蛙男、待ちわびる
「で? 俺の相手は何処のどいつだ? 人の事をあれだけ虫だの何だのと言っておいて、まさか全員でかかってくるつもりか?」
構えた剣先をゆらゆらと揺らし薄笑いを浮かべて言うゲコックに、隊長の男がつまらなそうに鼻を鳴らす。
「フン、安い挑発だな。逃がさないように全員で囲め」
「「「ハッ!」」」
(おいおい、ここは余裕を見せるところだろうが……)
隊長の指示に従い、剣を抜いた敵の兵士達がゲコックを取り囲んでいく。そして囲まれるとわかっていても、ゲコックには動くことができない。既に戦闘状態に入って魔力が通っている以上、魔導鎧を身につけた兵士から走って逃げることなどできないし、そもそも逃げるつもりなら最初から姿を見せたりしていない。
(チッ、こうなりゃ同士討ちを――)
「よし、全員その場で警戒せよ。コイツの相手は私がする」
(これだけ有利な状況なんだから、少しくらい油断しろよ糞がっ!)
今まで幾度も修羅場をくぐってきたゲコックだったが、自分が圧倒的に格下という状況でここまで詰めた対応をされたのは流石に初めてだ。心の中で散々に悪態をつきながらも、表情だけは余裕を崩さず隊長の男に話しかける。
「こいつはまた、随分と慎重……いや、臆病な対応だな? 魔族領域のこんな奥まで攻め込んでくるんだからさぞかし勇敢な兵士なんだろうと思ったが、俺みたいな雑魚をなぶるのが趣味とは、お里が知れるぜ?」
「なっ!? 貴様――」
「耳を貸すな、馬鹿者! この状況で不意打ちすらせず姿を現したのは、時間稼ぎがしたいからだろう? だがそれもここまでだ。お前が稼いだ時間で逃げた魔族共は、我らが責任を持って追い立て、一匹残らず駆除してやろう!」
そう言うなり、隊長の男がゲコックに向かってまっすぐに踏み込み、剣を振り下ろしてくる。小手先の技などない、だからこそ単純で力強いその一撃を、ゲコックはかろうじて自らの剣で受け止めることに成功した。
「ぬっ、これを受けるか」
「ヘッ。当然だろ?」
(ぐぉ、わかっちゃいたが、やっぱり強ぇ……っ!)
痺れる手に無理矢理力を込めながら、ゲコックは内心激しく焦る。今の攻撃を受け止められたのは、相手が「受け止められても構わない」と思って攻撃してきたからだ。
小細工無しの、正面からの力押し。圧倒的な強者のみが許されるその戦法は、だからこそ対処方法が極めて限定される。アームから借りた剣が思った以上に上等なものだったのと、蛙人族としての体の柔軟性があったからこそ一撃は耐えられたが、次も耐えられるかはかなり怪しい。
(アーム、まだかよ!? 早く来いよ!)
「ふむ、もう二、三度同じ攻撃を繰り返せば勝てるだろうが……ならこっちはどうだ?」
「ふおっ!?」
上段に構えていた敵の隊長が、不意に腕を引いて長剣を突き込んでくる。咄嗟に身をよじったゲコックだったが、その切っ先はゲコックの横っ腹を捕らえており、ざっくりと切れた所からダラダラと血が流れ落ちる。
「ほぅ、なかなかの反応速度だ。皆見たな? これから向かう先にいるのは、おおよそこの程度の敵のはずだ。強くはないが決して弱くもない。きちんと気を引き締めるのだ」
「「「ハッ!」」」
「テメェ……俺を物差しにしやがったのか……っ!?」
「これから向かう先にいる魔物の実力、測れるときに測るのが当然だろう? そうでもなければ貴様如きにこんな時間を使うものか」
「くっそ……がぁ!」
「ハアッ!」
「ぐぁっ!?」
脇腹の痛みを堪えて斬りかかったゲコックに対し、隊長の男が下からすくい上げるように刃を閃かせる。すると上から振り下ろしたにもかかわらずゲコックの剣が打ち負け、弾かれ無防備になったゲコックの右腕が隊長の剣によって切り飛ばされた。
「がぁぁ……う、腕が……っ!?」
『兄貴ぃ! テメェ、兄貴になんてことしやがる!』
傷口を押さえながら蹲ったゲコックに、遂に無言を堪えられなくなったコシギンが声をあげる。そのまま抗議の触手をうねうねと振るわせるが、隊長の男はそれを気持ち悪そうに見下している。
「む、そいつも知能があるのか? 知らねば見逃していたところだ」
「馬鹿野郎、ギン! 何で喋った!? 黙ってりゃ、お前だけでも……っ」
『俺だけ助かるなんて、そんなのあり得ないぜ! 生きるのも死ぬのも、俺は兄貴とずっと一緒だぜぇ!』
「まったく、お前って奴は……」
必死に語りかけてくるコシギンに、ゲコックは思わず苦笑いを浮かべる。その後は地面に尻餅をついて座り込むと、媚びるような声で隊長の男に話しかけた。
「待ってくれ。わかった、降参だ」
「今更命乞いだと? どういうつもりだ?」
「い、いや、アンタ達が馬鹿強ぇのはよくわかった! コリャまともに戦っても勝ち目がないってのを、遅ればせながら理解したんですよ。何でここは一つ、何でもするんで助けてもらえないかなと……」
「何でも?」
「え、ええ! そりゃあもう! 足を舐めろと言われりゃ舐めますし、裸で踊れと言われりゃ踊りますし、里への侵入の手引きをしろと言われりゃ全力でお手伝いしますよ!」
「……それは同胞を売るということか?」
必死に媚びへつらうゲコックの言葉に、隊長の男の目がギラリと輝く。それはつまり、ここが運命の分かれ道ということだ。
「……そ、そうです。そりゃあ心苦しいですけど、自分の命より大切なものはありませんからね。へへへ……」
『あ、兄貴!? そんな、流石にそれは……』
「うるせぇギン! 俺のやることにケチをつけるんじゃねぇ! で、どうですかね旦那?」
死すら共にすると言ってくれたコシギンを怒鳴りつけ、自分を殺そうとしている相手にゲコックはヘラヘラとした笑みを向ける。そんなゲコックに向けられる兵士達の視線は、汚物を見る方がまだマシといった感じだ。
(マジで何やってんだアーム!? 流石にもう限界だぞ!?)
そう、これが最後の分岐点。ここで自分の下衆な提案を受け入れてくれる相手ならばもうちょっと引っ張れるだろうが、今までのやりとりからして、おそらくは――
「貴様のような屑の助力など必要無い。何でもするというのなら、今すぐに死ね!」
「だよなぁ!」
「くっ!?」
とどめを刺そうと剣を振り下ろしてきた隊長の顔に、傷口を押さえる振りをして手の中に溜めていた血を思いきり投げつける。相手が目を閉じた一瞬の隙を突いて右腕と一緒に地面に転がされていた剣を拾い、そのまま低い姿勢で正面の敵の脇をすり抜けようとして……
「逃がすか!」
「ぐへっ!?」
突き立てられた剣が、ゲコックの足と地面を縫い止める。剣を引き抜かねば動くことすらできないが、その剣は敵の手にガッシリと握られている。
「大丈夫ですか隊長!?」
「クッ……大丈夫だ。油断したわけではないが、思ったよりも悪知恵が働くようだ。お前はそのまま剣を刺していろ。私がとどめを刺す」
「ハッ!」
(恨むぞアーム! この下痢糞野郎がぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!)
ゲコックが内心で絶叫し、隊長の剣がその脳天をたたき割る、正にその時。
「……なあ、本当にこっちで合ってるのか?」
「えっと、方角は間違っていないはずなんですが……」
ガサガサと下草をかき分けて現れたのは待ちわびた黒騎士ではなく、ヨレヨレの白衣を纏った青年と、貴族家の使用人のような服を纏った一二歳くらいの金髪の少女であった。