえずこれでいいだろ。後は修正を――っ!?」
「おやおや、こんな夜中に誰が来ているのかと思ったら、これは随分と意外なお客様でアールな」
不意に背後から首を捕まれ、青年の体が宙に浮く。青年が必死にもがきながら振り返ろうとすると、同じように首を捕まれ必死に手足をジタバタさせている少女の姿が目に入る。
「ぐっ……くるし……っ」
「お、お父様……っ!?」
「コツコツコツ。そんなに暴れては駄目でアール。力加減を間違えたらポッキリ首をへし折ってしまうでアールからな」
左手に少女を、右手に青年を掴んだ男は、そう言って楽しそうにカラカラと骨を鳴らす。そうして手首を軽く捻れば、青年と少女の視線が男の空虚な目に突き刺さってきた。
「お、まえ……だれ、だ……?」
「コツコツ。ワガホネの事が気になるでアールか? なら自己紹介するでアール。ワガホネは魔王軍四天王が一人、泰山狂骨・ボルボーンでアール」
「し、てんのう……? お、おれは……」
「ああ、答えなくてもいいでアール。お前の事はよく知っているでアール」
今の自分は、誰がどう見ても魔王城に侵入した不審者だ。だからこそ名乗って事情を話せばなんとかなるかと思う青年だったが、ボルボーンは骨の頭を横に振ってそれを拒否する。
「しっ……てる……? おれを……?」
「そうでアール。黒騎士の近くで反応があったときはもしやと思って連日網を張っていたのでアールが、まさかこうも簡単にひっかかるとは! というか、そもそもどうやってあそこから出たのでアール? こちらから干渉しなければ出られないように細工したはずでアールが」
「っ!? おま、えが……っ!?」
ボルボーンの言葉に、青年の顔にあからさまな怒りが浮かぶ。だがどれほど青年が力を込めても首を締め付ける骨の指はびくともせず、苦し紛れに放った蹴りにも骨の体は小揺るぎもしない。
「まあ、戻ってきてくれたのであればちょうどいいのでアール。お前にはまだまだやってもらうことがあるでアールからな」
「ぐぅぅ……ピース!」
「はな、せぇぇぇぇ!!!」
苦しげな青年に名を呼ばれ、少女がボルボーンの拘束を遂にはねのける。そのまま青年を取り戻そうと飛びかかる少女だったが、ついさっきまで自分の首を掴んでいた腕に跳ね飛ばされ、少女の体が謁見の間の柱に激突する。
「ぐっ!? うぅぅ……まだまだ!」
「コツ? 思ったよりも頑丈でアールな。ならば……『殺戮骨兵 単軍召喚』」
ごく短い、単語だけの呪文詠唱。床に現れた輝く魔法陣から現れたのは、青白く輝く骨で構成された一二体の骨の兵士。
「フン、スケルトン如き……きゃあっ!?」
それに対し、少女は空間の亀裂から取りだした大鎌を振りかぶって斬りつける。が、骨の兵士は易々とその一撃を受け止め、逆に少女の体が衝撃で後ろに飛ばされた。
「そんな!? まさか、この鎌で斬れないなんて!?」
「コツコツコツ。そいつらは今まで表に出していた玩具とは違って、ワガホネの本物の戦力でアール。第六世代の魔導兵装と同等の戦力を誇るそれに、多少改造されているらしいとはいえ、戦闘用ですらない魔導人形のお前が何処まで戦えるでアールかな?」
「私の事まで知っている……? 貴方一体何者です!?」
「コツコツコツ。お前が生き残れたならば嫌でも教えてやるでアール。さて、魔神様の方はこちらでアールぞ」
愉快そうに骨を鳴らして笑ってから、ボルボーンが青年の顔を死の螺旋に叩きつけるように押しつける。その衝撃で青年の頭からグキリと嫌な音がしたが、ボルボーンはそれを意に介さない。
「ぐはっ!?」
「客員権限でシステムにログイン。浄化核の交換を申請するでアール」
『申請を確認。予備の浄化核を所定の位置にセットしてください』
「了解でアール!」
無機質な女性の声に合わせて、宝玉の上に黒い渦が出現する。その奥にかすかに見える世界は、どうしようもないほどに黒く粘つく何かが淀みながら渦巻いている。
「さ、ワガホネが呼ぶまでもう一度待機でアール。今度はいい子になって出てくるでアールぞ? 魔神様……いいや、機人デウスよ」
「てめぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
青年……魔神デウスが渦の中に沈んでいくのを確認してから、ボルボーンがその場を離れる。するとすぐに開いていた渦が閉じ、その場にはもう何も残らない。
「お父様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
狂ったように泣き叫びながら、少女が死の螺旋の方へと走り寄っていく。だがその動きもまた青い骨兵士に遮られ、その身が床に叩きつけられる。
「あぐっ!?」
「では、次はお前でアール。どうやら壊れなかったようでアールから、約束通り色々と教えてやるでアール」
「……私をどうするつもりですか?」
まさかこの状況で、情報を与えて解放するとは思えない。ならばどうするつもりかとキッと睨み付ける少女の背中を踏みつけ、ボルボーンがカラカラと骨を鳴らす。
「コツコツコツ。人形なら人形らしい使い方をするだけでアール。なに、心配しなくても所有者情報を書き換えてやるだけでアールから、痛くも痒くも無いでアールぞ?」
「い、嫌! それは! それだけは駄目!」
気丈だった少女の態度が、その瞬間に急変する。身も心も「お父様」に捧げた少女にとって、お父様のためであれば悠久の時を待ち続けることも、命を投げ出すことも怖くない。
だがその想いが全て塗り替えられてしまうとしたら。それは魂に対する冒涜であり、己という存在の全てを否定することに他ならない。
「それを持ち上げて固定しろ」
ボルボーンが少女から足をどけて骨兵士に命令すれば、骨兵士達が少女の両手を拘束して持ち上げる。
「嫌! 嫌! 嫌!!! お願いですから、辞めてください! それだけは、それだけは……っ!
「コツコツコツ。では愛しの『お父様』にお別れを言うでアール」
「あああああぁぁぁぁ!?!?!?」
ボルボーンの手が少女の頭を掴み、そこから青白い光が稲妻の如く迸った。心を焼き切るような衝撃に少女は全身をビクビクと痙攣させながら絶叫をあげる。
「んー? ここでアールか? それともこっち……何だか妙に複雑でアールな。流石は魔神様の改造した素体と言うべきか……」
「あぁ…………ぁぁぁ……………………」
「とはいえ、これで終わりでアール」
「はぐっ!? お、父様……………………」
口から涎を垂れ流し、意思の光の失われた虚ろな眼差しとなった少女がガックリとその場で項垂れる。
だがそれもつかの間。再び目覚めた少女は骨兵士達の拘束を解かれると、その場で綺麗にカーテシーをしてボルボーンに一礼する。
「おはようございます、博士」
「博士? 何故博士……? まあいいでアール。お前は……ふむ」
期せずして手に入った人形の名を、ボルボーンはほんの僅かに考える。
「Extraということで、お前は今日からエクスでアール。では部屋に戻るぞ、我が従者エクスよ」
「畏まりました、博士」
名も心も奪われ、新たな名と心を与えられた少女エクスは、薄い笑みを浮かべながら静かにボルボーンの後を着いていくのだった。





