父、羨望する
「で、この壁を壊すというのは、どうやるのだ?」
四角い通路の東側の西壁。堅牢そうな石造りの壁面を前に、ニックがバンに問い掛ける。単に壊すだけならニックが殴れば簡単だが、壁の向こうに何があるのかわからない状況ではそう乱暴な解決法はなかなかに選べない。
「やること自体は簡単さ。さっきから壁に穴を開けて、向こう側の土壌を調べていただろう? あの穴を繋げて線にして、切り離された壁を適当にどかすだけさ」
「うわぁ、時間かかりそうね……」
バンの提示した方法に、モンディがうんざりした表情を浮かべる。バンが穿つ穴は人の親指ほどの直径であり、それを繋げて人が通れるほどに壁を切り取るには一体何百回穴を開ける必要があるのかわからない。
「これならまだいい方さ。この地層調査棒……ノビール・シラベールという名前らしいけど、これによるとこの石壁は厚さが一メートル近くあるようだ。これをピッケルで削るとなれば、それよりもっと大変だと思うけど?」
「うっ、それはまあ、そうね」
バンの言葉に、モンディは露骨に嫌そうな顔をする。遺跡調査を生業とする者のたしなみとしてモンディも当然手持ちの小さなピッケルは持っているが、それは小さな石を砕いたりするために使うもので、一メートルの厚さの石壁を掘り抜こうとは思わない。
「ということで、後は地道に穴を――」
「なあ、バン殿。ちょっといいか?」
と、そこでニックが地層調査棒を手にしたバンに声をかける。
「ん? 何だいニック君?」
「いや、要はこの石壁に穴を穿って切り取れるようにし、人が通れる程度の穴を開ければいいのだな?」
「? そうだけど、それがどうかしたかい?」
「そういうことならば……フンッ!」
首を傾げるバンの横に立ち、ニックが人差し指を立てて石壁に拳を打ち込む。並の……あるいは普通の……人間がそんな事をすれば指の骨が砕けて終わりだが、ニックがそれをするならば、石壁に人差し指の太さの深い穴が穿たれる。
「えっ……えっ?」
「ふむ、大丈夫そうだな。ならば……フンッ! フンッ! フンッ!」
その様子を呆気にとられながら見るバンを余所に、ニックは次々と拳を放って穴を穿っていく。すると五分もしないうちに石壁に円上の切れ込みが入り、くりぬかれた中央の石がズズンと音を立ててその場で僅かに落下した。
「後はこれをしまえば……ほれ、終わりだ」
その瓦礫にニックが手を添え、魔法の鞄に収納する。するとそこには一瞬にして大穴が出現し、支えを失った土砂が僅かに穴の中に流れ込んできた。
「ほれ、これでいいのだろう?」
「……あ、ああ。そうだね」
「忘れてたわ。ニックさんってこういう人だったわよね……」
こともなげに言うニックに、バンはかろうじてそれだけを答え、モンディは呆れたような視線を投げかける。だがニックはそんなことで動じたりはしない。
「それでバン殿、これからどうするのだ? 流石にこのような地面を掘るのは儂には些か不向きなのだが」
「……ハッ!? そ、そうだね。じゃあ一旦天幕まで戻って用意してくるから、少しここで待っててくれるかい?」
「うむん? わかった」
「す、すぐ! すぐに準備をしてくるから!」
頷くニックに、バンが慌てて来た道を戻っていく。そんなバンの背中を見送りつつ、ニックがぼそりと小さく呟く。
「ふむ、いつも用意周到なバン殿にしては珍しいな」
「……流石のバンも、こんなに簡単に壁に穴が開けられるとは思っていなかったんだと思うわよ?」
「そうか? まあ確かに儂がいなければなかなかに大変な作業だったのだろうがな」
「ええ、そうね」
珍しいバンの「準備不足」を普段ならばからかうところだが、ここまでの例外を前にしてしまうと如何にモンディでもそんな気は起こらない。そのまましばらく何とも言えない空気の中で待ち続けると、やがて通路の向こうからガッションガッションという不思議な足音が聞こえてきた。
「やあ、待たせたね!」
「ば、バン殿、それは!?」
「ふふふ、これこそが私の用意した秘密兵器さ!」
目を輝かせるニックの問いに、装甲の無い金属の骨組みのみの鎧に身を包んだバンが得意げに言う。そのままガッションガッションと足音を響かせつつ穴の中に入っていくと、目の前にある土壁に向かってその両手を突き出す。
「さあ行くぞ! ドリル・アナホール、起動!」
バンのかけ声と同時に、伸ばした両手の先端に青白く輝く螺旋の渦が発生する。それはギュンギュンと音を立てて回転し、バンの正面にある土を凄い勢いで掘っていく。
「うぉぉぉぉ!? 凄い! 凄いぞバン殿!」
「ハッハッハ、そうだろうそうだろう?」
「かなりの勢いで土を削ってるけど……あれ? 削った土は何処にいってるの?」
ニックがひたすら興奮の声をあげるなか、モンディは冷静にバンの周囲を観察していく。すると螺旋の光で削られた土がバンの身につけた謎の金属骨格とでも言うべきものの背中部分に吸い込まれているのが見える。
「ふっふっふ、甘いなモンディ。穴を掘るなら土砂の処理こそ重要になるけど、それもコイツは対応済みなのさ! 起動せよ、アツメル・アース!」
バンがそう命令すれば、背中に背負った四角い魔法道具が青い光を迸らせる。するとバンの斜め後ろ辺りに輝く光と共に圧縮された土の柱がそびえ立ち、掘った穴が崩落しないようにしっかりと支えていく。
「どうだい! 穴を掘ったときに出る土砂を自動で集積し、それを材料にして穴を補強する支えを作り出す! 実に合理的で機能的だと思わないかい?」
「そうね、効率的でいい魔法道具だと思うわよ」
自分の何が甘いのかはこれっぽっちも理解できなかったが、バンの使っている魔法道具が極めて優秀なものだというのはわかる。とは言え普通に便利だと思うだけのモンディに対して、己の内にある少年の心を鷲づかみにされたニックの興奮は収まらない。
「な、なあバン殿。それは何処で買えるのだ? 儂も使ってみたいのだが……」
「え、これかい? うーん、買うのは難しいと思うよ? 何せこれは試作品らしいからね」
「試作品? それはどういう……?」
「知り合いのドワーフの職人が、魔導鎧の技術を別のことにも利用できないかと考えて開発していたのがこれの原型なんだ。ずっと上手くいかないと言っていたのにどうして突然開発が進んだのかはわからないけど、完成したこれは大人気らしいからね。今から注文した場合、納品は何年先になるのか……」
「むぅ、そうか…………」
バンの言葉に、ニックはあからさまにガックリと肩を落とす。そのまま少しバン達から離れると、こっそり腰の鞄に向かって呟き声を出す。
(なあオーゼン。ああいうのを『王能百式』で再現はできんだろうか?)
『は? できるだろうが意味がなかろう? 魔導兵装の再現に比べればずっと簡単だが、貴様の全力に耐えられるようにはとてもできぬし、加減をしながら使うのであれば使用する意味がない。
それとも何か? 貴様はただ格好いいというだけで貴重な王能百式の枠を一つ消費してしまうつもりか?』
(ぐっ、それはまあ、確かに勿体ないが…………くぅぅ…………)
拳を突き出す時に手首を捻れば螺旋の形に土を削ることはできるだろうし、出てきた土砂を押し固めて支えにすることも可能ではある。が、それは結局自分がやっていることであり、そこには浪漫が足りない。
「さあさあ、ドンドン掘っていくぞ! それそれそれそれ!」
「むぅぅ、やってみたい……」
『まったく貴様という奴は……』
「ハァ、本当に男って……」
満面の笑みで穴を掘り続けるバンと、その姿を羨ましげに見つめるニック。そんな二人の男達を、無機物と女性が呆れた目で見つめるのだった。