父と娘、次の行く先を決める
『ほほぅ。それが注文していた品という奴か。なかなかの出来ではないか』
「であろう? 待った甲斐があったというものだ」
アリキタリの町に戻ったニックは、そこで以前から注文していたエルダーワイバーンの素材を用いたレザーアーマーを受け取り、装備していた。軽くしなやかで丈夫な革はドラゴンレザーには及ばないものの、この辺りで手に入る防具とは一線を画す性能がある。
『それで? 見た目はすっかり冒険者らしくなったが、これから先は何処に向かうのだ?』
「そうだな……」
ゆっくりと町の外へと向かって歩きながら、ニックはしばし考える。
「ねえムーナ。次の目的地なんだけど、ツギーノ平原とかどうかしら?」
城から出て、町の中。道に設置されたベンチに腰掛け、串焼きを囓りながらフレイが言う。
「ツギーノ平原? 私は知らないけど、何かあるのぉ?」
「ツギーノ平原は、見渡す限り高低差の無い草地の広がっている場所ですな。取り立てて何かあると……ああ、そう言えば」
「なぁにぃ? ロン?」
「いえ、丁度あそこは今頃……」
『肉祭り?』
「そうだ。あの平原にいるマッドオックスという魔物の肉がなかなかに美味くてな。丁度今の時期だと大繁殖したマッドオックスの肉で肉祭りをやっている頃だな。同じ材料を使って如何に美味い肉料理を作れるかという祭りで、毎年盛況だったはずだ」
思い出すニックの顔に、思わず笑みがこぼれる。かつて娘と一緒に立ち寄った時に山ほどの肉を二人で食べ尽くしたのはいい思い出だ。
『ほう。祭りというのは楽しそうではあるが、我は飲み食いはできんからな。他には何かあるか?』
「そうだな。であれば……」
「祭りは楽しそうですが、勇者としての修行を兼ねるならもうちょっと危険なところでもいいのでは? この近くだと……そうですね。ヤバメノ大森林などはどうでしょう?」
「ヤバメノ大森林って……ああ、比較的浅いところからちょっと強めの魔物が出るって森よね。確かに悪くはないけど……」
「ヤバメノ大森林って言えば、ちょっと変な噂を聞いたわねぇ」
今ひとつ乗り気で無い感じのフレイに、ムーナが思い出したようにそんな言葉を口にする。
「噂ですか? どのような?」
「何か最近、ヤバメノ大森林の奥で『ヤバス! ヤバス!』って変な声が聞こえるらしいわよぉ?」
「……何それ、絶対近づきたくないんだけど」
「謎の鳴き声なぁ。新種の魔物か?」
『さあ? 我にとってはこの世界の魔物はほぼ全てが未知だからな。そんな事判断しようもあるまい。とは言え未知というのは惹かれるものがある』
「そうか。ふーむ……よし、そういうことならコイツに聞くとするか」
言って、ニックは鞄から金貨を一枚取り出す。
「コイツを投げて表が出たらツギーノ平原、裏がでたらヤバメノ大森林ということでどうだ?」
『ふむ。別に我は構わぬぞ? そもそもどちらも絶対に行きたいわけでもないからな』
「では、いくぞ……」
「それで、結局どうされるのです?」
「うーん。勇者としてはヤバメノ大森林も気になるけど、それでも今回はツギーノ平原がいいかな?」
「ははは。如何に勇者と言えど、祭りの誘惑には敵いませんか」
「違うわよぉロン。フレイはねぇ、ニックが次に行きそうなところを選んでるのよぉ」
「なっ!? ち、違うわよ!?」
ムーナの言葉に、フレイは慌てて顔の前で両手を振る。だがその焦り方こそが彼女の内心を端的に表現していた。
「そりゃ確かにここしばらく父さんに会ってないし? 顔を見たいかなぁくらいはあるけど……でも、まだパーティから追い出してほんのちょっとなのに、今会うなんてちょっと格好悪いじゃない!」
「またまたぁ。お城でニックの話を聞いて、寂しくなっちゃったんでしょぉ? お姉さんが慰めてあげるわよぉ?」
「いらないわよ! ちょっ、胸を押しつけないで! あーもう! 女の価値は脂肪の塊じゃないのよコンチキショー!」
「ははは……では、こういうのはどうです?」
言って、ロンは腰の鞄から金貨を一枚取り出す。
「表が出たらツギーノ平原。裏が出たらヤバメノ大森林ということで。神の託宣であればどちらであっても問題ありますまい」
「そうねぇ。それならフレイも素直になれるかもねぇ」
「違うっての!」
ムキになるフレイに、ロンとムーナは顔を見合わせ笑う。
「では、行きますぞ……それっ!」
ロンの指が金貨を弾き、澄んだ音と共に黄金の輝きが宙を舞う。それは程なくしてロンの手の中へと落下してきて……
「ふむ、表ですか」
「フレイの祈りが通じたのかしらぁ? 流石は勇者ねぇ」
「そんなんじゃないわよ! でも、運命の神様が行けって行ってるなら仕方ないわよね。うん、そう。仕方ないのよ! じゃ、行きましょ! ほらほら、早く!」
明らかにソワソワし出したフレイが、早足で歩きながら二人を呼ぶ。そんな姿に微笑ましい笑みを浮かべながら、ロンとムーナも立ち上がり歩き出す。
「それにしてもぉ、ロンもニックもフレイに甘すぎよぉ?」
「……バレてましたか? やはりムーナ殿には隠し事はできませんな」
ロンは金貨を弾くとき、きちんと表になって落ちるように力や角度を調整していた。金級冒険者ともなればこの程度の事は造作も無いが、フレイだけはそれに気づいていない。普段は優秀な勇者だが、父であるニックが絡むと途端にポンコツになるのがフレイであった。
「まぁいいけどぉ。それじゃ、行きましょうか」
「ほら、何してるの二人とも! 先に行っちゃうわよー!」
「はーい! まったく、まだまだ子供なんだから……」
既に親指ほどの大きさに見える程遠くに行ってしまったフレイに、二人は笑いながら少しだけ足を速めた。
「それっ!」
ニックの太い指が金貨を弾くと、ギィンという硬質の音と共に金貨が遙か高空へと舞い上がる。
『……いや、高く飛ばしすぎではないか?』
「そうか? 何となく高ければ高いほどいいような気がするのだが、儂だけだろうか?」
『……まあ、同意しなくもない』
ニック達が見つめる中、金貨は雲を突き抜けた辺りでやっと頂点に達したのか、そのまま下へと落下していく。だがその過程で……
「あっ!?」
『鳥に食われたか。走るのと同じだ。何事もやり過ぎは良くないという教訓だな』
「ぐぅぅ……ま、まあ仕方在るまい」
一般人であれば金貨を鳥に攫われたなど首をくくるような一大事だが、ニックの財布にはまだまだ大量の金貨がある。無論このまま飛び跳ねて鳥を倒して金貨を取り戻すこともできたが、それは何となく無粋に思えた。
『で? この場合はどうするのだ?』
「そうだな。ならばあの鳥の飛んでいった方向にでも進んでみるか。まっすぐ行けばそのうち町か何かあるであろう」
『相変わらず適当だな。まあ真っ直ぐに進むのであれば、いざとなれば真っ直ぐ戻ればここにたどり着けるのだから貴様であればさしたる問題もあるまいが』
当たり前だが、普通の旅人が事前準備も目的地も決めず一直線に進むなど無茶を通り越して無謀だ。だがニックならばのんびり一ヶ月歩いた距離を一日で戻ってくることすらできる。もっともその場合はオーゼンが再び悲鳴をあげることになるであろうが。
「では、この方向に進むということでいいな?」
『うむ。貴様に任せよう』
そうして二人は、その方向に何があるのかも知らずに歩き出した。
そこには何も無い。草も木も花も、土も水も無く風すら吹かない。如何なる命も存在せず、それ故死すら存在しない。
故に人々はその場所をこう呼んだ。始まることも終わることもない、時の止まった永遠の地……『無の砂漠』と。





