父、穴を開ける
「さて、それじゃさしあたっての問題は、この壁をどうやって越えるかということだ」
冷たい金属壁に手を当てながら、バンがそういって考え込む。自身もまた魔鋼の武器を手にしているだけあってその硬さはよく理解しており、如何にバンであっても、魔鋼の壁をどうこうできる準備は流石に持ち合わせていない。
「どうやって越えるかって、そりゃ壊すしかないんじゃない? でも魔鋼ってどうやって壊すの?」
「私の知る限りだと、鉄が溶けて蒸発するくらいの温度であれば一応融解するらしいよ。ただこの壁をその方法で壊すのは現実的ではないだろうね」
「それは……確かにそうね」
そこまでの高温となれば、専用の炉と燃料を用意しなければとても生み出せないし、その温度は炉の中でしか維持できない。目の前にある巨大で長大な壁を溶かす手段としては甚だ不適切だろう。
「でも、じゃあどうするの?」
「うん。私の考えでは、いくら何でもこれが完全な一枚板ということはないと思うんだ。きっと何処かに継ぎ目があるはずで、とりあえずはそこを――」
「ん? 壊していいのであれば儂が壊せるぞ?」
真剣に話し合うバンとモンディに、何気ない口調でニックが言葉を挟む。するとそれを耳にした二人の動きが止まり、一切表情を動かすことなくそっとニックの方に顔を向ける。
「……き、気のせいかな。あり得ない言葉が聞こえたような気がしたんだが」
「え、ええ、そうね。私にも聞こえたんだけど……ニックさん、魔鋼を壊せるの?」
「ああ、壊せるぞ。確かにちょっと硬くはあるが、むしろ硬い分だけたわまぬから、壊しやすいとすら言えるな」
「あ、ああ。そうなんだ……それは……まあ、うん」
笑いながら言うニックに、バンはやっとのことでそう答える。ちなみにモンディの方は完全に言葉を失っており、信じられないものを見る目でポカンとニックを見つめている。
「念のため確認するんだが、それは冗談とかじゃ……」
「無論本当だ。すぐに壊すか?」
「い、いや! 待ってくれ!」
手刀を構えるニックを、バンが慌てて制止する。そのまま数度深呼吸をして気持ちを落ち着けると、改めてニックに向かって真剣な顔を向けた。
「ふぅ……よし、なら改めてもう一度確認させてくれ。この壁の向こうに何があるのかは、私にも全く予想がつかない。穴が空いた瞬間に毒などが噴き出してくる可能性もあるし、未知の呪いや魔法が発動する可能性もある。それらに対する対策は私がいくつか用意しているけれど、正体不明のものに対して完全な対策をとるのは流石の私でも不可能だ。
つまり、壁を破ってもらうニック君に極めて大きな危険を背負ってもらわなければならない。それでもやってくれるのかい?」
「ああ、いいとも。というか、ここまできて『危ないかも知れないからこのままにして帰ろう』と言われたら、そっちの方が納得できんしな」
好奇心が危険を招き、時としてそれが死に繋がることをニックは知っている。だがそれと同時に、知りたいという想いを無くしてしまえばその瞬間に人の成長が止まってしまうことも理解している。
「踏み出す一歩が勇気であるか蛮勇であるかは後の歴史が決めることで、儂等が選べるのは『一歩を踏み出すか否か』しかない。
であれば儂はいつだって前に進むことを選ぶ。お主達とてそうであろう?」
ニヤリと笑いながら、ニックが二人の顔を見る。するとそれを受けた二人の顔もまた何処か楽しげに笑う。
「ふふ、そうだね。その気持ちがなければ、私は歴史学者など選ばなかったよ」
「そうよ。知りたいと思うことを躊躇わない。それが私の選んだ私の生き方よ」
バンとモンディが顔を見合わせ頷き合い、それから二人の顔がニックを見てもう一度頷く。
「やってくれニック君。何かあった時の責任は、私が背負おう」
「あら、そういうのはみんなで背負うものでしょ? 手柄の独り占めなんて許さないわよ?」
「ふふっ、いい覚悟だ。ではいくぞ……ふんっ!」
気合いと共に、ニックの手刀が四度閃く。その段階では壁には何の変化も見られなかったが、ニックが手刀を振るった内側の壁に手を置いて『収納』すれば、そこに人が通れる大きさの四角い穴がポッカリと口を開けた。
「…………どうやら毒の空気が充満していたりはしないようだね」
鞄から取りだした魔法道具で周囲の空気を調べたバンが、そう言いながら慎重に穴の方に近づいていく。検知器に何の反応もないところからすると、少なくとも即座に体に影響を与えるような状況にはないことがわかる。
「動く物の気配もないな。この様子ならばいきなり何かが襲ってくるということはあるまい」
「なら早速中を調べてみましょうよ」
「だね。なら今回も私が先に入ろう。次はモンディ、ニック君は殿を頼む」
「了解」
「わかった」
隊列を決め、バンがそっと壁の内側へと入っていく。完全な闇に閉ざされた室内をランタンで照らしていくと、そこに浮かび上がるのは整然と並ぶ無数の金属製の棚と、そこに安置された大量の石版ならぬ金属板。それらが外周の通路よりもやや高い五メートルほどの天井近くまでみっしりと詰め込まれている。
「これは……まさかこれも全部魔鋼で出来てるのか!? 何か書いて……ぐおっ!?」
「おっと、危ないぞバン殿」
棚から金属板を取り出そうとしたバンが、その重さに倒れそうになったところをニックが素早く前に出て支える。
「ちょっ、何やってるのよバン!?」
「いや、すまない。思った以上に重くてね。ふむ、これに彫られているのは……っ!? モンディ、ここを照らしてくれ!」
「いいわよ? って、この文字……嘘、古代文字!?」
叫ぶようなバンの言葉にモンディが歩み寄ってランタンをかざし、そこに刻まれていた文字を目にしてモンディもまた驚愕の表情を浮かべる。今まではほんの数文字見つかるだけでも珍しかったそれが、おそらくは完全な文章としてはっきりと刻み込まれているのだ。
「ちょっと、本当に!? まさか、ここにあるの全部!?」
「は、ははは! 凄い! 凄いぞ! これは正に歴史的大発見だ!」
モンディが高く掲げたランタンに照らし出された棚の数は、五〇や一〇〇ではとてもきかない。そしてその棚の一つ一つに何枚もの金属板が収納されており、となればその総数はいかほどか。
「これだけの数の資料があれば、おそらくは古代文字の完全な解読が可能になる! それだけでもとんでもないことだっていうのに、その文字で刻まれた情報がこれほどまでに存在するとは!」
「ど、どうしよう? どうすればいいかしら? とにかくまずは報告よね。先生のところに連絡して、それから調査班を集めて、それで――」
興奮した様子で金属板を眺め続けるバンと、アタフタしながら今後の動向を考え始めるモンディ。そんな二人を前に、しかしニックだけは冷静に二人から少し距離をとって、腰の鞄にいる相棒に声をかける。
(なあオーゼン。アトラガルドの文字ということは、ここはシズンドルと同じくアトラガルドの施設なのか?)
『うーむ、絶対に違うとは言い切れぬが、可能性としては低いと思う。完全に密閉した空間に文字を刻んだ金属板を保存するというのは超長期的な情報の保存方法としては正しいが、アトラガルドの技術があればもっと効率のいい方法があるはずだ。
ほれ、貴様とてあの海底基地の事は覚えているであろう?』
(ああ、そうだったな)
オーゼンの言葉に、ニックは静かに納得する。シズンドルでは情報の大半は専用の媒体に記録されており、それ以外にも書架などはあったが、流石に石版や金属板の類いはなかった。これは限られた空間内において同質量で保持できる情報量に天と地ほどの差があったからだ。
『無論、更なる長期保存……それこそ何十万年という未来を見越して金属板に刻むという方法をとった可能性もあるが、その場合でもアトラガルドの技術で作られた施設であれば、金属板のみを単独で保管するのではなくその内容を記した本や記憶媒体も併設するとは思うがな。
仮に経年劣化で駄目になるとしてもそれを置かぬ理由がない。あの棚を一つ書籍専用にすれば、その他の金属板に刻まれた内容など全て書き記せるであろう』
(むぅ、ならばここは一体……?)
『さあな。我にもわからん……というか、それこそあの者達とここを調べればわかるのではないか?』
「ああ、それもそうか……おーい、バン殿!」
その結論に至ったことで、ニックは興奮するバン達に声をかけ、まずはこの室内を探索することを二人に提案した。