父、配慮する
明けて翌日。スッキリ爽快に目覚めたニックはバンと共に朝食を済ませると、早速遺跡の中へと足を踏み入れていった。昨日片付けた瓦礫の部分を抜ければ、その先には幅二メートル、高さ三メートルほどのしっかりとした石造りの通路が存在している。
「うーん、やはり素晴らしく状態がいいな。これならば貴重な資料が発見できるかも知れない」
持参したランタンで注意深く周囲を見回しながら、バンが上機嫌にそんなことを言う。長年封鎖されていた地下遺跡ということで酷く空気がよどんでいるようだが、そこは対策用の魔法道具を身につけているので問題ない。
なお、ニックは特に何の対策もしていないが、真空でも猛毒でもない空気でどうにかなるような鍛え方はしていないので、入り際に僅かに顔をしかめただけである。
「確かに、見たところ劣化はしていても破損は殆どなさそうだな。その割には罠の類いが一切ないようだが……」
「はは、それはそうだよニック君。この前君と一緒に潜ったのは『王の墳墓』だからこそあれほどの副葬品があったし、それを狙う墓荒らしを撃退するために罠が仕掛けられていたんだ。
でも、本来遺跡というのはごく普通の町とかなんだ。普段生活しているような場所に罠なんて仕掛けないし、財宝なんかも在りはしないよ」
「むぅ、それはまあ……そうだな」
苦笑するバンの言葉に、ニックは僅かに考えてから同意する。確かに今現在人々が暮らしている町や村が何千年後かに遺跡として発見されたとするなら、そこには罠もなければ大した宝もないだろう。だがそれだと辻褄の合わないこともある。
「いや、しかし儂が入ったことのある古代遺跡などだと、割と罠や警備のゴーレムなどが設置されていたりしたぞ?」
「うーん、それは警備を施すような重要な施設ほど頑丈に作ってあって、遺跡になりやすいから、かな? それでも一万年経ってまだ動くような罠やゴーレムを設置できるのはかなり限られた文明だけだと思うけどね」
「ああ、なるほど!」
重要施設ほど警備が厳重であり、また堅牢に建築されているというのは実にわかりやすい理由だったため、ニックは素直に納得する。しかしそれを踏まえて周囲を見回すと、そこにあるのは違和感だ。
「だが、その理屈が正しいのであればこの遺跡は少々奇妙ではないか? 随分としっかり残っているが、罠の類いは一切なさそうだぞ?」
「そうだね。長い通路とそこから分岐した幾つもの部屋。この作りからしてここは巨大な建造物の一部だということは見受けられる。それがこれほどいい状態で残っているのに、警備が一切ないというのは確かに不自然だ。
まあ、その理由を含めたこの遺跡の詳細を調べることが目的なのだから、答えはいずれわかるはずさ」
「おっと、そう言えばそうだな。すまんすまん」
正しくこの遺跡のことを調べに来たのだから、その正体が現段階でわかるはずがない。答えを急いてしまったことを恥じるニックに、バンは笑顔を見せてから再び先を歩き始める。
その後バンは無数の小部屋の全てに足を踏み入れると、そこに残された生活の残滓をつぶさに調べていくのだが、そうなるとニックには手伝えることがない。一応周囲を警戒しているが特に魔物の気配などもなく、なんとなく手持ち無沙汰になってしまったニックはふと気づいたことをバンに問う。
「なあバン殿。そう言えばモンディ殿は一緒ではないのか?」
「ん? 何故だい?」
「何故……と言うほどでもないのだが、前の時も実に息が合っていたし、ならば今回も一緒ではないのかと思ってな」
「ハァ……どうやらニック君は大きな勘違いをしているようだね」
何気ないニックの言葉に、バンは調査の手を止めてあからさまに大きなため息をついてみせる。
「いいかい? 確かに私とモンディは……まあ腐れ縁と言ってもいい間柄だろう。私が重要な発見をしそうになるとどこからともなくやってきて手柄を横取りしていく嗅覚は賞賛に値する。
でも、私とモンディは決して一緒に活動しているわけじゃないんだ。彼女が! 勝手に! 私のところにやってきて無理矢理調査に加わっているだけなんだよ!」
「お、おぅ、そうなのか?」
「そうなんだよ! まったく……」
やたらと強い口調で断言するバンに、ニックは軽く体をのけぞらせる。するとすぐにバンはブツブツと独り言を言いながら調査に戻ったが、その背中はそこはかとなく不機嫌そうに見える。
「ぬぅ、すまぬ。不躾な問いであったか」
「……いや、こちらこそすまない。ちょっとだけ感情的になってしまったようだ」
謝罪の言葉を口にしたニックに、バンは振り向くことなく言葉を続けていく。
「確かにモンディは歴史学者としては優秀だよ? 鋭い考察に気づかされたこともあるし、調査の最中に命を助けられたことだってある。調査が停滞している時に場を和ませようと明るく振る舞ってくれたり、頭の固い上役を上手いこと懐柔してくれたりもした。その辺の技能は私にはないものだから、尊敬に値する人物であることは否定しない」
「あー、バン殿? その辺で……」
「いーや! まだだ!」
気まずそうなニックの声を無視して、バンが話を続ける。そんなニックの隣では、少し前から気配を感じていたとある人物がその艶やかな唇に立てた人差し指をそっと当てて無言を促してくる。
「そう! 確かにモンディは優秀だ。どうしても男の多い職場だから、その女性的な魅力で問題を円満に解決してくれることもある。だが! だがしかし! 彼女によって引き起こされる問題もまた多いんだよ! その中でも一番多いのが『モンディに交際を申し込みたいから、紹介してくれ』というものだ。
何故私がそんなことをしなければならないのだ! というか、何で私に聞くんだ!? そんなの本人に勝手に申し込めばいいじゃないか! そのせいで私がどれだけいらない手間を焼いたことか……」
「あら、それならいっそバンが私と結婚しちゃえばいいじゃない」
「は? 馬鹿なことを言わないでくれ。何で私があんな尻軽女と……ん?」
ピタッと体の動きを止めたバンが、ゆっくりとその場で振り返る。するとニックの隣に、見覚えのある金髪巨乳の女性が蠱惑的な笑みを浮かべて立っていた。
「も、も、モンディ!? 何故君がここに!?」
「ふふん、面白そうな遺跡があるって聞けば、そこに私がいるのはむしろ当然でしょ? それよりねえ、バン? どうして私が尻軽なのかしら?」
「そ、それは……」
「どうして?」
大きな胸をゆさりと揺らしながら、モンディがバンに詰め寄っていった。身長差の関係上顔のすぐ前で揺れる二つの山の存在感に、バンは必死に視線を逸らして焦りながら答えを口にする。
「き、君の周りにはいつも色んな男がいるじゃないか。だから、その……」
「何よそれ。向こうから勝手に寄ってくるだけなのに、それを私の悪評にされたらたまらないわ。この際だから言っておくけど……」
そこで一旦言葉を切ると、モンディはバンの耳元に触れるか触れないかのギリギリまで唇を寄せ、何事かをそっと呟く。するとバンは顔を真っ赤にしてその場を後ずさった。
「なっ!? ば、馬鹿な!? 君のような年若い娘が、そんなはしたないことを口にするものじゃないぞ!?」
「だって仕方ないじゃない。変な噂を立てられたら、それこそ私の名誉に関わるわ。ならはっきりさせておくべきでしょ?」
「ぐ、ぐぅぅ……」
「フッ、相変わらず仲がいいのだな」
そんな二人のやりとりを見て、ニックが思わず笑みをこぼす。そんなニックに顔を向けた二人の表情はなかなかに対照的だ。
「ニック君! 何故モンディのことを教えてくれなかったんだ!?」
「お久しぶりねニックさん。相変わらず元気そうで何よりだわ」
「ああ、久しぶりだモンディ殿。いや、儂は言おうとしたのだが、モンディ殿が黙っていて欲しいようだったのでな」
「そんな!? 何て酷い裏切りなんだ!」
「何言ってるのよバン。話すのに夢中で私が来たことに気づかない貴方が未熟だっただけじゃんじゃなくて?」
「クッ! それは……言い返せないが……」
「ということで、そういうバンの足りない部分を私が補ってあげるわ。じゃ、張り切って調査を再開しましょうか!」
「……………………恨むよ、ニック君。あ、そこはもう調べたぞ」
「そうなの? じゃ、私はこっちを調べようかしら」
意気揚々と調査を始めたモンディと、何とも恨めしげな視線でニックを見てから調査に戻っていくバン。そのくせ二人が横に並べば、すぐに息の合った共同調査を始めていく。
「ふふ、やはりいい相棒ではないか」
そんな二人の後ろ姿に、ニックは楽しげな笑みを浮かべて小さくそう呟くのだった。