蛙男、噂を聞く
今回は全六話でお送り致します。
魔族領域中央近くにある、大きな町。そこではとある蛙人族の男が真っ昼間から酒を飲んで管を巻いていた。
「ングッ、ングッ、ングッ……プハァ! あー、何やってるんだろうな、俺……」
『兄貴ぃ……』
ジョッキの中身を一息に飲み干し、グデッとテーブルに倒れ伏すゲコックに、腰に共生しているコシギンがうねうねと触手をくねらせる。
『なあ兄貴、一体いつまでこうしてるつもりなんだよぉ?』
「わかってるって! わかってるけど……くそっ、何でこんなことになっちまったんだかなぁ……」
心配そうにうねるコシギンに指を絡めつつ、ゲコックは思わず悪態をつく。こんな状態に陥っているのは、当然ながらあの時の黒騎士……アームとの戦闘のせいだ。
アームと決別したゲコックは、当初そのまま人間軍の陣地へと戻るつもりでいた。だが自分の正体を知って逃げた部下がいたことを思い出し、このまま帰れば敵の間者として始末されてしまうのではという懸念がその頭に浮かんでくる。
そして、その懸念は現実のものとなった。ゲコックが用心深く自分と関わりのある人物の周囲を探っていくと、そこではあの時見逃された部下が自分の正体が魔物であったことを必死に訴えており、それを聞く者達は半信半疑ながらも「もし本当にそうなんだったら、裏切り者にはそれに相応しい死を与えてやる!」と息巻いている者もいる。
(あー、こりゃもう無理だな……)
その状況に、ゲコックはあっさりと帰還を諦めた。最初から自分の正体を知っているマルデやウラカラと連絡を取れればなんとかなりそうな気はしたが、まさか伝令など使えるわけがないし、自力でザッコス帝国に戻るのは流石に遠すぎる。
やむなくゲコックは戦場を彷徨い、自分と体格の近い人間の兵士の死体を見つけるとその首を落とし、そいつに自分の魔導鎧を着せることで死を偽装した。こうすれば何も知らない者から見れば自分が死んだように見えるだろうし、自分の正体を知るマルデ達には「生きて逃げ延びている」という事実が伝わる。
これで最低限の義理は果たしたが……その結果、ゲコックにはさしあたってやることがなくなってしまった。もしまだ自分を気にかけてくれているならマルデやウラカラから何らかの接触があるかも知れないが、それを期待するのは甘えすぎだ。かといって自分一人の力では現状何をしていいかわからず、結果としてここしばらくは酒浸りの日々を過ごしているのだった。
「情報だ。何か情報が欲しい……何かねーかな、こう、一発逆転して下克上できそうな、凄い情報とかよぉ」
『兄貴ならすぐ見つけられるぜぇ!』
「だといいんだけどな……ハァ」
酒場に情報が集まるというのは確かに正しい。が、酒を飲んでいるだけでとんでもないオタカラ情報に巡り会えるほど世の中は甘くない。
かといって、魔族領域には人間側の「冒険者ギルド」のようなものは存在しない。おまけに現在は人間軍がかなりの勢いで侵攻してきているため、飛び交っているのはどこそこが攻め落とされたとか、そんな情報ばかりなのが現状だ。
(うーん。いっそ魔族領域から出て、また人間側の方を調べてみるか? 向こうの方が色んな情報が集まりそうだしなぁ……)
「なあ知ってるか? 最近この辺に勇者が来たらしいぜ?」
考え込むゲコックの耳に、不意に近くの客の雑談が聞こえてくる。テーブルに伏せていた上半身をのっそりと起こすと、ゲコックはさりげなくその会話に耳をそばだたせた。
(勇者? 勇者がこの辺に来てんのか)
「勇者!? 勇者ってアレだろ? すげーでけー大女で、うがーって叫びながら剣を振り回して噛みついてくる奴!」
(なわけねーだろ。どこ情報だよ!?)
「ははは、そんなわけないだろ! 俺が聞いたのは……何か気まぐれで魔族を助けたり殺したりする、頭のおかしい戦闘狂って話だったかな?」
「うわ、どっちにしろおっかねー!」
(それは……違うとも言い切れない、のか?)
ゲコック自身は勇者を遠目に見たことがある程度だが、その活動は人間の軍に所属していれば嫌でも耳に入ってくる。それによれば確かに勇者は魔族を受け入れているが、同時に自分達に恭順しない相手は容赦なく殺しているとも聞く。
実際にはあからさまに敵対した相手を倒しているだけなのだが、そんな細かいことまで末端の魔族の間に伝わっていたりはしない。であれば「気まぐれで助けたり殺したりする」という情報はむしろ正しい方なのだろう。
(にしても、勇者か。勇者なぁ……いっそ勇者に着いていけたら、すげー武器とか手に入るのかな?)
勇者の傍らで剣を振るう自分の姿を、ゲコックは静かに夢想する。それはなかなかに様になっているような気がするが……
(ま、無理だけどな)
自嘲気味に小さく笑って、子供じみた妄想を否定する。確かに勇者パーティの一員として活躍し、現魔王を倒して自分が新たな魔王に……となればこれ以上ない下克上だろうが、それが実現すると考えるほどゲコックは子供ではない。それでもちょっとだけニヤけてしまう程度には少年であったが……
「で、その勇者だけどさ。何か北の谷の方に行ったらしいぜ」
(……何?)
瞬間、ゲコックの緩んでいた表情が引き締まる。勇者の向かった先……そこにある魔族の集落に、これ以上無いほどの心当たりがあったからだ。
「北の谷? あっちって何かあったっけ?」
「さあ? でかい町とかはなかったと思うけど」
(あるよ! あるんだよ集落が! 俺達の、蛙人族の里があるんだよぉ!)
「そっか。ま、何もないなら安心だな。そっちに行ったって事はもうこの辺にはいないんだろ?」
「だな。一定以上にでかい町には襲ってこないっていうし、当分は安心だろ」
「「ははははは」」
「…………おい、勘定だ」
背後から聞こえる暢気な笑い声を無視して、ゲコックはやや乱暴にテーブルの上に硬貨を放ると、そのまま酒場を、そして町を出る。
『兄貴? どっかに行くのかい?』
「……ちょっとな」
コシギンの触手と指を絡めながら、ゲコックはぶっきらぼうにそう呟く。
蛙人族は、決して勇者に対抗できるような強い種族ではない。また強者に無駄に突っかかるような戦闘好きでもない。
つまり、勇者と敵対する要素はなく、聞いている話の通りであれば、穏便に良好な関係を築ける……そのはずだ。
(大丈夫、だよな……?)
考え事をしながらも、ゲコックの足は止まらない。本人も自覚しないままに、その歩みは自然と北に……ゲコックの生まれた蛙人族の集落へと向かっている。
(……ヘッ。あんな糞集落、どうなったって知ったこっちゃねーぜ。毎日毎日同じ事を繰り返すだけのアイツ等なら、勇者にヘコヘコ頭を下げりゃ、今までと変わらずに暮らせるだろうしな)
ゲコックの脳裏に、父や母の顔が浮かんでくる。変わらぬ日々、変わらぬ人々にうんざりして飛びだしてきた故郷の風景が、今更強烈に蘇っては消えていく。
「…………チッ!」
『兄貴?』
「何でもねぇよ……なあギン。もし俺達の里が勇者に襲われたとして……」
『勇者!? ってまさか兄貴、里の奴らを勇者から助けるために戻るんですか!?』
「いや、そこまでは言わねーけど……」
『さっすが兄貴! 最高にカッコイイぜぇ!』
「いや、だからそこまでは……」
『最高だぜ! やっぱり兄貴はやるときはやる男だぜぇぇぇぇ!!!』
「あー……まあ、そうだな」
(ま、様子ぐらいは見に行ってもいいか)
コシギンに囃し立てられ、なんとなく引くに引けなくなるゲコック。いざとなれば逃げればいいくらいの気持ちで故郷へ向かい歩いて行くと、その途中にある森の道で、不意に背後からガサガサという音が聞こえてくる。
「誰だ!?」
「……ゲコック?」
「なっ!? お前は……っ!?」
下草を掻き分け姿を現したのは、今一番会いたくない黒い魔導鎧を着込んだ男だった。