父、吹き飛ばす
その白く小さな獣は、自分達の活動に限界を感じたとある回帰派の人物が、最後に残された資材を注ぎ込んで作り出した半生体のゴーレムであった。
周囲の魔力を糧として自己増殖し、アトラガルドの魔導具や文字の刻まれた物体をその牙で破壊する、完全自立型の文明抹消兵器。開発者が満を持してそれを起動すると、果たして鼠の如きゴーレムは正常にその機能を発揮し、最も近くにある文明の利器、即ち自分達を生み出し、制御することのできる魔導具を跡形もなく破壊した。
慌てふためく開発者を余所に最初の使命を全うした獣たちは、その道行きで己を増やしつつ意気揚々と世界へと散っていく。僅かに稼働していた闘技城に突っ込んで全滅するものや、天を衝く塔に狙いを定めるも近づくことすらできずに駆除されるもの、あるいは遺跡に潜り込んで巨大な機竜に踏み潰されるものなど犠牲は数え切れないほどでたが、魔力さえあれば半ば無限に増え続けることのできる獣にとって、それらは些細な失敗でしかない。
いや、そもそも失敗や成功を判断する知能すら獣にはない。ただ与えられた命令に従い、アトラガルド文明の匂いを感じてはそれを潰す。愚直に命令をこなす獣は世界から文明を消していき、そして遂に彼らはこの場所に辿り着くことになる。
トジール族の彫り上げた、アトラガルドの英知が刻まれた金属板。その存在を嗅ぎつけた「歴史を狩る獣」達は世界中からこの地に殺到したが、その時には既にこの遺跡は隣にある火山の噴火の影響で灰と土砂に埋もれていた。
今までならばある程度時間が経過すれば諦めて他の対象の元に向かう獣だったが、今回はそうならない。壊すべき文明の息吹、そのなかでも自分達が壊せそうなものはもうここしかないからだ。
故に集まる。全てが集まる。集まりに集まり、増えに増え、己によって押しつぶされ身動きの取れない獣は、やがて未だに降り注ぎ続ける灰と土砂によって眠るようにこの地に封じられる。その結果が谷であった場所がいつの間にか山になっていたカラクリであり、ここに全てが眠っているからこそニックがオーゼンを外に連れ出した時にも、それに反応する個体は存在しなかった。
だが、ニックはここに来た。自分達のすぐ近くにこれまでとは比較にならない強烈なアトラガルドの力を感じ、獣は再び動き出す。長年蓄え続けた魔力で一気に己の数を増やし、それを以て土を灰を、己自身をはねのけて空間を確保すると、目標に向かってただ一心に前進を続ける。
そう。「歴史を狩る獣」たる鼠たちの狙いは、最初からニックの手にするオーゼンであった。だからこそそれを追いかけ山を食い破って外へと飛び出し、大気に満ちる濃密な魔力を一心に浴びて、己の唯一にして最大の力である「数の暴力」を以てニックを追いつめんと飛びかかったのだが……
「消し飛べぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
巨大な手甲を太陽よりも眩く輝かせながら、ニックは拳ではなく大きく開いた手を突き出した。そうして放たれた真白き掌底は進むごとに巨大になっていき、それに触れた鼠たちはその場で塵と成って空に溶けていく。
消える、消える。消えていく。幾千、幾万、幾億にすら届こうかという鼠の群れが、どんどん巨大になっていく掌底の幻影に触れて跡形も無く消し飛んでいく。退くことを知らず恐れることをせず、目的を達成するためだけに存在する鼠たちは、光に惹かれる羽虫のようにオーゼンという目標のみを見つめ、そこに辿り着くこと無く光る掌で撫でられ、消えていく。
ゴウッと、遅れて風が吹き込んだ。足下では草が舞い、空では雲に巨大な手形の穴が空いている。そしてその間には、もう何も残っていない。こうしてかつて「歴史を狩る獣」と呼ばれ恐れられた命無き鼠達は、チリツモ山脈中央の山と一緒にこの世界から完全に姿を消したのだった。
「あっ、いた! おーい、ニック君!」
魔鋼に囲まれた部屋というある意味もっとも安全な場所で突然の轟音やら震動やらを何とかやり過ごし、その後は件の魔導具で崩落した穴を再び掘り直して遺跡からの脱出を試みていたバンとモンディ。やっとのことで穴を掘り終え遺跡の外に出てくると、赤い夕焼け空の下、少し離れたところで石に腰掛け休憩していると思われるニックの姿を見つけることができた。
「おお、バン殿にモンディ殿! 二人とも無事だったか!」
「ああ、君のおかげでなんとか助かったよ。で、君の方はどうだったんだい? とんでもない数の鼠が襲ってきていたようだったが……モンディ?」
やや疲れた表情のニックに問い掛けるバンだったが、ふと隣に居るモンディの様子がおかしいことに気づく。
「どうしたんだいモンディ?」
「ば、バン……あれ、あれ見て……」
「あれって……………………!?」
口をポカンと開けたまま背後を見ているモンディの姿に、バンもまた訝しげな表情を浮かべながら振り返る。するとそこにあるはずのものが綺麗さっぱり無くなっている。
「や、山が……無い?」
三つの山によって構成されるチリツモ山脈。だが振り返ったバンの視線の先では、中央の山がベッコリとへこんでしまっている。自分達がやっとの事で這い出てきた頭上でこんな事が起こっていたとなれば、流石のバンでも呆気にとられて言葉を失ってしまう。
「に、ニック君? これは、何が?」
「あー、話すと長いような短いような……まあ、あれだ。儂を襲ってきたあの鼠は、どうやらその山の中にみっしり詰まっていたようでな。それを全部消し飛ばしたから結果としてこうなったというか……」
「山の中にアレが詰まっていたのかい!? しかもそれを全部消し飛ばしたって……」
「ははは、ニックさん、本当に山を消し飛ばしちゃったのね……」
常識が邪魔をして目の前の事実を理解できず、何度もニックと消え去った山の間で視線を行き来させるバンと、何処か虚ろな眼差しで乾いた笑い声をあげるモンディ。そんな二人に対して、ニックもまた困ったような顔で頭を掻くことしかできない。
(オーゼンが起きておれば、もうちょっと何かわかったかも知れんがなぁ)
ニックがチラリと腰の鞄に視線を向けるが、そこからの返答は何もない。「王の鉄拳」を発動したことで、前回と同じくオーゼンは眠りについてしまっているからだ。
もっとも、前回ほどの心配をしているわけではない。あれから試してみたわけではないが、どうして眠るのか、どのくらい眠るのかはオーゼン自身からあの時きっちり説明されているのだ。無論このまま何日も目覚めなければまた世界を奔走することになるだろうが、それを今から心配するのはいくら何でも過保護に過ぎる。
「そう言えばバン殿。あの金属板の方はどうなったのだ?」
「あ? ああ、ニック君が天井に開けた大穴からかなりの量の土砂が入り込んできたけれど、所詮は土だからね。押しつぶされるようなものじゃないし、魔鋼なら混じった小石で擦れて傷が付いたりもしないだろう。掘り返すのはかなりの手間だろうけど、逆に言えば手間をかければ確実に掘り返せるはずだ」
「そうか、それはよかった。なら掘り返すのは儂も手伝おう」
「え、いいのかい? かなりの重労働で、時間もかかると思うけど……」
「なに、問題ない。これとこれがあれば、一週間もあれば終わるのではないか?」
そう言ってニックがパシパシと叩いたのは、肩から提げた魔法の鞄と盛り上がった力こぶ。魔法技術と腕力、それぞれの極限が揃っているのだから、土に埋まった金属板を掘り返す程度の事は造作もない。
「う、うーん、そうか。確かに荷物を持ち逃げしないような信頼できる人員を何十人と集めてここに連れてくるのは、かなりの大仕事だからね。そういうことなら、今度こそ正式な依頼としてお願いしようかな?」
「うむ、任せておけ! とは言え、流石に今日は疲れたから休ませてもらいたいところだが」
「勿論だよ。というか、私達だって流石に今日はもう動けないさ」
「そうね。心も体も頭の中も疲れ切ってる気がするわ」
冗談めかして言うニックに、バンとモンディも同意する。その後は簡単な夕食を済ませ、念のため周囲に軽く威嚇を放ったニックは己の天幕へと潜り込むと、床に敷かれた毛皮に寝転がり、腰から外して枕元に置いた鞄から鈍く輝くメダリオンを取り出す。
「ふふ、おやすみオーゼン」
未だ眠り続ける相棒を胸に、ニックもまた静かに目を閉じるのだった。