父、真相を知ってしまう
やるべき事が明確になったことで、ニック達は早速動き出した。ニックの手によってあっという間に木材が切り出され、それを用いてホッタテが少しずつ宿の破損箇所を修復していく。
そうして経過すること二週間と少し。主立った破損箇所の全てを修理し終えたニック達は、宿の前に並んで立って感慨深げにその景色を眺めていた。
「ふぅ、とりあえずはこんな所か」
自分の成した仕事の結果に、ホッタテは額の汗を拭ってそう呟く。だがその表情は何処か悔しげで、ホッタテは渋い顔のまま隣に立つオカミに向かって軽く頭をさげる。
「悪いなオカミさん。親方ならもっと上手く直せるんだろうが、オレッチの腕じゃこれが限界だ。ったく情けねーったらねーぜ、コンチキショー!」
家一軒を基礎から建てる程の技量は無いとはいえ、破損箇所の修理程度であればホッタテの腕でも十分ではある。が、元となってる四〇年以上使われた木材と修理に使った切り出したばかりの木材の色の違いなどはホッタテではどうしようもない。
結果として宿の外観は割とちぐはぐな感じになってしまっており、曲がりなりにも職人であるホッタテとしては忸怩たる思いであったのだが……当然事実上無償で直してもらったオカミの側がそんな事を思っているはずもない。
「そんな!? 頭を上げてくださいホッタテさん! ホッタテさんのおかげで雨も漏らず風も吹き込まなくなったんです。これ以上なんてありませんよ!」
「そうだぜ兄ちゃん! 兄ちゃんのおかげで今年は冬でも風邪引かなくてすみそうだしな!」
「う、うん。ありがとうホッタテお兄ちゃん」
「オカミさん、チビ共……くぅぅ」
母子からの感謝の言葉に、ホッタテは顔を背けて目を瞬かせる。店員と客という垣根を乗り越えた互いの関係は、今や本人達が思っているよりもずっと近い。
「てやんでぇ! てやんでぇ! てやんでぇ畜生め! オレッチの仕事はこれで終わりだ! で、ニックの方はどうなんだよ?」
「儂の方か? 勿論バッチリだぞ」
潤む目を誤魔化すようにホッタテが怒鳴れば、ニックがニヤリと笑みを浮かべる。ニックの主な仕事は木材の調達だったが、ただ闇雲に木を切っていたわけではない。せっかく木を切るならとあの道とも言えぬ獣道の周囲を切り開き、草を刈って地面を踏み固めることで小さな馬車が通れるくらいの道を作り上げたのだ。
「大分力を入れて地面を踏み固めておいたから、一〇〇万人の軍隊が通ってもへこんだりはせんはずだ。後は立ち寄った町で軽くここの話を流せば、興味のある客が徐々にやってくるようになるだろう。その後客が定着するかはオカミ殿次第だろうが……と、そうだオカミ殿、体調の方はもう本当に問題ないのか?」
宿の修理を進める傍ら、ニックはオカミに栄養のある食事を食べさせたりしつつ、きっちり話を聞いていた。それによればニックが見過ごせないほどに疲労が蓄積していたのは、偏に幻術を行使し続けていたからということらしい。
「あ、はい。お陰様で本当にもう大丈夫です。きちんと宿が修復されたのであればあんなに大規模な術を使い続ける必要もありませんから、食料調達とかもできるようになりますし」
「んー? オレッチには魔法の事はサッパリなんだが、何で宿が直ると食料調達ができるようになるんだ?」
「それはですね……あ、丁度いいのでお見せしますね」
首を傾げるホッタテに、オカミがフフッと笑って視線を森の方へと向ける。すると木々の隙間から一匹のレプルボアがオカミ達の方へ向かって突進してきた。
「うおっ!? 魔物!? あぶ――」
「ポンッ!」
焦るホッタテを余所に、オカミがペチンと己の腹を平手で叩く。すると服越しでもわかるほどにオカミの腹が波打ち、同時にまっすぐこちらに向かって来ていたはずのレプルボアがその場でグルグルと回転し始める。
「ポコ……ポーン!」
振り上げた手で再びオカミが腹を叩けば、今度はその場で回転していたレプルボアが一直線に近くの木へと突進していく。そうして強かに頭を打ち付けると、気絶したレプルボアがその場でバタンと横倒しになった。
「こ、こいつぁ一体……!?」
「ウフフ。幻術を使う余裕があるなら、この程度の魔物は簡単に倒せるんです。こう見えて若い頃は夫と一緒に色んな所を旅して回りましたからね」
「うおー、母ちゃんすげー!」
「すごーい!」
「ふっふっふ、そうよ。お母さん、本当は凄いんだから!」
子供達に尊敬の眼差しを向けられ、オカミが得意げに腹を叩く。対してホッタテの方は思わず苦笑いだ。
「カーッ! こりゃいらねぇ心配しちまったぜ! まあ、よく考えたらオレッチだってコロッと欺されてたわけだしなぁ」
「ははは、あの規模の幻術が使える者が弱いはずはないからなぁ。この分ならば確かに何の問題もあるまい」
「はい。ご心配をおかけして申し訳ありませんでしたが、本当に大丈夫です」
ニッコリと笑うオカミの目の下には、今も黒い隈が色濃く浮かんでいる。が、それは狸人族としての毛色がそうなっているだけで、その笑顔には活力が満ちあふれている。
「なら、これでオレッチの仕事は本当に終わりだな。いい仕事をしたせいか肩もすっかりよくなったし、二、三日したらそろそろ町に戻るとするか」
「む、そうか。ならば同日では忙しいだろうし、儂の方は明日の朝にでも発つか」
「えーっ!? 兄ちゃんも師匠ももう帰っちゃうのか!? もっとゆっくりしてけよー!」
旅立ちを宣言するホッタテとニックに、アーニルドが駆け寄ってきて手を引っ張りながら言う。そんな子供のおねだりに、しかしニックは首を横に振る。
「ははは、そうもいかん。儂は所詮旅人だからな。とはいえここの温泉もお主達のもてなしも素晴らしかった。であればいずれまた立ち寄ることもあるだろう」
「ホントか!? ホントにまた来るか!?」
「ああ、約束しよう」
「オレッチも約束だ。もっと腕をあげて、今度はもっと完璧に修理してやるぜ!」
「絶対だぜ! オイラ、師匠に教えられた修行頑張るから! あと兄ちゃんのためにどっか壊しとくから!」
「そ、それは駄目だよお兄ちゃん! で、でも、ボクも修行頑張ります!」
「うむうむ、次に会うのを楽しみにしておくぞ……っと、そうだ。最後に一つ、どうしてもオカミ殿に確認しておきたいことがあったのだ」
子供達の頭を撫でていたニックが、ふとそれを思い出し口にする。そうしてオカミの方に視線を向ければ、問われたオカミは微笑みながらも首を傾げる。
「私にですか? 何でしょう?」
「うむ。壊れた宿を壊れていないように見せるのはわかったのだが、何故お主達まで基人族の姿をとっていたのだ?」
宿はともかく、オカミ達が正体を隠す必要性は、これまで聞いた話の中で一つとしてなかった。だからこそもしこの地域に獣人差別のようなものがあるのであれば……と危惧していたのだが、道を作るついでに近隣の村などで話を聞いた限りではそういうことも見受けられなかった。
ならば何故と問うニックに、オカミは思いきり焦って声を詰まらせる。
「っ!? そ、それは……」
「あー! オイラ知ってるぜ! 父ちゃんが母ちゃんにお願いしたんだ!」
「む?」
「アーニルド!?」
予想外のところから出てきた答えに、ニックは驚きオカミは焦る。だがオカミがアーニルドの口を塞ぐより先に、無邪気な子供が無慈悲な事実を口にしてしまう。
「オイラがちっちゃい頃、寝床で父ちゃんが『その可愛らしい獣人の姿は、俺だけに見せてくれないか?』って言ってたんだ! で、それを聞いた母ちゃんがぐるっと回って父ちゃんの上に乗っかって――むがっ!?」
「ギャァァァァァァァァ!?!?!? な、な、な、何で!? 何でアーニルドがそんなことを知ってるの!?」
大きな叫び声をあげながら、オカミの手が必死にアーニルドの口を押さえ込む。それをジタバタと暴れて外したアーニルドが、母の顔を見て不思議そうに首を傾げながら言葉を続ける。
「プハッ! んー? 何でだろ? でもなんか覚えてたんだよ。そう言えば、あの時何で母ちゃんははだ――」
「ポーーーーーーーン!!!」
「――!?」
「お兄ちゃん!?」
オカミが勢いよく腹を叩けば、アーニルドの声が突然にして聞こえなくなる。パクパクと口を動かし、だが声の出ないアーニルドにオットーが心配そうに近づいていったが、それら全てを無視してオカミが口に手を当て笑い声をあげる。
「ほほほ、い、一体何を、何を言ってるのか! 全然まったく、これっぽっちもわかりませんわね! こ、子供! 子供のデキる……じゃない! 子供の言うことですから! おほほほほほほほほ……」
「……………………」
その照れ隠しから全てを察し、ニックとホッタテは無言で苦笑いを浮かべることしかできない。なお翌日の旅立ちの朝、結局基人族の幻を纏っていたオカミの横で、アーニルドが痛そうに頬を押さえて見送ってくれたことは、ここだけの秘密である。